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2008年4月30日 (水)

東海道ウォーク 千本松原-元吉原

2007年12月1日(土)-2(つづき)



【松林の道】
 片浜小学校の横を通って松林のなかの道に戻りました。(8:30)

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より大きな地図で 東海道ウォーク(千本松原) を表示

 

 さざんかでひとしきり接写の練習。

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 松林の中の道はなんとも気持の良い道です。今まで東海道を歩いてきて、(ここは厳密には東海道ではないけれど)一番気持の良い道です。自転車も通らないし、時々散歩をしている人を見かけるくらいです。ベンチにすわって休憩していると猫の親子が寄っ てきました。にゃあ、とないてまことにのん びりとひなたぼっこを始めました。小猫はカメラが気になるらしく、寄ってきて、レンズを向けるとさっと逃げる、この繰り返しを したあげく、飽きてしまったのか、どこかへ行ってしまいました。

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 いったん防波堤に出たり、また松林にもどったり、うろうろしな がら歩いていきます。

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 古墳があるというので、また国道筋に戻って、探しながら歩いて いきました。蓮窓寺を過ぎたあたりで、少しJRの線路側 に入っていったところにありました、神明塚古墳。(9:05)

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 ここは松長上ノ段というところで、古墳の上に神明宮がありま した。この古墳は全長54mある沼津市内最大の前方後円墳だそうで、3~4世紀に作られたと由緒書きにはありました。が、東海道歩きのいろんなサイトでは5世紀末から6世紀前半のものと推定されると書いてありました。

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 このあたりには松長一里塚跡があるようですが、少し沼津よりで通り過ぎたみたいです。もとの国道に戻ったところに、田 子乃富士蔵元・ 渡辺酒造さんがありました。田子乃富士。おいしそうな感じがしますが、ここは我慢。
 片浜駅を過ぎたところで、また海岸にもどることにします。途中、レストランの自動販売機でお茶を買う。蕎麦屋だったら入ったかも知れません。(9:20)
 ここからは防波堤を飛ばします。よほど風がキツイのでし ょう、海岸の松の木はほとんど横になって生えていました。

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 沼津あたりから海岸沿い西のほうの松林越に何か大きな建物が見てていて、何かなと思っていたのですが、そこが原というところで、マンションなのでした。建物の上のほうは松林より高 いので、台風なんぞのときはどうするんだろう?と心配になりました。なにしろ、松が横に生えるくらいの強風があるようですからね。

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 えんえんと防波堤を歩いて、気が向いたら松林の道に降りる、こんなことを繰り返しながら歩いていると、いつのまにか原を通り越し、一本松(街道沿いには一里塚があり)や桃里も通り越し、柏原宿( 東田子の浦駅近く)まできているようです。(11:00)
 松林のなかはあいかわらず気持の良い小路が続いています。

【海岸を造る】
 富士市にはいって、海岸では大がかりな工事が行われていました。看板を見てみると、10トントラック1万台ぶんの土石を運んできて海岸が痩せていくのを防ぐのだそうです。途方もない!

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 何故かと言うと、田子の浦港の防波堤等により富士川河口 あたりから運ばれてくる土砂が遮られ、昭和放水路の東側では侵食が激しくなっているからです。昭和放水路西 側では盛大にブロックが海岸に投入され侵食が防止されていますが、東側ではそれはやりたくない、ということのようです。

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 看板にはこのあたり富士海岸の形成の様子が分かりやすく 説明してあり、よい勉強になりました。沖積世初期というのが200年前というのはご愛敬!この日もおもしろいものを発見できました。

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 海岸を造るというのはとてつもない工事ですが、元はといえば人間が作った港が引き金になっているようなので、人間の力で対処しなければならないんでしょう。
 昭和放水路というのは、図にあるように太古からあった浮島 沼や沼沢地を水田化した排水を海に逃がすものです。この影響が海岸の痩せにあるのかどうかは分かりません。

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◆昭和放水路出口

 昭和放水路を越えて、11:30ころ、防波堤には別れを告げて、松林の道を歩くようにしました。お山の雲もはれて、山頂がよく見えるようになりました。

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◆昭和放水路

 松林の道は富士市に入ってから、少し荒れてきましたが、それでもしっかりついています。また、松林の中にお墓見えるようになり、少し気味が悪くなってきました。このあたりは昔から松林を開墾して作業小屋や住宅地としているようで、松林の幅は少し痩せてきました。道も松林と住宅の 間を通るようになります。

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【波消しブロック】
 松林を削って、富士マリンプールというのがあって、その付近 から再度、防波堤に戻りました(12:00ころ)。そこには波消しブロックが展示してあり、形も4種ほど、大きさも4種ほどあります。波で削られて消耗し、寿命のつきたものも展示してあり、自然の威力にびっくりさせられます。形や質感、波との 対比がおもしろかったので、ひとしきりブロックと遊びました。

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2008.5/4:タイトルの田子の浦というのが気になっているのですが、本吉原に訂正しておきます。波消しブロックのあるところが元吉原というのは微妙なんですが。地名からいうと田中新田ですね。

 

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