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2007年8月19日 (日)

東海道ウォーク~蒲田-川崎

2007年2月10日


 さて、東海道ですが、品川から大森まで、川崎から神奈川まではは歩いているんですが、大森海岸から川崎までがとぎれた状態です。川崎から神奈川・浦島まで歩いた後ですが、まだ、12:00ころだし、そんなに疲れてはいないので、できるだけ詰めておくことにしました。が、大森海岸から川崎まではちと遠い、ということで、蒲田から川崎まで歩きます。ただ、国道沿いなのがイマイチ気乗りしない原因です。

 


 蒲田でおりてとにかく歩きはじめました。とにかくどんどん進みます。
雑色あたりで気分転換に横道をいくことにしました。雑色も一度ホテルにとまったことがあるのである程度分かります。下町の色濃いところですね。水門通りを行きますが、商店街の道でなかなか楽しめる道です。まっすぐ行くと水門があるんだろうか?

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 だいたいこのあたりだろう、ということで、いいかげんなと ころで右折します。

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 図書館を過ぎると大きな神社が見えてきました。六郷神社でした。ご祭神は応神天皇(誉田別命)です。六郷神社のサイトによると、天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と 伝えられます。今から950年余の昔のことで  す。

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 境内には六郷橋の標柱もありましたが、六郷橋の遺構、明治7年(1874)に架けられた橋の橋脚らしいです(そんな感じは  なくただの標柱に思えましたが・・・)。大正14年(1925)に鉄橋への架け替えにより移されたそうです。

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 多摩川もこの六郷神社のあるところから下流は六郷川と呼ばれています。慶長5年( 1600年)、家康が橋を架けましたが、洪水で何度も流され、元禄2年(1689年)以降は船渡しとなったようです。今の六郷橋の150m下流側にあった渡船場 か ら、川崎側の船着場への渡しで、この渡し賃(1人13文(今の200円位か))が川崎宿の収入となり、大いに潤ったということです。
 境内はちょうど梅が見ごろとなっていました。これだけ咲いていると、アレルギー性鼻炎のボクでも、かなり強い甘い香りがしました。

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  六郷橋のたもとにある神社にいってみました。京急で通るた びに見えていて気になっていたのです。行ったところは「止め天神」。正式には北野天神というようです。

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 なぜ「止め天神」か?江戸から出ていく旅人を多摩川で止 めたからか、と思っていたら、将軍吉宗が暴走する馬から落馬するのを止めた、ということかららしいです。「落馬止め」は「落ちない」につながり、さらに、 悪いことを止めたいということで、現在でも人気があるようです。

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ここも梅がきれいでした。神社の横のゴミ置場はなんとかなら ん かね。

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六郷橋をわたり、川崎の蕎麦屋で遅い昼食とし ました。ちょうどよい1時間ちょっとのウォークとなりました。

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(ひとまず終り)

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