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2005年10月 6日 (木)

東高野街道ウォーク・交野編

2005年10月2日   寝屋川,交野(星田,郡津)
2005年10月9日   追加(星田)

【星田に入る】

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 星田ゴルフセンターからコモンシティ星田団地へ向かう新道を横切ると,田んぼの向うに祠らしきものがあります。大谷南大師像といわれる弘法大師の像ですこのあたりから交野市です。周囲は草が刈り取られ,お花も備えてあって,近所の人が定期的にお参りをされ,お世話もされているようです。

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 ここから道は2つに分かれていて,1つは山裾を巻ながら東に行きますが,どうも田んぼの中に消えていくようです。もう1つは西に折れて,打上川に沿って,府道あたります。この道も府道を越えて寝屋川方面に走っており,古い街道のようです。

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 本来の街道は,打上川をわたってまっすぐ北に行き,寝屋川硝子工業を通って府道に合流するようですが,北行きの道は田んぼにあたってすぐに消えてなくなります。やむなく府道を歩きました。

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 寝屋川硝子(と思う)の北では,住宅建設が行われていて,その端には古い道が府道に合流したと思われるころがあり,この道が先程の田んぼへ消えてなくなった道の出口みたいです。ということは,この道を無視して田んぼや住宅を作ったのか!その道の出口の延長線上にはホンダプリモがあって,その裏を街道が走っています。これは本来の東高野街道のようです。

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 念の為に,府道のGSの手前の新しくできた道を東に折れて,先程の山裾をまく道の出口がないか調べてみましたが,田んぼや畑のあぜ道があるだけで,街道らしきものはありませんでした。
 ホンダ裏の街道をとると,道の両側はいかにも古い屋敷が並んでいて,この一角だけ昔そのままが残っているようです。この道を挟んで,西が寝屋川市,東が交野市になります。傍示川を渡る手前には弘法大師の祠(強地のお大師祠)があって,大きな石燈篭もありました。

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【紀伊路の隆盛】
  ここは東から来る山根街道と合流点であると思われます。合流点には大きな石の記念碑がたっていました。
 さらに進み,星田駅の手前までいくと,左には小道が分かれていて,これは寝屋に行く山根街道となります。
 星田駅のベンチで昼食をとりました。タバコを吸いながら,さあ,ここからがよく分からない。星のまち交野「交野古道」のHP(村田さん)の地図をみると,単純に府道を通って,星田の一里塚を経て,星田共同墓地を過ぎた臨港製鐵の北側あたりから府道を東にはずれ,田んぼの中の道を進むようです。
 星田駅周辺のでの街道は,現在の泉州銀行の西を通っていたようですが,明治31年,私鉄関西鉄道が開通して,駅の構内に入るため,東の踏切に付け替えられたようです。これは歩いた後,いろいろのHPを探して,どうやらそうらしいというのが分かったのです。

 一週間後,確認してきました。星田駅の北口から,茄子作へいく道を横切り,農道みたいな道が走っています。これを少し入ったところに一里塚跡がありました。駅の北東になります。アパートの横にも道があって,構わずそこに入っていくと,住宅街を通って墓地への細い道にあたりました。これかな?
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 この細い道の先の出口は,墓地への入口となります。ここで府道と合流しますが,臨港製鐵の北では東に入る道はなさそうでした。工場に直接入っていくようです。

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星田散歩】
 ここでは,おまけとして,星田の村中を通って,臨港製鐵の東を通る道を紹介します。

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 最初,東高野街道は星田の村の中を通るものだと思っていました。駅前通りから村に入ります。村の中の道は細く,かつ曲りも多いです。外敵から守るため,あえてそうしていたから,と聴いたことがあります。
  ここでは目印を探しながらあちこちうろうろしました。道の説明はあまり意味はないので,とりあえず写真をのせておきます。分かる人は分かるか?前にあった はずの古い道標が見当たらない場所がありました。そばには新しい家が建っていたような?ここも,再度ウォーク決定ですね。

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 大まかなルートは,星田小学校-慈光寺-星田神社-狭い路地をうろうろ-また慈光寺-藤が尾-光林字-善林寺-また藤が尾-JR線路をくぐる-臨港製鐵東-天の川堤防(公園)-逢合橋西-ホームセンター横(第2京阪工事場所)-臨港製鐵北。

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  星田の村外れには,お地蔵さんがあって横に木が植わっていました。昔,付近に家が建つ前までは,お葬式の夜,ここまで野辺送りに来ていました。このお地蔵 さんの手前で,お葬式の仏具などを燃やしていたのを見た記憶があります。ここが村の境界であったので,そういう葬送の儀式を行い,お地蔵さんをまつり,木 も切らずに残しているのでしょう。

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臨港製鐵東の道】
 周辺を道を探しながらだいぶうろうろして消耗しました。(現在,会社の名前は変っています。)

