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2007年8月26日 (日)

東海道ウォーク~神奈川-戸塚~

2007年3月11日



 さて、東海道ウォークの続き、神奈川~戸塚ですが、朝起きてみると雨がしょぼしょぼ降っています。さすがに考えました。オプションとして電車で三崎見物にいこうかと思ったのですが、雨ではイマイチだし。思案したあげく意を決して、10:00前にホテル(川崎)を発って、電車でスタート地・神奈川新町に行きました。

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 10:20ころ駅前を出発。雨はまだしょぼしょぼ降っています。線路沿いの道を行きます。東海道はどこだか分かりませんが、まあいいでしょう。

【雨の神奈川宿】
 線路脇に鬱蒼とした木立が見えました。立ち寄ってみると「笠のぎ稲荷神社」とありました。「笠のぎ」の「のぎ」は、本来は「禾(のぎへん)」に「皇」と書きますが、PCでは出ないので・・・。名前の由来は、旅人が社の前を通りかかると不思議にかぶっていた笠が脱げ落ちるというので、「笠脱(かさぬぎ)稲荷大明神」と呼ばれるようになって、後に「笠のぎ」に改めたのだとか。
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 平安の天慶年間(938~947年)の建立といいます。もともとは浦島丘の稲荷山中腹にありましたが、元禄2年(1689)に山麓へ遷座、明治2年(1869)には現在地に移ったということです。
 雨がしょぼしょぼ降ったりやんだりでどうも落ち着きません。とにかく歩きます。

 高野山能満寺というのがありました。法事か何か行事があるらしく、自家用車から黒服をきたひとが降りて入っていきました。能満寺の前の道を進むと神奈川小学校の傍へ出まして、学校の壁面に「東海道分間延絵図( とうかいどうぶんけんのべず)」を描いたタイルがはめ込まれていました。02annai

 道が突き当たりとなり、第1京浜にでましたが、何回かそんなことがあったので、どこをどう通ったか? 神奈川宿のあたりには「神奈川宿歴史の道」という散策コースが整備されていて、これをたどっていけばよいのですが、あとで気がつきました。あとのまつり。

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 仲木戸を越えてすぐ、熊野神社がありました。「権現様」と して親しまれてきた神社だそうです。国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊を主祭神とし、天照大神、素戔嗚尊、大己貴命、少名彦名命などを合祀しています。由緒によれば、寛治元年(1087)の創建です。戦災で社殿が焼失、戦後は駐留軍に境内地を接収され、現在の社殿は接収解除後の1963年(昭和 38年)の再建といいます。
 ここで、おみくじをひいてみました。大吉。

 東神奈川から神奈川本町、幸ヶ谷、青木町、台町にかけての一帯はかつて東海道の神奈川宿のあった場所です。かつては、国道15号の滝の橋のあたりが神奈川宿の中心で、滝の川の東を神奈川町、西を青木町と呼び、滝の橋の東に神奈川本陣、西に青木本陣が置かれていたといいます。

 宮前商店街というのが見えてきました。ここは神奈川宿で旧東海道の面影を残す数少ない場所のひとつだそうですが、天気も悪いのでパス。まあ日曜日の朝なのでまだ店も開いてないようです。
 宮前の宮とは洲崎大神でしょうか?ビルの谷間越しにこんもりとした森が見えますがそのあたりか?あとで調べてみると、宮前商店街の北側の小高い丘が幸ヶ谷公園で、かつては「権現山」と呼ばれる急峻な山だったのだといいます。公園の丘の西がすぱっと切れ落ちてい て線路が通り、その向こうの丘の上に本覚寺が見えます。その本覚寺の建つ高島台の丘とこの幸ヶ谷公園の丘とは尾根続きだったのらしいです。かつての旧東海道も現在の宮前商店街から台町方面へと続いていたのですが、鉄道路線によって分断されてしまいました。本覚寺というのはアメリカ領事館のあったところですね。生麦事件の被害者が逃げこんだという。

【雨のJAZZ喫茶】
 京急の神奈川駅にきました。駅前には「神奈川宿歴史の道」を解説するパネルが設置されていました。雨が振ってきたし、風もきつい。あおられて傘が反転してしまいました。とりあえず休憩とします。駅のすぐそばに茶房・樹林があって入ってみました。客は1人で、開いて間もない様子でした。JAZZ喫茶風でなかなか感じがよく、ゆっくりできました。ハンク・ジョーンズ風のピアノトリオがかかっていて、どこかで聴いた曲でしたが・・・・。コーヒー一杯500円で30分くらいいました。雨も上がってきたようなので出発(11:17)。

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 青木橋は鉄道線路を跨いで分断された旧東海道を繋いでいます。橋の中ほどに立って東を見ると、右手に幸ヶ谷公園の丘が、左手には本覚寺の森が見えました。かつては連なった尾根だったものが線路によって分断された様子がよくわかります。

【横浜スピードウォーク】
 青木橋ををわたって、台町に入ります。けっこう広い車道が通っていて、この道が旧東海道のようです。道路沿いでおもしろくないので、1つ北側の道を行くことにしました。静かでよいのですがホテル街か。日曜朝なので、歩いているのはカップルくらいです。
 山側は小高い丘になっていて、山の上まで家があります。大きなお寺もあって勧行寺というようです。

Imgp1016 高速をくぐって少し行くと、浅間下交差点があって、歩道橋を渡ると浅間神社がありました。石段を登ってとりあえずおまいりします。幼稚園を併設しているようで、なにか民家へのこのこと入っていく感じがして、若干気を使いました。ご 祭神はコノハナサクヤヒメ、承暦4年(1080)の創建といいます。境内一帯には古墳群があったようです。隣にも小高い丘があって、そこも古墳なのか?

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 このあたり、南軽井沢とか浅間とかあって、この名前はどうなっているんだろうか。
 国道沿いを南下していきます。タバコをさがしていますが、自動販売機がありません。最近少なくなってきて困りものです。スピードウオークになれてきたのはよいのですが、おもしろくないので、1つの横の道を歩いたり、車道にでたりします。

【保土ヶ谷宿】
 急ににぎやかな商店街にあたりまして「来やすい、やすい」と看板に書いてありました。いかにも下町風で安そう。ここが松原商店街のようです。ちょうど12:00ころなのでお腹もすいてきて、店を探しながら歩いていきます。橘樹神社というのもあったが、パス。
 まもなく橋を渡りますが、川は帷子川、橋は帷子橋というようです。すぐに相鉄・天王町駅にあたりました。どうもすきっとした食堂がない。駅前広場には灯篭みたいなのがあって、なにかありそうに思いましたが、ここが旧来の帷子川で帷子橋のあったところでした。
 道はあるきやすい歩道になっています。快調に歩いていきます。

 保土ヶ谷駅前では駅に行かずにまっすぐ進みます。税務署の辺りには、金沢横丁という交差点があり、東海道と金沢鎌倉みちの分岐点となっています。古い道標がならべて4基ありました。金沢八景に向かう人々は、ここを左に向かっていきました。その通り行ってみると、踏切になりまして、ちょうど電車がきてなかなか通れませんでした。
 引き返して、さらに南進し、JRの(別の)踏切を越えます。国道1号線とぶつかった地点に保土ヶ谷宿の軽部本陣跡があります。現在は本陣の門が残されていて、緑青の吹いた屋根がある門がそのようです。ここにみえる古い建物はいったいなんでしょうか?
 東海道は、ここで西へほぼ直角に進路を変えていきます。

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 蕎麦屋をみつけたので昼食(12:30)。かき揚げ丼、蕎麦セットで¥950でした。お腹もすいていたのでほっと一息。かき揚げも蕎麦もおいしかったです。テレビではいたずら猿のニュースをやっていた。かなり賢くかつ狂暴になって、集団戦で車の中にも入ってきて食べ物をとるのだそうです。

【また雨が降ってきた】
 どうも天気悪いです。駅に引き返すかどうか?
 八幡神社というのもあるらしいですが、かなり遠そうだし 、坂道でもあり、断念しました。
 橋をわたり、川沿いの小道を行きます。川(今井川)の中に一里塚跡がありました。ここは江戸から8番目の一里塚のあった所です。小さな植え込みができていて、説明板もありました。この付近は、保土ヶ谷宿の京方見附のあったとこ ろだそうです。

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 まもなく外川神社です。由緒書きによると、外川神社は、保土ヶ谷宿の出羽湯殿山へ参詣する同行者を組織する先達であった清宮與一(きよみやよいち)が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝し、明治2年(1869)にこの地に羽黒山麓の外川仙人権現の分霊を勧請したことに始まりました。

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 小児の虫封じのご利益として信仰を集めていました。しかし、明治政府 の神仏分離令の直後であったことから、祭神 を日本武尊(やまとたける)とし、外川神社と改称しました。ここに は大きなケヤキの木があります。今は葉はないですが新緑や紅葉の時期はきれいでしょうね。

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【雨上がりの権太坂】
 雨はあがりそうな気配です。このままgo。途中、羽黒山慰霊碑がありましたが通過。

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 保土ヶ谷2丁目のあたりで道を間違いました。地図をみてないので、山側にの登りはじめましたが、どうみても間違い。実はここで1号線の北側の小さい道にはいるのが正解だったのです。しかし、そのときは分からない。
 とりあえず国道筋をいきます。東伸橋付近は工事中で、鉄骨で骨組みをしたうえを道が走っていまして、川は相当下のほうを流れていまし た。

 インターチェンジへ行く車道を越え、さらに歩道橋を越えると1号線はゆっくり登りになります。どうやら、正月の箱根駅伝 で有名な権太坂かと思います。しかし、旧東海道は明らかに違います。どうもこの北側を走っているらしい。
 高速をくぐると、さすがにおかしいので引き返すことにしました。先程の歩道橋を渡って小道に入ります。ありました、権太坂入口。

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 13:40、権太坂を登りはじめました。これはきつい。住宅地の 間をとにかく延々と登ります。東海道最初の難所といわれたのが分かります。
 道標があってやっと登れたかと思ったらまだある。10分ほどかけてやっと登り切りました。

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 この道は峠越えの道かとおもったら尾根筋を昇る道なんですね。  尾根筋だけあって見晴らしはよいです。ただし、尾根筋まで住宅街になっていて、住宅の間をのぞき見しないといけません。

【国境】
 登り切って少し行くとバス停があって、タバコ休憩を兼ねて トイレをかりました。その突き当たりを右に曲ってスグに旧家の黒い塀があるようですが、そんなもんあったかな?見 落としました。

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 道が左カーブする辺りに境木地蔵があります。当時は一服する旅人を目当てとした茶屋が並び、牡丹餅が名物だったとか。

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 ここが武蔵と相模の国との国境になります。境内に建つ地 蔵堂は、1659年(万治2)の創建と言 われていますが、堂内に安置されている地蔵はいつ頃つくられたものかは不明 だそうです。
 境木地蔵の前はあたらしいマンションがたっています。2005年までは鬱蒼とした枝が頭上をおおうような坂道(焼餅坂)となっていたようです。

【平戸果樹の里】

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 焼餅坂を下ると、品濃の一里塚が見えます。品濃一里塚 は 、江戸・日本橋から数えて9つ目の一里塚で、京側に残る平戸一里塚とあわせ、街道の両側の塚がほぼ当時の形で残っているのは、神奈川県内ではここだけだそうです。

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 このあたりは山頂を通っているので見晴らしが良くて、歩くのにはもってこいの道です。

 平戸は果樹園の盛んなところです。東戸塚のニューシティ と国道1号に挟まれた丘陵地域に広がる一体に全部で10戸 ほどの農園(果樹園)があります。夏から秋にかけて梨・ぶどう・柿・栗など、いろいろな果物や野菜を栽培しています。梨などの観光果樹園が多いようですが、住宅に侵食されてきているのではないでしょうか?

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 果樹園から東海道は下っていき、国道ですぱっと分断さ れ ていました。巨大なマンションが立ち並んでいて、東戸塚のニューシティでオーロラシティというようです。果樹園の平戸と極端なコントラストで、それも急にきましたので若干気持の整理がつきません。

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 これから東海道はどこを通っているんだろう。次回のウォークを考えながら東戸塚の駅に向かいました。
 時刻は14:30。雨で出遅れた割りには快調なウォークで した 。

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(つづく)

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