東海道ウォーク 三島-沼津
2006年10月7日(土)
昨年2月に三島に泊って、少し散歩しましたが、仕事前だったので三島大社をちょっと見ただけで、仕事が終ってからは、沼津の千本松原を歩いただけでした。今日は時間をとって、三島大社、源兵衛川をじっくりみて、沼津までの東海道ウォークをします。
【水の都2】
まず三嶋大社に行きますが、途中、駅前商店街を抜
けるあたり、道の脇にこんもりと樹が繁ったところがあります。愛染の滝といって、滝ほどでもないですが、湧水がありました。(2月にはほとんど湧水は見られませんでしたが・・・)岩は溶岩のようでした。前回写真を取り漏らしていたので、ここでパチリ。
三島の代表的湧水地は菰池、水泉園(白滝公園)、そして小 浜ヶ池(楽寿園)で、写真はその一つ 白滝公園です。水の湧きだしがよく分かります。冷たそうな水。現在では湧水量も へっていて、涸川になっているところもありました。工業用水の汲み上げが効いているとのことです。
民家のすぐわきを水 が流れていて、鳥ものんびりして人が近づいても逃げない。こんなところに住んでみた いものです。
【三嶋大社2】
三嶋大社では前回写真を撮らなかったので、今日は たくさんとりました。境内には鹿園があって、ぬた場で牡鹿がごろごろのたうち回っておりました。せっかくの毛並みが、とは思いましたが、鹿にも都合があるのでしょう。
境内にある天然記念物・大キンモクセイの花も見ごろ(香もかぎ頃?)と思って期待していたのですが、どうやら終ったあ
とでした。普通は今が旬だとおもうんですが、ここのは
種類が特別なんでしょうか?9月下旬がピークとのことです。それにしてもタイミングが悪い。
鳥居近くには淡島神の石碑がありました。淡島神って、あの和歌山の淡島神社のことかな?
調べてみると全国各地にあるようで、婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされたことから、江戸時代には、淡島願人と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説い て廻って、淡島信仰が全国に広がったようです。
淡島神の本体については、折口信夫「雛祭りの話」によれば、
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・・・其由緒(ユカリ)はかうである。昔住吉明神の后にあはし
まといふお方があつて、其が白血(シラチ)・長血(ナガチ)の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀 つたのが、加太の淡島明神だといふのである。此方は、自分が婦人病から不為合せな目を見られたので、不運な人々の為に悲願を立てられ、婦人の病気は此神に願をかければよい、といふ事になつてゐるのである。
処々に、淡島の本山らしいものが残つてゐるが、加太の方がもとであらうと思ふ。東京の近くで物色すると、三浦半島の淡島があり、中国では出雲の粟島、九州に入ると平戸の粟島などが有名である。凡そ、祭神は、すくなひこなの命といふ事になつてゐる。特に、出雲のは、此すくなひこなが粟幹に弾かれて渡られたのだ、といふのである。すくなひこなは其程小さい神様なのである。国学者の中でも、粟島即、すくなひこな説を離さぬ人がある。
処が古事記・日本紀などを覗いた方には、直ぐ判ることだが、すくなひこなの命以外にちやんと淡島神があつて、あの住吉明神の后同様に、海に流されてゐるのである。即、天照大神などを始め、とてつもない程沢山の神々の親神であるいざなぎのみこと・いざなみのみことの最初にお生みになつたのが、有名な蛭子神で、次が此淡島神であつた。
------青空文庫版を一部修正------
舟に乗せて流されたことから、住吉明神の后説や日本神話の「淡島」説がかさなっているようです。ま、ここは、少彦名神が海南の道を舟に乗って 海のかなたから来て「淡島神」になったという風に思いたい。(これはボクの希望です)
三島大社の鳥居前の道が旧東海道です。この次は、箱根から下ってきたいものです。いつになるのか?
