東海道ウォーク 由比宿
2008年3月8日(土) (由比宿)
【清酒正雪】
東名高速をくぐったあと二又のを左の旧道に入ったあたり右手に清酒「正雪」のエントツがありました。ここも写真を撮ったつもりが・・・この神沢川酒造を書いておきたいのです。
前回1月の蒲原宿で書き忘れているんですが、例の「よし川」さんに行って桜海老のかき揚げ定食を食べ、暑かったのでビールとなった訳ですが、さらに濁り酒を呑んだんです。それはできたてて(入荷したて)で、甘みがあってとろっとしていて、それでいてべったりでない、さらりとしたお酒でした。その一杯でほろ酔いになったそのお酒が「正雪」濁り酒だったのです。本来ならば1本ほしいのですが、3月ではもうないだろうし、あったとしてもこれから峠越があるんで今日は無理です。
1月頃に蒲原か由比に行かれたらぜひ呑んでみてください。これを書いておきたい。
【由比町・独立独歩】
さて、由比宿です。民家の前にいきなり一里塚(江戸より39番目)の看板がたっていました(10:15)。石柱があったはずで,写真に撮ったつもりが写ってなくて,どうしても「日本一桜えび」の方が目立ちます。少し北の国道沿いには桜えび館もあるようです。次いで枡形が現れます。
由比町は桜えび漁、水産加工、宿場観光の街なので,町も観光には力を入れているようです。由比宿には由比本陣公園 というのが整備されていて、東海道由比宿交流館という立派な施設が建っていました。私が歩いていた当時はまだ庵原郡由比町で,とうとう2008年11月1日に静岡市清水区へ編入される( た)ようですが,交流館はまだ由比町のとき(平成3年)に建てたようです。由比本陣公園・東海道由比宿交流館は由比町の独歩の気概が感じられる施設のように思いました。隣の蒲原町は平成18年(2006年)に静岡市と合併し、由比町は独立というより取り残された感じがが強くなっていたのでしょうか。
【由比本陣公園】
由比本陣は江戸から16番目の本陣で千三百坪の広大な敷地であったようです。本陣跡地は長年当時のままの敷地で残されておりましたが
、「由比本陣公園」として整備され、表門、石垣、木塀、物見櫓、馬の水飲み場、
離れ座敷の記念館「御幸亭」など,できる限り昔の形に再現されたということでした。この本陣は遮蔽型といって、建物を道路に直面させないよう、塀などで囲ってあるのが特徴で数少ないもののようです。
◆馬の水飲み場
10:20、交流館で大休止。禁煙であるものの、喫茶コーナーもありゆっくりできるようになっていました。ここで朝のコーヒー。アレルギー性鼻炎で鼻をぐすぐすやっていたら,女主人もそうらしくて、「花粉ですか,大変ですね」。今日のような良いお天気は本当に大変です。おまけに薬を忘れてきています。テラスにてゆっくりコーヒーを飲みました。
向かいには由比正雪の生家,正雪紺屋。今開いたところらしくて、焼きもち?かなにかを売っているようで,女主人が忙しそうに準備していました。写真を撮るのを忘れた。
由比正雪は、江戸で軍学を学び、神田で多数の旗本や大名家臣に軍学を教えていました。当時、幕府の改易政策で浪人が20万人にも増えていて,正雪は浪人救済を掲げ、慶安4年(1651年)に江戸、駿府、京都、大坂で騒乱を起こすことを計画,密告で発覚し府中で自決しました。これが,後に慶安事件(正雪の乱)と呼ばれるようになった事件です。
本陣の土蔵の跡地には、「東海道広重美術館」が建設され
ました。東海道では必ずでてくる広重の浮世絵が展示されています。
=====================
公式サイ
ト
:http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunka/hiroshige_art_museum.html
によると,『東海道広重美術館は、全国で最初の浮世絵師歌川広重の作品を中心にコレクションされた美術館です。広重の作品をメインに1300余点の版画が収集されています。その中には、世界に数点しか存在しないといわれる「木曽海道六十九次之内・中津川」のような貴重な作品も含まれており、浮世絵芸術の素晴しさを満喫することができます』
500円を払って入ってみると,なかなかのコレクションでとても短時間では見切れない。時間をとってじっくり観賞されることをお薦めします。自分で版画の体験もできます。
その隣には記念館「御幸亭」がありますが,パス。その前にあ るあずまやにてタバコ休憩。その横には榧守稲荷(かやの字あってるんだか?)というのがありました。これは由比本陣家の屋敷神として稲荷大明神を祀ったもので,カヤの木のそばに立てられていたことからそういう名前になったようです。このカヤは、東照神君様のお馬繋ぎとされる古文書があったようです,元のカヤの木は雷で焼失し、今のものは二代目。
ここの鳥居に特徴ありです。その高さ150cmほど(測
ったわ
けではない)で,ちょうどき中学生くらいの女の子がくぐっていましたが,かなりううつむかないと通れませんでした。
ここでゆっくりと約1時間過ごしました。
【由比桜えび通り】
本陣公園の向かい側,正雪紺屋の隣には脇本陣跡があります。饂飩屋四郎兵衛 (平野家)という屋号をもっているようです。平野家は当時の歴史的美術品や文献も所蔵していますが非公開のようです。現在の建物は百数十年程前に改築されたもので,黒塗りの塀が落ち着きを現わしています。
饂飩屋四郎兵衛の隣は明治の郵便局舎(平野家)でした
。明治39年(1906)由比郵便局長となった平野義命が,自宅があったここに洋風の局舎を新築し明治41年1月より郵便局を移転したもので,昭和2年(1927)7月まで使用されたようです。現在は饂飩屋四郎兵衛跡とは別の平野家邸宅となっています。塀の造りがよくにているので同じものと思っていましたが,違いました。中の建物はハイカラで壁色の感じも素敵でした。
東海道歩きのサイトを見ていると,「ばったり床几」というのがあるようですが,見落としました。普段は往来の邪魔にならないように写真のように閉じておき,下の部分を手前に引くと、椅子になり休憩することができるもの。ハテこれはどこかで見た記憶があります。今住んでいる街のどこかです。こんど探しておきます。
由比川を渡ると(10:25)宿場のはずれとなって、それまであ ち こち見かけた桜えびや魚のお店はぐっと減ってきます。ふりかえると宿場通りは写真のような感じで、お天気がよいので橋の欄干にもたれておじいさんとおばあさんがひなたぼっこをしていました。橋の向うの蕎麦屋さんが気になる。
10分程歩けば、東名高速、国道1号線、JR東海道線、旧街道が絞られるようにずっと近寄ってきて、由比駅につきます。ここには桜えびが向かい合った大きなアーチが迎えてくれました。ブルーのアーチ(正確にはアーチでなく|~~|こんな形ですが)のピンクのエビですから相当目を引きます。今きた道は「由比桜えび通り」というのだそうです。 赤いポストがいい味出してます。
(つづく)
| 固定リンク
「東海道53次」カテゴリの記事
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山4(2013.03.29)
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山2(2013.03.25)
- 尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山(2013.03.25)
- 東海道ウォーク 岡崎-知立(5)【八橋-知立】(2011.09.23)
- 東海道ウォーク 岡崎-知立(3) 【矢作、尾崎】(2011.09.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント