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2007年11月18日 (日)

東海道ウォーク~藤沢-平塚~

2007年7月28日


【大間違い】
 10:30ころ遊行寺坂を下り切って境川に架かる藤沢橋を渡ると、藤沢宿である、ということなのですが、ここで本来は北に折れるのでした。しかし、下りの勢いでどんどん進んで、藤沢駅のほうにいってしまった。右に折れるのは分かっていましたが、そんなにはやく右折するとは! 地図がないことの禍です。それはそれで楽しいのですが。
 藤沢駅北入口の近くで大きな工場(日本精工)に当たりました。ここの手前の広い道を右と思いましたが、それでも遅かったらしく、JRの線路にあたりました。「鵠沼」とあって、さすがにこれは間違い。

 工場をまいてもとにもどろうとしますが、元に戻るのも・・・・ということで、北西に進めばと思い、どんどんあてずっぽうで進んでいきました。

 突然「皇大神宮」の看板が。前に見た地図で、 たしかにそんな名前の神社があったのを思い出しました。

Koudaijingu

 皇大神宮は何かあたらしい神社です。造営記念碑をみると昭和60年の再建らしい。皇大神宮のいわれは、鎌倉景政 が所領を伊勢神宮に寄進したことかららしいです。

Koudaiyuisho

 暑い盛で木陰には、いかにも銀行かどこかの新入社員らしい自転車の二人がきていて、石段に座り込んでなにやら深刻な話をしていました。やめるとかやめないとか?(予想です。盗み聴きではありません)
 11:00ころ神社を出発。このあたりは鵠沼新明というらしい。途中、家の軒先と畑の中の小道を通って、とにかく広い道にでました。古い土地のようすが、新しい住宅がどんどん建ちはじめています。
 広い道にでて、三叉路になっているところにバス停と自動販売機があったので、「さてバスで藤沢に帰るか、このまま行ってみるか?」自動販売機の前でお茶を飲みながらしばし考えました。まあ迷ったら南下して線路まででれば駅にはたどりつける、ということで、この広い道を西にいくことにしました。

【放浪旅の楽しみは・・・】
 そろそろお腹がすいてきているので、食堂を探しなが ら歩くこととします。すぐに川に突き当たり、上村橋をわたりました。ここには大きなショッピングセンターがあって、MrMaxとありました。
 桜新道というところで蕎麦屋があったので入ってみました。まだ11:30ですが、混まないうちにここで昼食とします。蕎麦定食かなにかを注文、堪え切れなくなりビールも。エアコンのしっかり効いた席で、蕎麦もビールもおいしかった。ああ極楽。お店は「波利満屋」さん。ハリマヤというのでしょうか。

Shonanstory

 ここで「湘南物語」という冊子が置いてあって、湘南のお店 ガイドでした。興味深く読みながら12:15までゆっくり休憩。冊子にはうまい具合にを地図がのっていたので、帰りしなにもらってきました。念願の地図が手に入って、これで恐いものなしです。

Shonanmap

 少し行くと、道端に行列ができていて、なにかと思ったらラーメン店「めんめん亭」とありました。この暑いのにラーメンか?看板には、「こだ わりスープ」とあって、これがが売りらしいです。なんだ、向かいに蕎麦屋もありました。

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◆辻堂への道

 道はまもなく広い通りにつきあたり、北か南か二者択一となりました。南は辻堂の駅で、北へいけば旧東海道と合流するはずですが、とりあえず安全サイドということで辻堂の駅に行くことにしました。
 辻堂駅前は再開発で工事中で、なにか大きなショッピングセンターか高層住宅が建つらしいです。まだ12:30ころなので、せっかくだから平塚まで行くことにしました。

【東海道再会】
 Panasonic(松下電池工業)の工場の間をすりぬけしばらく 行くと、念願の国道1号線(東海道)にあたりました。

Owada
◆東小和田

 12:45、東小和田というところで復帰。ここから国道1号線をひたすら歩きます。ところどころに街道松があっていかにも東海道らしいです。

56k

Matsubayashi

◆56キロポスト            ◆松林

 このあたりは松林というところので、そのまんま。国道1号線沿いには1km毎に標柱がありますが、後でデジカメ写真をみると、ここらあたりに「日本橋から56km」というものがたっていたような。しかし、茅ヶ崎の一里塚が日本橋から14 番めで56kmのはず。まだ数キロはあるはずなのに?どうも記憶が定かでないのですが、えらいずれている。まあ、旧東海道と国道1号線は同じではないからね、と納得させました。

