東海道ウォーク 吉原-蒲原(1)
【ゴースト吉原宿】
吉原本町は昔の吉原宿の中心であるはずなのに、誰もいません。土曜日の朝でやむなしというところでしょうが、1カ月前の土曜の午後と同じくらいだったので、そもそも人が少ないのか?
吉原本町を紹介しているサイトを色々調べていたら、NPO東海道・吉原宿というのが若向きのサイトを立上げて、いろんなイベントを打ったり、商店街を紹介していたり、また、吉原商業高校がチャレンジショップ「吉商本舗」を出していたり、はたまた、2005年3月27日には、当地にゆかりのあった、いかりや長介さんの1周忌を機に、吉原商店街の一角を「長さん小路」と命名し活性化を図るなど、それなりにがんばってはいるようですが、結果は、人が集まっていないのでは・・・飲み屋はたくさんあるようなので、夜来ないといけないのか? どうも人が、昔ながらの商店街より郊外や市役所のあるエリアに人が移っているのでは?
しかし、毎年6月に行われる吉原祇園祭は各町内から21台の山車がでて、結構な賑わいのようで、町内組織はしっかりあるようです。商店街で一軒だけあいているお店があったのですが、よく見てみるとそれが鯛屋旅館でした。鯛屋を調べてみると創業320年といい、清水次郎長・山岡鉄舟の常宿としても知られています。もう一度来るかな?
平松さんの「街道の和菓子」サイト・吉原宿のページを引用すると、
http://www.trad-sweets.com/Top_page/Top_Menu_main.html
-----------------------------------------------------------
・・・アーケードが続く吉原宿には、残念ながら昔の面影はほとんど残っていない。40 年ほど前に、当時の行政(富士市)が吉原の旧道沿いに延びる商店街を防災街区に指定し、全店が強制的に鉄筋コンクリートに建て替えさせられた。
それまでは、吉原は江戸時代の面影を色濃く残した町並みで、それぞれ個性を競うような粋な木造建築物が軒を連ねていたという。しかし、本陣を含め、そういった建造物は全て取り壊され、移築さえされなかった。
住民の一部はこの政令に猛反対したが、時代の流れには逆らえず、吉原の町は今のような姿に形を変えた。一軒だけ、断固として政令に従わなかった店があったが、数年後に老朽化のため改築を申し出たところ、市から許可が下りず、そのまま朽ちてしまったという。
------------------------------------------------------------
どうやらこの規制に秘密がありそう。さらに今では、規制緩和で、この中途半端に古い吉原本町に投資せず、田んぼを潰した新しい土地にどんどんモダンなお店を作っているのではないでしょうか?タクシーでくる途中にはそんな所を通った気がします。
どうも地方都市にはこんなところをよく見かけます。人が集まるのは駅周辺と郊外の道路沿いの店だけで、昔からある中途半端に古い商店街などは誰も通っていません。
駅周辺をブラブラして、八幡神社、身代わり地蔵さん、天満宮を見てまわりました。天満宮は異様に彩度の高い赤い塗りで、なにかアンバランスの気もしました。紅梅もあとすこし。(9:00)
【大津波】
静岡銀行のそばには旧東海道案内標柱があって、その横に小さく案内板がありました(9:11)。1680年の大津波により大被害を受けて、中吉原からこの地に、神社やお寺もろとも宿場が移設されてきたという由来が書かれてありました。大きめの写真を貼っておきますので、詳しくは見てください。読めるのか?
ここから路地のような道を入っていきます。曲がり角の要所には標柱がたててあるので、迷うことはないです。
この通りは街道らしい風情が残っています。
一春食堂の寂びたトタン壁や煮干し屋さんの浮世絵風ペインティング(top写真)はインパクトがあってなかなかよろしい。
西木戸跡を過ぎると広い交差点に出ました(9:26)。新しく作られている吉原中心街のようです。機能的ではありますが、こうなると、どこにでもあるようなオフィス街となります。
旧東海道は交差点を渡って、斜めに入っていく道を取ります。住宅街の何の変哲もない道ですが、道祖神や神社がぽこっと現れて、街道筋というのが確認できます。
磔八幡というのがありました(9:33)。新しい絵入りの由緒書きがありました。由緒によると、1680年の大津波で大打撃を受けた農民に検地を行おうとした幕府に対して、若干29歳の、時の名主・川口市郎兵衛が断固として検地を拒み、磔刑に処せられたといいます。彼を弔うために農民たちが八幡神社に合祀したのが始まりだと書いてありました。
この絵はどこかで見覚えがあると思ったら、「サインはV」や「夕陽丘の総理大臣」等を書いた望月あきらさんの作なんです。望月あきらさんは吉原の出身らしいです。
【道祖神】
道は交差点に突き当たって、ここから広い道を西進します。
恵方巻の宣伝幟がはためいていました(9:36)。
このごろは恵方巻も大阪だけでなく関東にも拡がってきたようです。私のイナカでは恵方巻という習慣はなくて、大阪に出てきて初めて知りました。大阪でも一般化したのはそんなに新しくないようでした。うちではなんと!群馬県のコンビニから送ってくるのです(知り合いの息子さんは群馬県でコンビニの店長をしているので)。ま、おいしいものはどこのものでもおいしい。私は巻きずしが一番の好物なんです。
旧東海道は広い道の橋の手前で右(北)に折れ曲がります。まもなく富安橋で潤井川を渡ります(9:40)。
