東海道ウォーク 沼津-片浜
2007年12月1日(土)-1
箱根湯本まできて、とうとう冬になってしまいました。
昔、1月末に箱根(強羅の近く)を走り回った経験があって、温かいところとはいえ、山には雪があり、朝夕は山道がバリバリに凍っていたので、12月はもう箱根も寒かろう。ということで、より暖かい「沼津」から富士を見ながら海岸沿いを歩いてみることにしました。
より大きな地図で 東海道ウォーク(千本松原) を表示
【3度目の沼津】
沼津駅北側のホテルを6:50ころ出発。朝飯が6:30からだと楽ですね。前回は2006年10月だったので、約1年ぶり。
7:00、以前、ウオークの終りでじっくり見 られなかった、 川廓通りに行ってみました。
そこにある水神社というのが気になっている のです。説明看板によると川廓通は、東側は狩野川に面し、背後は沼津城に挟まれた東海道として形成されてきました。江戸時代当時は、狩野川に舟運が開 かれていて、このあたりは船着き場であって、宿場町、城下町の中心地となっていたようです。
昭和30年ころまでは石畳が残っていたようで、この(新)川廓通は、そのイメージを元に整備されたようです。
さて、水神社はどこにある?とおもったらコレでし た。横にある資材小屋のほうが大きい!川廓通には、看板「ここは水神社の境内です」とあって、「どこが境内やねん」と、わざわざ公園まで行ってを探したくらいです。なんとちいさな!由来とか、なにも書いてなくて、とりつくしまもなかったです。
ここには、あゆみ橋というのがかかっていて、その向こうには神社があったはずですが、名前忘れた。あゆみ橋も前回は渡らず、気になっているがやめにしました。
船着き場を再現した川べりでタバコ休止していると、ちょうど東の山から朝日が登ってきて、ビルに反射してビルの壁が輝いてみてました。
これから歩いて千本松原まで行きます。前回のウォークでシメに入った本町の蕎麦屋さんも、朝早いので締まったまま。
途中、きれいに整備された小道があって、「蛇松緑道」というようでした。
後で地図を調べていると、沼津港に蛇松という地名があって、そこまで続いているのか?なおも地図を見ていると、湾曲した道が沼津駅まで続いていて、駅の最近傍は鉄道の印がついていました。ヘぇー、廃線か!ということで、調べてみると、貨物線であって、1887年東海道線の建設資材運搬用として静岡県最初の鉄道として敷設されたようです。1974年廃止。
ちなみに、蛇松線開通当時は沼津港は狩野川の河口付近にあって、その後、沼津港は今の位置に移転したそうです。移転とともに線路は新沼津港方向へと付け替えられ、約90年間、建設資材・農水産物・石油等の貨物輸送に活躍したそうです。
現在この貨物線跡は、沼津市により遊歩道として整備・管理されており、地元の方達の生活道路、遊歩道として今も現役で活躍しています。紹介しているサイト(High 廃 Hi!)をみていたら、所々にレールや踏切跡も残っているようで、これは再度探索しなければなりません。その機会はあるのか?
勢いで、さらにそのサイトを見ていると、三島-沼津間には、駿豆電気鉄道・軌道線(ちんちん電と呼ばれていた)というのがあって、これは前回歩いたルートだ!(三島田町駅~三島広小路駅~木町~千貫樋~伏見~玉井寺前~八幡~長沢~国立病院前~臼井産業前~黄瀬橋~黄瀬川~石田~麻糸前~山王前~平町~三枚橋~志多町~追手町(大手町)~沼津駅前)明治39年(1906年)施設~昭和38年(1963年)廃止だそうです。
このままではなかなか先に進みません。
【千本松原】
むりやり足を(筆を)進めて、千本浜公園につきました。
公園に入ったところで猫と遊ぶ。小猫を写真に撮ろうとしたら逃げられてしまいました。公園のハゼの紅葉が朝日に照らされて輝いていました。
まだ7時半ころですが、土曜日で結構人が多いです、なにか
と思ったら釣をしているのでした。その他、サイクリング、ジョギング、散歩など思い
思いの休日を楽しんでいるようです。お天気もまずまずよくなる傾向です。
今日はお天気もよさそうなので、お山も見えるでしょう。と、にわかに雲が切れて、お山が顔を出しました(Top写真、頭は雲のなか)。
さて、これから海岸ウォークです。しかし、ゆるやかな放物線に沿ってほとんどまっすぐというのはいくらなんでも単調なので、適当なところで旧東海道に戻ったり、海岸沿いにもどったりすることにしました。最初の目標は中学校(二中)あたりからとしました。
ところが、これが幸いして、すばらしいものを見つけました。名
づけて、「砂富士」!千本浜の売店付近から500mくらいのあたり、ちょうど海岸へ降りるコンクリートの石段が終るあたりの場所です。誰が作ったんでしょうか?これはなかなかの力作です。ひとたび海が荒れるとあとかたもなく消えてしまうん
でしょうね。しっかりと写真に残しました。これは再度きてみないといけない。
このあたりは釣り舟の小屋でしょうか?ところどころに建屋があります。
千本松原の中には細いけれども気持の良い道が続いています。
【街道歩き】
頃合いを見はからって東海道にでてみました(8:00)。ちょうど六代松の道標がありました。「六代松是より一町半」と刻まれています。ケータイカメラでパチリ。だいぶんたってか(正午ころ)ら気がついたのですが、このときカメラがマクロモードになっていて、ケータイで撮った写真は全部ピンぼけでした!という訳で写真はありません。
六代松の碑は道路から少し海岸よりに入ったところにあるようです。六代とは「平維盛」の子供で、平家没落後、北条時政に処分されようとして、文覚により一度は助けられたものの、結局は処刑されてしまった不運の人物だそうです。江戸時代になってそれを憐れんで、この付近を通った人々の多くが石塔を拝んでいったそうです。 今では六代松と名付けられた松の木と記念碑が立っているだけです。
これからしばらく国道を行きます。川をわたるあたりは間門(まかど)というようで、水路の水を海へ放流するための間門からきたものと思っていましたが、「マカ」はアイヌ語の「開けたる」を意味し、「ト」はアイヌ語の「湖水」を意味するという説がありました(Area YOKOHAMAというサイト)。ほんまかいな?しかし理屈には合っている。
道は西間門で国道380号線と斜めに交差していて、右側
が旧道です。旧道に入るとすぐ右手に見えてくるのが八幡神社で、ここには「沼津藩領境傍示」という、藩領の境界を示していた傍示石が残っていました。(8:10)
これからしばらくまっすぐな街道を歩きます。小諏訪、大諏訪と続くので地名を見ながら行くのもおもしろい。おもしろいのだが、単調な道ですぐ飽きてきました。正覚寺を過ぎて、片浜 小学校のあたりで、今度は海岸よりの松林の道を歩くことにし ました。(8:27)
この国道歩きで気になったのは「倉」の造りです。私の地域で普通にあるのはしっくい造りの土蔵ですが、これは総石造り。これは海岸地方だからなのか、それともこの地方独特なのか?興味があります。
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