【喫茶店の絵】
旧東海道を急ぎます。旧三島宿のあたりを通りますが、早朝の繁華街とうい感じしかしません。途中、世古本陣跡とか道路を挟んで反対側には樋口本陣跡碑があるようですが、パス。
まもなく源兵衛川を渡りますが、あやうく行ってしまいそうになりました。遡って楽寿園の方にいってみようかと思いましたが、川沿いに道がなさそうなのでやめときました。
朝のコーヒーを飲みたくなったので、結局、源兵衛川を越して、三島広小路の駅近くで、うろうろ喫茶店を探しました。土曜の朝早くなのであまり開いてませんね。やっと駅裏の、おばちゃんがやっている地元の方のための喫茶店という感じのお店で小休止としました。近所のおっちゃんたちのたまり場になっているようで、そのおっちゃんたちはくつろいでスポーツ新聞なぞを読んでいました。
壁には何枚か(安物の・・・失礼)絵がかけてありましたが、その中の1枚が妙に気に入りました。売ってやろうか?と声がかかったら買ってしまいそうな気分でしたが。その絵というのは、季節は5月、かなり深い山里で、田植えが終って苗が定着して、これから伸びようとする頃のようでした。太陽は出ているのですが、高い山に遮られて田んぼは影になっています。その高い山は、上部のほうは樹がなくて岩山のようでした。日の光が反射し、山頂は白く耀いています。中腹のほうは台地みたいなところがあって、コブシかと思うような樹(見える訳はないのですが、イメージです)がありました。白と影のみどりのコントラスト、空は青。
作者名も控えていて、帰ってから検索してみたのですがヒットしませんでした。そのメモも今はどこにいったのか見当たりません。
コーヒーをすすりながら、ボゥーっとして約30分ほど絵を見ていました。どうということもない絵なのですが、妙に心に残ってしまいました。
【源兵衛川】
源兵衛川を下っていきます、川端に三石神社の時の鐘があります。一瞬、お寺かなと思いましたが、一応、祠らしきものがありました。
ここから先は遊歩道が続いていて気持の良いところです。伊豆箱根鉄道の線路が平行しています。
道路沿いの遊歩道
のほかに、川のなかにも木製のしっかりした遊歩道がつくってあって、夏は気持ちよさそう。ただし、民家の裏庭を通っているようなもので、通るのは若干気が引けますが・・・川におりて飛石や板の道を通ったり、橋をくぐったり、堤防上の道を行ったりで、結構楽しめました。
途中、公園があったり桜並木の堤防があったり、春・夏・秋 とも楽しめそうです。ぶらぶらと遊びながら歩いて、国道一号線まで出てしまいました。
もと来たみちを引き返し、最後は川の中の遊歩道を歩いて旧東海道まで戻りました。
【街道復帰】
これからが街道歩きです。途中、
千貫樋という看板があり ましたが、昔の水道か?とりあえずパス。
川(境川という)を渡るといったん清水町に入るようです。駿河の国です。立派な常夜燈が道 路わきにあり、写真をとったつもりがとれていませんでした。「弘化三年」というようなことが書いてあったような気がしますが、これもパス。
詳しい地図を持っていないので、旧東海道という確信がいまいち持てません。同じようにウォーキン グしている人が、違う道を 行ったので、間違ったかなと思いましたが、いやいや方角からいって、この道しかない、とうろうろしながらも歩いていきます。
まもなく立派な一里塚が見えてきました。これだけ立派だと見落としません。宝池寺一里塚というようです。
やけに新しいなと思っていたら昭和60年に改修されたようです。ま、一里塚というのは、ほったらかしよりも改修するのが普通だと思いますから。
道を挟んで対面には玉井寺一里塚で、手入
れせず昔のままのようで、かえって何がなんだか分かりません。看板が無ければやり過ごしてしまうようです。
両方合わせて、清水伏見一里塚といっていたそうで、江戸から29番め(114km)の一里塚のようです。
まもなく広い道を横切ります。この道路沿いは結構なお屋敷がたくさんあります。
八幡神社という結構大きな神社があったので行ってみまし
た。なんでも、頼朝が挙兵したとき、奥州から駆けつけた義経がここで対面したそうで、その時腰かけた一対の石(対面石という)が残っていました。・・・が写真をとるのを忘れた。本殿全体を建物で覆っていて、中を見るどころではありませんでした。見えるのは拝殿のみ。拝殿の向かって左側
に対面石があります。
東海道にもどるとすぐ、短いながら松 並木があって、樹は若いですが、こんな感じが街道沿いに続いたのかな、と思いました。ちょうど向かいに喫茶店があって、またコーヒー を飲みたくなりましたが、先を急ぎます。
橋の手前に、また神社があるようですが、パス。結構、高速 運転に慣れてきて、あまり道草をする気がしません。あとで調べてみると智方神社というようで、護良親王の御陵があるようで す。
すぐに黄瀬川橋を渡ります。ここからは富士山
がよく見えますが、昨夜の雨がようやく止んで、晴れ間がさしてきたところでしたので、お山はまだ若干雲をかぶっています。
黄瀬川の村ではお祭りの 準備のようで、建物のまわり、い
やそれ以上村全体まではいかないがブロック全 体をしめ縄で囲っているようです。こんなダイナミッ クな囲い方は知りませんでした。
少し行ったところに八幡神社があって、そこのお祭りのようでした。地元の方が準備にいそしんでいて、中には入っていけませんでした。写真だけパチリ。
【沼津】
まもなく旧国道一号線と合流し沼津市街に入りました
。トヨタ(ホンダだったか?)販売店のところから旧道が分かれていて、その道をとりました。流れている大きな川が狩野川。堤防に出てみることにしました。
黒瀬橋のところからまた旧道にもどると、平作地蔵尊があって、日本三大仇討ちの場所なんだとか?
近くの公園(単なる広場)には、古墳時代に玉を磨いだとい
う玉砥石研があったり、江戸から三十里めの一里塚跡
があったりします。
ここからのんびり、三国橋をわたり、対岸の木陰のベン チで休憩したり、河川敷におりてみたり、はたまた御成橋たもち にある八幡神社(やたら八幡神社がおおい)に行ってみたり、ぶらぶらしました。
沼津港はちょっと遠そうなので、次回に回すことにして、前回見つけておいた蕎麦屋に入ってシメとしました。
JRで三島に帰り、新幹線ホームで見つけた変なもの。環 境 によいといわれてもねえ?
(とりあえず終わり)
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