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2005年10月31日 (月)

東海道ウォーク・品川-日本橋編

2005年10月23日



 東京出張のおりは,青物横丁とか大森によく泊まります。数年前,青横付近をぶらぶらと時間潰しをしていましたら,いかにも街道らしい通りがあって,「へえー,これが旧東海道か」ということで,いつか歩いてみたいと思っていました。たまたま,日曜日,丸一日時間がとれたので,さっそく歩いてみました。地図で調べてみると,青横起点だと,街道らしいのは品川までで,あとは国道沿いなので,どうかな,と思いましたが,いやになったらいつでもエスケープできる,ということで気楽にあるいてみました。

【品川宿】
 品川宿は、東海道の1番目の宿で,1601年指定だそうです。目黒川をはさんで,南・北品川宿と,享保期にできた歩行新宿(北品川)との3宿構成で,宿内の家々は1600軒、住む人7000であったといいます。
 こんにちの品川宿は旧東海道をはさんで,いろんなお店やアパートが立ち並び,すっかり庶民の生活の街になっています。旧東海道はカラー舗装がなされ,通勤,通学,買い物,飲み,いろいろな人が行き交っています。ちょっとおしゃれな飲み屋があったり,居酒屋,ラーメン屋,蕎麦屋,畳屋,市場,コンビニな,ど新旧織り交ぜていろんな店がガチャガチャとあっておもしろい。路地に入れば通るのもはばかるくらい細い道があります。落ち着くとまではいかないが,すましたところがない,住み易い街だと思います。

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 8:10,青横をスタートしました。日曜日の朝は人通りが少なくて,のんびり歩いていきます。古い畳屋さんがあって,いつもは職人さんが仕事をしています。その横にはお休みどころがしつらえてありました。

 街道の松が復元されていて,説明板によると、この松は旧東海道品川宿のシンボルとして植えられたものらしいです。三島宿の松ということで,三島から贈られた松のようです。この他にも,保土ヶ谷宿、浜松宿、土山宿の松が街道筋に植えられているようです。浜松の松はこのあとで出てきます。
 変ったものといえば,すし屋があって,メニューをみると,松が1000円,竹が1200円,梅が1800円,なんか逆。いつか行ってみようと思います。

 5~6分で新馬場の道に出会います。ここには,江戸時代、大きな問屋場があり、1866年の「江戸の打ちこわし」は,ここから端を発し江戸中を巻き込んだのだそうです。ここにある蕎麦屋はわたくしのいきつけで,はじめていった時,揚げ出し豆腐とあてを数種,大もりそばを注文したら,どんぶりいっぱいの揚げ出し豆腐がでてきて,全部食べたら,そばが食べられないほどおなかが膨れてしまい,むりやりそばを流し込んだ覚えがあります。ここは安くてうまい。
 さらにいくと,街道松の広場があって,ここの松は東海道29番目の宿、浜松から樹齢約80年の黒松らしいです。

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 目黒川をわたると北品川に入ります。品川橋の上に休憩所が作られていて,おばあさんがベンチで話し込んでいました。せっかくなので,ここで,タバコを一服。夏の夕暮れなぞには,ゆかたで夕涼みをする人がありそうな,落ち着いた場所です。水はあまりきれいではないが,まずまず。橋をわたると,北品川の街道筋に入ります。市場があって朝市をやっていました。

 北品川の東海道を,「東海道一人旅」(浮浪雲さんのHP)で調べていると,青横を通る街道は江戸時代に、海岸沿いに整備されたもののようで,その前の東海道は、品川~池上~平間~鎌倉へと続く道だったようです。品川からは,品川宿~ゼームス坂~大井三又~大森~池上本門寺(8km)がそうで,池上道・平間街道・相州鎌倉道とも呼ばれていたらしいです。これは次回にでも歩いてみなけれ ば・・・

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 聖跡公園,本陣跡というのがあったので,何かと思って行ってみたら,ここは本陣の跡で,明治元年、明治天皇の行幸の際の行在所となったことを記念して聖跡公園と命名されたものらしい。犬の散歩をしていたにいちゃんが声をかけるので,なんやともったら,「そこにウンチがあるので,すみません」ということだった。正直なにいちゃん。

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 新宿お休み処というのがありましたが,早朝なのでだれもいません。この品川宿にはお休み処が8つも作られているらしいです。わたくしは2つ見つけたが・・・Hinkais_2

 この向かいは,品海公園です。昔は一里塚のあったあたりでということです。ここには「日本橋より2里」との道標が立てられていました。8kmとは,ゆっくり行っても,昼前には日本橋につきそうです。楽勝気分。
 品海公園の横の海に通じる坂道には江戸時代の護岸用の石垣の名残が残されているらしいですが,今回はパス。こんどじっくり行ってみようと思います。

 土蔵相模跡は,高杉晋作、伊藤博文など幕末の志士が逗留した大妓楼跡です。晋作のイギリス公使館襲撃の拠点もこちらであったらしい。その後「さがみホテル」となり、現在ではコンビニが入ったビルが建っていました。
 問答河岸跡は,かって海岸先に波止場があり、徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした故事にちなむらしい。「海近くして東海寺とはこれいかに」「大軍を率いても、将軍と言うが如し」というようなもので,面白な!