 12:51、松林中学校入口というところでTOTOの工場が見えてきました。「平塚へ8km、小田原へ30km」という看板があり、あと少しですね。

Totomae

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 少し前にあったなんとかいう工場もそうですが、TOTOの工 場も市民に開放した夏祭りの予定があるらしく、旗をたてて案内をしていました。企業の工場も近隣住民との友好関係を築くためにいろんな催しを考えています。
 このあたりには街道松がさらに増えて、新しいものだとは 分かっていても、いかにも街道歩きの風情がして楽しいものです。暑い真日中ですが良い風が吹いているのでどんどん進んでいきます。
Imgp1748


【本村八王子神社】
 本村の交差点を過ぎたところに八王子神社というのがあったので寄ってみました(13:05)。国道から北へ100mほど入ったところです。社 殿はそう大きくはないものの、なか なか落ち着いたたたずまいです。

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八王子神社由緒略記(神奈川県神社庁サイト)によると、
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御祭神は八王子大神 市寸嶋比売命、多紀理毘売命、多 岐都比売命、正勝吾勝速日天忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命。
八王子大神とは、天照大御神と須佐之男命との誓約の際にお生まれになった五男三女の神々の尊称であります。初めにお生まれになられた姫神様達は、須佐之男命の御子とされ、別称を宗像三柱の神ともいわれ、福岡県宗像大社のご祭神となられ、安芸の宮島・厳島神社にも祀られました。次にお生まれになった男神様達は、天照大御神の御子となられました。

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注:読み方
市杵島比売命   ( いちきしまひめのみこと )
多紀理比売命   ( たきりひめのみこと )
多岐津比売命   ( たぎつひめのみこと )
天忍穂耳命    ( あめのおしほみみのみこと )
天之菩卑能命   ( あめのほひのみこと )
天津日子根命   ( あまつひこねのみこと )
熊野久須毘命   ( くまのくすびのみこと )
活津日子根命   ( いくつひこねのみこと )

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 末社に八坂神社があって、さらにその横には本村天神 もありました。境内には立派な鐘つき堂もあって、これはほとんどお寺ですね。

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 そもそも全国にある八王子神社そのものが、仏教(密教)の立場からなされた神道解釈に基づく神仏習合思想により成り立っています。仏教の守護神である牛頭天王には頗梨采女との間に八人の子(八王子)がいるとされ、これを祀ったのが八王子神社ということです。古くは八王子権現と称され、円蔵寺の守護神として祀られていましたが、明治五年の神仏分離により、円蔵寺の別当を停めて八王子神社と改称し、八王子大神を祀って、茅ケ崎市本村の鎮守とされたようです。円蔵寺はよくわかりませんが、地図をみていると近くに円蔵という地名がありました。

【茅ヶ崎】
 13:25、本村付近で水準点がありました。あとで地図 で調べようとしましたが、これがどこだか分からない。国土地理院の水準点検索でみてみると、神奈川県茅ヶ崎市本村1-2-21先とあって、八王子神社のほんの近くでした。どうもデジカメとメモ記録の時間があわない。しょうもないことを気にするもんです。ここは、14.2mの道路水準点であるということでした。
 まもなく道の下に線路(単線)を越しました。こんなところに線路とはなんだと思ったらJR相模線でした。茅ヶ崎の駅が近いらしいです。
 ショッピングセンター・サティが見えてきました。どうも人がすくなくゴーストサティだと思ったら、映画館の建物でした。少々歩きつかれてきたのでここで大休止。Selfridge cafeというカフェでアイスティを頼んで(¥230)ゆっくりタバコ休憩。足の調子もイマイチで、どうもマメができそうです。(13:31~14:00)

 ゆっくり休んだあとスピードウォークにもどり」ました。茅ヶ崎駅前中心部には一里塚(日本橋から14番目)があるはずですが、いい加減に歩いていたらあっという間に通り過ぎてしまいました。市役所前にこんなもの(写真)があったので 代わりに撮っておきました。なんでも上野寛永寺の石燈篭を移してきたというものでした。なんで?