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この道を入っていくと・・・
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臨港製鐵東側の道

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北の端から西に折れる道がある。この道は新しくできた住宅地に入っていき,府道に合流します。

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【ようやく街道へ復帰か】

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 臨港製鐵の北にあるホームセンター横へ。どうも,臨港製鐵北の, 寝屋川市茄子作と交野市私部・星田の3境界点あたりからが東高野街道のようです。府道からここに合流する本来の道はないようで,代わりに住宅地へ入る道を とります。写真の地点あたりです。このあたりは今,第2京阪国道の高架工事をやっている最中で,まもなくごちゃごちゃになってしまうのは必至です。今のう ちに歩いておくべきです。
 工事中の第2京阪国道の真下を街道が走っており,さらに,府道をまたいで市境に沿って直線的に北に走っています。間違いないようです。

【上ん山】
  府道をわたると坂を上り,すぐ三叉路になります。この丘を「上人松」とか,「お野立所」とか「上ん山」と呼んでいるようです。三叉路は,「上ん山の辻」で す。左が東高野街道で,右が山根街道ですが,右はあまり踏まれていない道で,竹薮と田んぼの間に消えていくようです。これは逢合橋を渡り,私部-倉治(山 沿いの山根街道の分岐点)-津田-藤阪-長尾・・・と通っていて,京都へ向かう幹線です。

 辻には道標が2つ建っていました。大きい方の道標には,
「大峰山 右 宇治 左 京 八幡 道」とあり,その南側の小さい道標に「右 山根街道 左 すぐ東高野道」と彫ってあります。

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 また,山根道を隔てた東には,「閲武駐蹕記念碑」がある。大正3年(1914年)大正天皇がここで陸軍大演習を統監されたことを記念して建てられたものだそうです。

 この分岐点の辻に,上ん山地蔵がおられ,その光背には「私部村地蔵講中享保十乙巳年(1725年)3月24日とあるそうです。そう書いてあったサイトがありましたが,実際の道標の裏は整地されていて,地蔵様は見えませんでした。勝手に処分したのか?

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 なおも,東高野街道をいくと,すぐ西には「本尊掛松遺跡大念仏寺」の道標がありました。玉垣の中には,大きい地蔵様がおいでになり,光背の左に「法明上人御旧跡勧進紗門」と彫ってありました。ここは念仏踊りの発祥の地であるようです。

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 この道は真言密教の道であるとともに,念仏の道であるようです。

【消えた街道】

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 交野市と枚方市の境沿いに,なおも北へ行きます。水道道を通り,府道を越えます。地図には道がありませんが,住宅が建っていて道が北に続いてます。どうもこれが街道のような気がしますが,街道らしくはありません。
 少し行くと天の川にあたり,堤防を行きます。すぐに橋があって,新天の川橋です。

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 岩船街道,京阪交野線と渡ると,すぐに案内板がありました。そこには,「天の川以西は住宅開発によって壊された」と・・・ 案内板によると,貝原 益軒は,元禄二年(1689年),京より高野山へ行こうとしてこの道を通りました。この旅行記「南遊紀行」には,「郡津の茶屋,八幡より一里,京より五 里」と書いています。

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 また,あるHPを見ていたら・・・,
「『河内誌』によると,官道として,現在でいう京街道,東高野街道,暗峠越奈良街道,長尾街道,竹内街道の五街道をあげています。官道といっても幕府管轄の道ではなく,重要道路という意味でしょう」とあって,こんな由緒ある道を平気で壊したのか・・・

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 郡津の村の中を道は通っていきます。このあたりは「郡津の茶屋」が軒を連ねていたところのようですが,今は面影はありません。ただの村の中の道です。どんどん行くと,やがて府道にあります。
 街道はこの府道沿いに四辻,出屋敷,洞が峠を越えて八幡に至ります。

  古市で東高野街道を少し歩いたときは,よく整備された道であったので歩いていても気分がよかったのですが,北河内の東高野街道は,それと比較すると荒れ果 てた感じです。街道に無頓着にというか,その存在を無視して住宅開発や田んぼの整備をすすめていました。この感覚,なんとかならんもんでしょうかね?同じ 河内人なのに!

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  府道に合流する前の街道の横には,ビニールハウスがあり,その横には無人の売店があって,トマトや野菜などをおいていました。付近の方なのでしょう,婦人 がバイクにのってきて,野菜を物色していました。あるはずのお地蔵さんや道標が見当たらないとか,どうにも荒れ果てた街道が続いていたのですが,この様子 をみて,少しほっとした気分になりました。

東高野街道四條畷編

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2005/10/7 文章訂正,写真追加
2005/10/9 文章追加,写真追加
2005/10/10 写真レイアウト修正
2009/8/29   レイアウト修正
2014/8/17  レイアウト修正
2015/11/24 レイアウト修正、写真修正

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