 ということで,街道筋の品川宿は終りですが,「跡」ばかりでした。

 最後に,強烈にけったいなもの。京急の踏切近くの駐車場のフェンスにからすが数匹たむろしていてカアカア騒いでいました。なにかと思って近づいていくと,カラスが一匹逆さ釣りになっていまして,それを心配して,他のカラスが,やいやいいっているのでした。どうも,フェンスの網目のXになったところにカラスの足指が挟まっているようでした。取ってやろうかと思いましたが・・・こつかれそうだったのでやめておきました。夕方帰る時,電車の中からみたら,もういませんでした。誰かが外したのか?

【品川】
 まもなく八ツ山橋を渡ります。隧道の工事をやっていましたが,何がくぐるのか? ここからひたすら国道15(第1京浜)を歩きます。幸い,日曜の朝なので車は少ないし,涼しい風が吹いているので快適ですが,夏はたまらないでしょうね。
 左手は、御殿山ヒルズの高台です。ここは江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があったので、御殿山と呼ばれているらしいです。大阪にも御殿山の地名があるのですが,それはどうなのかな?調べてみます。

 品川駅に近くなると頭の上を京急が走る感じになって,急に電車がくるとなにか覆いかぶされたようで,びっくりします。 品川駅高輪口(西口)のガード下にラーメン街「品達」があります。達人でも,人気のある店と無い店は外で並ぶ列で歴然と差があるようで,見学がてら,こんど夕方にでもいってみようと思います。

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 品川駅を過ぎて,朝のコーヒーが飲みたくなったので,前に行ったことのある「ルノアール」で休憩しました。コーヒーはまあまあです。ゆったりした雰囲気で,コーヒー1杯でじっくり読書なんぞするにはもってこいかと思います。¥460なので,それくらいはしないと・・・今回はタバコを吸って,15分ほど休憩しました。国道沿いで誰も歩いていないとはいえ,歩きタバコは慎むべきなので,喫茶店は貴重です。
 9:10出発。とにかくひたすら歩く。右側には京急関連のビルが立ち並んでいます。

【高輪・泉岳寺】
 少し行くと泉岳寺前です。「あら,品川からこんなに近いのね?」という感じ。だいぶスピードウォークになってきたようです。ここは数年前に義母を連れてきたことがあるんですが,雨のお参りだったので,せっかくなので,写真の撮り増しに立ち寄ってみました。今日は良いお天気です。

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 そろそろ観光や散歩にきている人が多くなっています。外国人の方も散歩にきていました。赤穂・浅野家代々の墓と大石蔵之助や四十七士の墓ですが,お墓はそんなに大きくなく,近くの檀家さんの墓のほうがよっぽど(実際は見ていないが)・・・という感じです。お家断絶  の処分だからなのか?しかし,お参りにくる人は多く,日本人はこういう話がすきなんですね。

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 泉岳寺は社務所?かなにかの工事中でテントが張ってあり,本堂の写真によけいなものが写ってしまいました。


【高輪・大木戸跡】

 江戸時代は町ごとに木戸を設け、番をおいて警固させました。高輪大木戸は、江戸の南の入口として、道幅約6間の両側に石垣を築き、夜は門を閉めて通行できないようにしていたようで,治安の維持と交通規制が目的でした。ここからが江戸市中ということらしいです。。

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 「お江戸日本橋七つ立ち、初のぼり、行列そろえてあれわいさのさ、こちゃ高輪夜明けの提灯消す、こちゃえ・・。」と、4時頃日本橋を出発すると,この高輪あたりで夜が明け、持参した提灯の火を消したところらしいです。なにも知らずに歌ったり聴いたりしていましたが,なるほどそういう場所だったのか! 旅人の送迎もここで行われるのが一般的で、茶店が多くあったようです。ここから品川宿の間は景色も良く、月見の名所でもあったらしい。

【札の辻から田町】
 札の辻交差点の陸橋より銀座方面の写真を撮ってみました。札の辻とは、江戸時代に高札場のあった辻です。

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 この北300m先の慶應大学のところには、現在の東海道(国道1号線、第2京浜国道)が走っていて,五反田を回り横浜に向かっています。旧東海道が、第1京浜(国道15号)で,新東海道が第2京浜とは,これまたややこしい。
 途中,笹川記念ホールというのがあり,老母を笹川さんが負ぶっている像があります。ここは何かの講演会にきたことがあるぞ,と昔の記憶が蘇ってきました。(もう10何年か前なので,何だったか忘れてしまいましたが)

 まもなく,田町駅前です。慶応大学への路地は飲み屋街となっているようで,ちょっと行ってみたい気がしました(飲み屋街へです)。田町駅前を過ぎると,西郷隆盛・勝海舟会見を記念した碑が立っていました。もと薩摩藩蔵屋敷のあったところで,江戸城総攻撃を目前にして、慶応4年(1868年)3月に幕府の陸軍総裁であった勝海舟と東征軍参謀西郷隆盛がここで会見し、江戸城無血開城を約した所です。