道祖神というのは知識としては知っているけど、私にとっては あまりなじみがありません。少なくも私のイナカではなんでも お地蔵さんでした。
このあたりには道祖神がいたるところで見かけます。富安橋
を渡った左に単体道祖神がありますが、私的には、「首なし地蔵さん」があると思ったくらいです。
橋を渡ると川原宿といわれる地域になり、しばらく行くと笏を持ち頭巾を被った僧行形道祖神があります(9:46)。これは袂の塞神タイプと言われるものです。塞神とは集落の守るため入口に祀られた道祖神で、蓼原と塔の木の集落の境にあるた め蓼原単体道祖神とも呼ばれています。
富士市立博物館・調査研究ノート№14(博物館だより№40より)
富士・沼津・三島3市博物館共同企画展『石は語る-祈りと想い-』
を見ると・・・・
------------------------------------------------------------
(道祖神は)富士市ではおよそ300基をかぞえるそうで、ムラ境にいてムラに災厄が入ってくるのを防ぐ、また、子どもたちの守り神であるともいわれるのが、サイノカミサンなどと呼ばれる道祖神です。
道祖神の形は、1人の神様を彫った単体道祖神(伊豆地域では僧行形が多い)、男女2人の神様が並んだ双体道祖神、「道祖神」などの文字を彫った文字碑に大きく分けられます。
単体道祖神は伊豆地域におもに分布するもので、双体は信州から富士・富士宮にかけて分布しています。富士市の中でも、伊豆寄りである旧吉原市域では半数近くが単体道祖神(188基のうち86基)であるのに対し、富士宮と接する旧鷹岡町域では半数近くが双体道祖神(39基のうち21基)となっています。富士市内では60基以上ある双体道祖神も、沼津・三島市では数基ずつしか確認されていません。また、旧富士市域では文字碑が半数(73基のうち36基)を占め、地域や年代ごとに特徴がうかがえます。
-----------------------------------------------------------
しかし、富士市ではこれより馬頭観音が多く、三百数十基が確認され、富士山麓の鷹岡、大淵、今泉、吉永や、愛鷹山麓の須津などの地域に多く分布するようです。
【富士本町へ】
さてさて、山神社を見に行ったり、富士総合庁舎や富士フィランセのそばの本市場間宿の説明碑をみたりして、鶴芝の碑を通り過ぎました。当時ここから見る富士山は、中腹の芝生のように見えるところに鶴が舞い亀が遊ぶように見える絶景で鶴芝・亀芝と呼ばれたそうですが、今日はお山は曇っているので、振り返ることもなく通り過ぎるだけです。
やがて、旧道は幹線道路に当たりますが(9:58)、ここが 街道ウォーカーには悪名高い「街道遮断ポイント」です。旧東海道はまっすぐ続くんですが横断歩道がなく、中央分離帯の植え込みに「迂回してください」の立札がありまして、「ハイハイ迂回しますがな」とブツブツいいつつ渡りました。
旧道は外科医院の看板のところでさらに横道に入っていきます(10:03)。この道をしばらく行くと身延線の線路跡を利用して作られた遊歩道と交差するんですが、見落としてしまいました。
さらに、望月整形外科医院(本市場212)を過ぎたところに碑が
あり周りは花壇になっている場所があって、何かなと思いつつ通り過ぎましたが、そこが本市場一里塚跡でした。あとのまつり。
小学校を通り過ぎると、富士本町商店街のアーケードが見えてきます(10:08)。大きな商店街ですが、ここもほとんど人がいな
い。土曜日とはいえ、もう10時でっせ!どうも吉原にしろ富士にしろ、旧商店街は低迷しているようです。
喫茶店を探して休憩したいところですが、それがなかなかありません。健康喫茶?というようなのがあって、よっぽどそこに入ろうかと思いましたが、禁煙だったので・・・結局、富士駅前まで行ってしまい、また引き返しました。
運よくあった喫茶店に入ってモーニング。犬をかっておられる
ようで、店に入りしなに一匹が散歩に出て行きました。が、中にもう一匹。人懐っこい犬で尻尾をふりふり、足にまとわりついてきました。よしよし。私は猫派ですが、犬も大好きです。
約30分ゆっくりと休憩させていただきました。(10:45)
(つづく)
| 固定リンク
「東海道53次」カテゴリの記事
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山4(2013.03.29)
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山2(2013.03.25)
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山(2013.03.25)
- 東海道ウォーク 岡崎-知立(5)【八橋-知立】(2011.09.23)
- 東海道ウォーク 岡崎-知立(3) 【矢作、尾崎】(2011.09.16)
「カミ」カテゴリの記事
- ■いまだ越えず丹波越え(4)久多谷を歩く(2015.06.06)
- 道祖本街道をあるく 粟生間谷(2013.09.21)
- 道祖本街道をあるく 宿川原(2013.09.20)
- 茨木街道をあるく 郡神社-郡山(2013.09.18)
- 茨木街道をあるく Deep Ibaraki(2013.09.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント