東海道ウォーク 倉沢-さった峠-興津
ここから先は、東海道線、東名高速、国道一号、旧東海道が一束になるようにして、山というより崖にへばりつくように走っています。東名高速はもはや場所がなく、海の上に作られています。高波の際にはすぐに通行止になってしまうようで、昔も今も難所に変わりはないようです。
旧東海道は海岸から離れて、一段
高いところを通ります。昔は旧東海道も崖の道もできなかったようで、海岸ベリを通っていたようです。あとで出てくるさった峠(薩_土+垂_峠、土+垂がIMEで出てこない)の案内板によると、波がひいた後、小走りに岩の上を走って逃げるようにして通ったといいます。箱根、小夜の中山、鈴鹿の東海道3大難所に並ぶ「親不知の」難所だった。安政元年の地震で海岸が隆起して海岸の街道は通りやすくなったんだとか。
川が2~3本あり、最後の川、大澤川の橋のそばには東海 道 名主の館・小池邱、あかりの博物館があります。が、中には入りませんでした(11:58)。あかりの博物館は東部電機工業社長でもある片山光男館長が個人的に収集した提灯、油あんどん、なたね油、ローソクなど日本の灯具1000点以上を展示しています。大正8年(1919) 築の小さな民家を利用し平成8年開館ということです。10:00-16:00(土日祝9:00-16:30)無休、500円。
道はどんどん登っていくので、これがさった峠へ登りか と思った ら、また集落が現れました。途中のビューポイントでは富士山がくっきり見えます(12:07)。ここからは4道併走状態がよくわかりました。
倉沢の集落に入ると八坂神社がありました(12:13)。が、急な 登りで登ってっていく気がしない。さらにいくと鞍佐里神社があります(12:17)。ここは登れそうです。由緒書きに「日本武尊がさった峠で賊の焼き討ちにあい、自ら鞍の下で神明に念じたが、その鞍は敵の火矢によって焼け尽くした。よって鞍去りの名が倉沢に転訛したともいわれる」とありました。由緒正しそうな神社です。なんでも、さった峠の開墾時に山上に創建され長い間「山の神」と呼ばれていましたが、昭和7年(1932)現地に移されたものとか。
石段を登ると社殿右にはなんとかいう祠(失念)、稲荷社などがあって、その横には大正14年(1925)神社新築記念碑がありました。拝殿の蟇股は野火を払う日本武尊が彫られてお りました。
境内左には西倉澤漁業組合記念碑があり右斜面には石祠4基があ
りました。さて何の祠なんでしょう。
ここから眺める富士山も秀逸です。アングルは同じだけど。
倉沢は間宿で本陣跡(川島家)があります。民家の軒下に説
明板がありました。1川島家は慶長(1596~)から天保(~1844)にかけて川島
勘兵衛を名乗り西倉沢村名主もつとめた旧家で、大名もここで休憩したため本陣と呼ばれました。
さった峠を控えた西倉沢には旅人が休める休み茶屋が十軒ほどあったということで、東海道中膝栗毛にも「爰(ここ)もとに 賈うはさゞゐの 壷焼や 見どころおほき倉沢の宿」と詠まれており、さざえや鮑が名物でした。地図をみるとちいさいながら漁港もあるようです。磯料理の倉沢屋の看板もありました。
この辺りは蔵造りの家、格子戸のある家が多いです。明治天皇が休憩したという脇本陣柏屋や、さった峠への東の登り口には藤屋があります(12:27)。藤屋は望嶽亭と呼ばれ、江戸~明治時代にかけては脇本陣や茶亭として多くの文人墨客で賑わったようです。ここは「山岡鉄舟が、官軍の江戸城攻撃を阻止する目的で西郷隆盛に会うため東海道を下った時
、官軍に追われて望嶽亭に逃げ込んだ。主人の計いで清水港に逃れて西郷と会見することができた」という所でもあります。
【さった峠】
望嶽亭の前には江戸から40番目の一里塚跡がありました(12:27)。掃除用具置場かとおもったらしっかり案内板がたって
おりました。
いよいよさった峠の登りです。登りは最初はキツイが、後はそれほどでもありません。舗装されていますが、車がすれ違えないほど細い道です。ミカン作業の農道というべきでしょう。一般車両も峠の駐車場まで乗り入れることができますが、ミカン作業の車を優先すべきと思います。当日も1台マイカーが登って行きましたが、このくらい歩いて登れ!
のんびりと登っていきます。疲れたら振り返ればお山が くっきり(12:33)。
20分程で峠の道標につきます(12:50)。目と鼻の先に駐車場と休憩所があります。
まっすぐが古来の地蔵道、左折して駐車場に通じるのが江戸時代の東海道です。 現在、遊歩道になっています。駐車場の隅には山の神の碑がありました。昭和7年(1932)山の神が鞍佐里神社に移転したときに、記念碑と して建てたもの。
周囲はミカン山が続いています。売店というより、半分行商風の臨時の お店のオバチャンが「幸田文うんぬん・・・」といってまして、何のことやら、と思いま したが、幸田文の文学碑がありました。臨時売店の他に蜜柑の無人販売も随所にあります。
東海道は碑の脇の遊歩道を下って、ミカン畑の中を進んでいきますが、なだらかで道幅もあり気持のよい道になっています。何といっても見晴らしが抜群。現在の遊歩道 は明暦元年(1655)、4代家綱が将軍になったのを祝う、第6回朝鮮通信使の通行にあたり開いた道で、道幅は4mあり、参勤交代の大名も通ったそうですから、さもあ りなんというところです。
東海道歩きやさった峠・由比の観光写真で必ず出てくるアングルの 風景もちゃんと撮り まし た(13:00)。この下を東名高速がトンネルで通っています。
この地は温かいので梅も見ごろを過ぎた感じです。早咲きの桜(ヒカンザクラか?)はもう散ったあとのようです。あ、この葛のついた樹は東海道線の電車からも見えました。
ずっと進んでいくと、今度は興津町(地区)が建て た案内板がありました(13:10)。このあたりがお山の見納めポイントのようです。
それから先は転げ落ちるような坂(階段)を降りていきます。 降りついて視界がパッと開けたところに墓場があって、東海道は墓場を突っ切っていきます(13:17)。ここを大名が通ったの?多分墓地はもっと後だとは思いますが、それにしても・・・・
ここには休憩所とトイレがあって便利です。10分ほどタバコ休憩としました、ここから看板にある中道と下道に分かれますが、どちらに行こう。 朝鮮通信使はそのために新しく作った中道をいったようですが、ひとしきり悩んだ後、早そうな下道をいく ことにしました。
【白鬚神社】
その前に、目の前にあるこんもりとした森が気になったので行ってみました。白鬚神社というようでした(13:30)。どうやら裏口からお邪魔した
ようです。
前に回ってみると拝殿の後ろに石段があって、その上がどうやら本殿のようです、しかも登れるみたい。本殿に直接行けるのはなかなかないと思います(イナカの神社は別だけど)。ということで、登ってみました。ま、本殿だけで何も分からないわけですが、拝殿の由緒書きを見ると、祭神は猿田彦命。延宝3年( 1675)に再建されたとありました。また、大正6年(1917)に、川端山にあった津島神社(天明年間 (1781-89)に尾張より勧請したとされる)の祭神スサノオの命を合祀してあります。白鬚明神は元々は滋賀県の高 島・明神崎の地主神であったそうな。高島の人がこちらにきたんでしょうか?
本殿両脇には彫り物がありましたが、こえは東海道ウォーカーさんのサイト「東海道でござる」によると、日本武尊の東国 平定の図が彫ら れており左側は大蛇を払っている図ということです。
逆からお邪魔しているので、拝殿前の石段-鳥居-2つに折れた石柱の順に下りながら見ていきました(13:33)。
ミカンを見ながら急坂を降りきると興津の洞踏切になります。いろんなサイトではここで線路を渡らずにいき、踏切のない場所を東海道線を突っ切っ
ていく道(道ではないけど、旧道の痕跡?)が紹介してありますが、ここではちゃんと踏切を渡りました(13;43
)。けど、その道見てみたい。
【宗像神社】
浦安橋を通って(13:47)まっすぐ興津に向かいます。橋を渡って旧道らしい道が右に降りていたのでそこを行ったんですが、すぐに本線に合流、なおも道を探していると住宅団地
のなかに入ってしまいました。あきらめて国道に合流、大きな冷蔵倉庫があった。国道沿
いは結構車が通るので落ち着かないです。峠の下りでけっこう足にきているのでモクモクと歩きます。
宗像神社によってみました(14:05)。ここは寄らないと。あの筑前(福岡県)の宗像大社を勧請したものです。祭神は奥津島姫命、狭依比売命、多岐津比売命。宗像三神、航海の守神ですね。境内の松の森 は、祭神が女神のため女体の森と称して、駿河湾が霧に覆われてもこの森だけは浮かんでいるように見えたらしいです、それでここを目標に舟人たちは船を進めたといいます。
と、ここでデジカメの電池が空っぽになりました。スペアもないし。ということで、次回はここから始めるということで駅に急ぎました。
今14:00を過ぎていますが、まだ昼食を食べてない。駅前にあるだろうと行ってみましたが、大きな料理屋は昼食時間がすぎて夕方しかあかない。しかたがないので国道筋までもどって蕎麦で締めました。それとビールも。結構いけました。
ここまできてせっかくなのでお土産に干物を買うことにしました。駅前の魚吉さん(15:00)。やっぱり桜えびだろうということで、干桜えび1500円、シラスのちりめん1000円、他にアジとかさよりとかも干物、キンメもありましたが巨大でパスしました。買っとけばよかった。値段はさすがに安いです。
ついたのは翌日ですが、一家そろってとってもおいしくいただきました。ちりめん、桜えびはギンガ(猫です)がばくばく食べていました。病気が進行しているのでほんとはやるとマズイのですが。
(おわり)
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