【浜松町から新橋】

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 高速の下は古川(運河?)で,金杉橋がかかっています。釣り船、屋形船が多数繋いでありました。高速をくぐると浜松町です。
 10:20ころ。そろそろ疲れてきたし,タバコもすいたいので喫茶店を探しながらあるいていると,またルノアール。まあいいか,ということで一服です。

 出発は10:40ころ。浜松町の駅前では,お婆さん連れの女性に道を聞かれました。よりによってわたくしに聴くか?増上寺なら知っているけど。良くわかりませんでしたので失礼しました。

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 ここから徳川家の菩提寺・増上寺とか,芝公園へいけるが今回はパスです。10:47,歩道橋があって,日本橋まであと3kmとか。楽勝です。歩道歩きも飽きてきたので,併走する裏道を行ったり来たりして進んでいきます。

 まもなく新橋のJRガードが見えてきました。汐留の再開発でガードところは工事中で迂回路が設定されていました。「シオサイト」というような安直な名前であった。「汐サイト」らしいが,「潮騒都」というのは無理だろうなあ。
 「汽笛一声新橋を・・・」。日本で最初に鉄道が開通したのは,この新橋と横浜間でした。このガードを潜って、第一京浜(国道15号線)を歩いていきます。

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 ここには,どうも場外馬券売り場があるようで,新聞と赤鉛筆をもったおっちゃんが集まってきていました。今日は菊花賞。夕方TVをみましたが,ディープインパクトの追い込みはすごかった。あっというまに抜き去って都トップでゴール。競馬は特に好きではないのですが,あういうレースをみると,競馬ファンの気持ちも良くわかります。
 しかし,競馬ファンには変なおっさんもいて,信号待ちをしていると,「ブツブツ,ディープインパクト買ったか?どうたらこうたら」と話しかけてきて,無視していると,ぶつぶついいながら,赤信号を無視して渡っていきました。たまたまきたタクシーの運転手も唖然として,思わず車を留めていました。

【銀座から日本橋】
 新橋を過ぎて高速をくぐるともう銀座でした。11時ころなので,そろそろ人出もでてきて,スピードウォークには歩きにくい状況です。銀座四丁目の交差点は日本で一番地価の高いところとして知られています。三越とか和光とかあって,待ち合わせ場所として有名らしいですが,わたくしには,とんとわかりません。とっとと通り過ぎていきます。

 「煉瓦銀座之碑」のある交差点が「銀座通り口」です。ここで小休止というか,公園がありそうだったので,探してトイレにいって,タバコをすったということです。
 明治5年の大火で、銀座は全焼,築地まで延焼しました。その後、当時の東京府知事により、銀座通りの建物は、耐火構造の煉瓦造り洋風2階建てに統一され、煉瓦通りと呼ばれました。これが,現在の銀座のもととなったと、「煉瓦銀座之碑」に書かれています。こういう制限があったので,なんとなく統一感のある街景観になっているんですね。
 道を挟んで反対側には、「江戸歌舞伎発祥の地碑」があります。中村勘三郎が寛永元年(1624年)、この地で始めた興行したとのこと。現在の歌舞伎座はすぐ近くにあるようです。

 京橋付近からビジネス街のようになってきます。仕事でお邪魔したビルもみえてきました。
 京橋は,江戸時代、京へ上る際、日本橋を基点として最初に渡る橋であったので,京橋と呼ばれたとのこと。「京橋川」は埋め立られ、擬宝珠のみが記念に残されています。なお、この擬宝珠は明治8年の石橋に用いられたものだそうです。
 大阪にも京橋というところがあって,なんとも猥雑で素敵な街ですが,それもこういう事情で名づけられたのか?いつか調べてみましょう。

 東京駅八重洲口を越したところに丸善がありました。京都の丸善はお店をしめたところなので,敬意?を表して入ってみました。(買うものもあったのです)。20分ほどぶらぶらして,面白そうな本も見つけましたが,重くなるので,ハンディマップだけを買いました。

 日本橋高島屋は,銀座と比べたら,なにか寂しいところにあります。しばらく行くと終点日本橋で,11:30ころ到着しました。

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 日本橋は高速道の下になって,どうも暗い。橋のたもとではおじさんがリズムボックス等を広げて,辻演奏の準備をしていました。どうやらトランペッターのようです。
 日本橋をうろうろ歩き回り,里程標などを見て回りました。鹿児島まで1469km、大坂550km、京都503km、などと記されています。東方面には,仙台350km、青森736km、札幌1156km等と彫られていました。札幌の方が鹿児島より近いのか。

 そうこうしているうちに,トランペットの演奏が始まりました。文部省唱歌あり,Jazzありで楽しそうです。とりあえず,妻にメールで報告。
 さてこれからどうするか?あまりおなかもすいていませんが,軽めの昼食とPMの作戦を練るため,近くのカフェに入りました。ここまで約27000歩,3時間半で,のんびり寄り道もした割りには順調でした。

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(おわり)

 

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