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 茅ヶ崎の市街地は所々に街道松があって、なかなか気分のよい道でした。それなりに街でそれなりに田舎で住み易そうなところです。

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【第六天神社】
 十間坂というところを越えるとまた神社がありました。第六天神社といいます。

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公式サイトによると、
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~幸福への導きの杜~
神 様     淤母陀琉命(おもだるのみこと)
      妹阿夜訶志古泥命(いもあやかしこねのみこと)
神仏混淆時代の欲介天の第六、最高所に宮殿を構える天魔、
他外自在天に由来し、神仏分離の布告により、ご神徳に因み、国生み神話の天神七代の神々の内、第六代の二柱の大神様です。

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[いわれ]
創立年代・創立者等不詳。文献では、江戸幕府編纂の新編相模風土記(天保12年)に初見されますが、郷土草創期の江戸時代初期ではないかと伝えられております。

[ご案内]
身の丈は2里、寿命は人間の1600歳を一年として、16000歳の長寿であられ、それに因み、身体壮健、病気平癒、東海道を上下する覇旅の人々の道中安全の守護神として、又、世の楽しみを自在に自己の楽しみに替える法力に因み満願成就への導きの神として崇拝されております。尚、織田信長の第六天への信奉は特に篤く、立身出世いたしましたが、豊臣秀吉は、その強大な神威を怖れて廃社を命じたため、西日本では皆無に等しく、東日本でも極めて少なく、その強大な法力を戴きたいと参拝する方々が増えておりますが、その確かな出典が社務所において確認出来ておりません、何方か教えていただけませんか。

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 何方か教えていただけませんか、と言われても困ります が、さっぱり分からなかったので調べてみました。
 仏教では六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)、また十界(六道の上に声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を加えたもの)があって、このうち、六道の地獄から人間までは欲望に捉われた世界、つまり、欲界であるという世界観があります。
 天上界では上に行くほど欲を離れ、物質的な色界・そして精神的な無色界となりますが、天上界の中でも人間界に近い下部の6つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため、これを六欲天といい、六欲天の最上位が 他化自在天(たけじざいてん)で天界の第六天といいます。ここに天魔波旬が住んでいて、第六天魔王といったり他化自在天といったりします(あるいは単に魔王)。
 この天に生まれたものは、他人の楽しみを、自由に自らのものとすることができるといい、もっといえば(Wikipedia)、他人の変現する楽事をかけて自由に己が快楽とすることができます。この天の男女は互いに相視るのみにて淫事を満足し得、子を欲する時はその欲念に随って膝の上に化現するといいます。この天人の属性が上記[ご案内]に書いてある訳です。Wikipediaでは身長は三里となってますが・・・

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 庶民にとってはまことに都合が良いとうか、あやかりたいというか、万能の法力をもっていて、その一端にでもすがりたいということから信仰が高まったのではないかと思われます。もっとも、仏教にとっては仏道修行を妨げるものですが・・・織田信長は「六欲天の魔王」と自称したといわれますが、まさに比叡山や門徒衆にとってはそうであったといえるますね。

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 この第六天魔王を神仏習合によりオモダル(男神)・アヤカシコネ(女神)(古事記では淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神、日本書紀では面足尊・綾惶根尊で、イザナキ、イザナミの前に生成した)の垂迹とする訳ですが、その理由が、オモダル・アヤカシコネが神世七代の六代目であるからなんだそうです!第六天魔王になぞらえられ魔王にされたオモダル・アヤカシコネもたまったものではないと思いますが・・・。人間の欲の凝縮されたものを、まだ6代目の神で男神、女神になったとはいえ、何かまだ初々しさの残るオモダル・アヤカシコネにあてるとは、柔軟というか斬新というかトンデモというかすごい発想ですね。
 さらに、明治の神仏分離によって、この状態から第六天魔王を 祀る寺の多くを神社とし、「第六天神社」や「面足神社」と称し、祭神をオモダル・アヤカシコネに変更したといいます。なんと便宜的な。

 オモダルの字義については、本居宣長は「面の足と云うは、不足処なく具はりととのへるを云ふ、面を云ひて、手足其の余も皆凡て満足ることはこもれる御名なり」すなわち、「足りないところがなく、体すべて整ったという」意味とし、アヤカシコネはそれを「あや、かしこし」と美称したものとしています。これから、生まれ出でたすべてが、「立派に整えられた」、コトバを発して対偶神の賛美とするということにつながり、子育て・初志貫徹の神としたり、満願成就への導きの神として、神仏分離後も引き続き、庶民に受け入れられるようになっているのでしょう。

【浜降祭】
 この神社は7月20日の浜降祭で有名です。この近くにある慶應義塾大学・厳網林研究室が中心になって「湘南の風」(湘南乃風ではない) というポータルサイトを立上げていまして、地域の自然環境、社会文化の資源を発見し、地域内外へ発信し、コミュニケーションの活発化を狙って活動しています。浜降祭の専門サイト
http://hamaorisai.jp/index.htmlの記事をダイジェストさせていただきます(一部抜粋・短縮)。
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浜降祭は、茅ヶ崎市と寒川町一円の神社の神輿30数基が、7月の海の日に茅ヶ崎の海岸に集まり神事を行う祭りです。
10万人以上の見物客を誇る県内屈指のお祭りで、茅ヶ崎に夏を告げる風物詩となっています。

(浜降祭の由来)
茅ヶ崎の海岸近くにある鶴峰八幡宮は、海岸での禊の習慣があったといいます。また、江戸時代末期の1838年、寒川神社が恒例の国府祭に参加した帰り、相模川を渡るのを待っている間に寒川の氏子と地元の氏子で争いが起こり、神輿が川に流されてしまいました。数日後、神輿は茅ヶ崎・南湖の漁師によって無事発見されます。この発見のお礼のために、毎年神輿が茅ヶ崎の海岸まで立ち寄ることになりました。
この2つの神社の慣例が後世に合体したというのが、浜降祭の起源であるといわれています。

(浜降祭の日)
宵宮:この日は、神社の境内や外をきれいに掃除し、神輿を引き出します。そして、神輿の塵をきれいに払い、漆や金属部分を磨いて、鳳凰を中心として白木綿で捩りをかけます。。

宮立し:当日になると、宮立し(神輿が出発すること)です。
海岸に近付くと、いくつかの神輿が合流し、最後の行程を練り歩きます。神輿が合流したあと、神輿が並ぶ順番は、先頭に、鶴嶺八幡宮、中央に、寒川神社、その前後に、菅谷神社や、腰掛神社、八坂神社と決まっています。

祭典:海岸到着は午前5時ごろです。このあと、神輿は神社ごとに決められた場所(下の浜降祭列位表参照)に鎮座し、祭典が始まります。
儀式では、献饌(けんせん)の儀が行われます。

禊:10 万人を超える人々が見守る中、いくつかの神輿は渚から海中へ進んでいきます。これが禊のならわしで、これによって神輿が清められるのです。これを済ませた神社は、海岸を所狭しと練り回ります。神輿が練り回れば練り回るほど、神は喜ぶといわれています。

神事の後:儀式が終了したあと、神輿は再び神社にもどっていきます。かつては村回りといって、神輿は氏子のいる集落を一巡していたといいます。

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 このサイトで写真をみました、壮観なものでした。10万人  というから相当大がかりな祭です。7月20日とはほんの一週間前ですね。今日はそんな面影もなく第六天神社はひっそりと鎮座していました。

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 第六天神社でえらく長居(実際は10分ほど)をしたので先を急ぎます。そうそう、ここの八坂さんは蜜蜂に追われて第 六天神社本殿にお引っ越 し中でした。

【平塚へ】
 東海道にもどりスピードウォークを再開です。東海道がぐぐ っと北西に向けるころ、千ノ川鳥居橋を渡りますが、ここは左冨士で有名です。が、確認するのを忘れました。

 すぐに大きな鳥居が見えてきて、これは鶴峰八幡宮にいく参道ですが、見たところやたら長いです。松並木が約1km 続いているらしいのでここもパス。

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 さらに行くと小出川・下町屋橋につきました。看板によると小出川手前左側に旧相模川橋脚(国史跡)が残されているらしいですが、よく分かりません。なんでも、関東大震災の時水田が隆起し、鎌倉時代の旧橋脚が出現したものだそうです。この橋脚の出現により、鎌倉時代の相模川はここ(現小出川)を流れていたことが分かりました。

 快調に飛ばしていき、ついに平塚市に入りました。

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 大河・相模川が流れていて、馬入橋からみると、多くの人が ボートやジェットスキー、ボードセーリングで遊んでいました。ボートくらいはよいのですが、猛スピードのでるジェットスキーで、それも数人乗りの大型のヤツで突っ込んでくる者がいて、これはいつか事故がおこるんではないかな、と心配しました。

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 橋を渡るとすぐ旧東海道は左へ分岐 ます。この辺にはかつ て、馬入の一里塚があり、現在は看板があるだけだが、素通りしました。江戸より15番目の一里塚です。
 とにかく平塚駅前に出て、平塚の駅前喫茶店で冷たいコーヒーを飲み、この日のウォークは終了としました(15:35)。

 朝6:00にホテルをでて、すったもんだがあって、実質7:00東戸塚スタート。途中でもすったもんだして、約30km。お天気には恵まれ、暑かったけれど涼しい湘南の風に助けられて、まずまず快調な1日でした。


   

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