細切れ道草・東高野街道(2) 招堤-出屋敷-大峰
2009年3月7日
【国道歩き】
ここからどうしても国道歩きになります。おもしろくはないが・・・しかし,車で通るとは違い、いろいろ発見もあります。しかも最近はあまりこちら方面には来ていないので,かなり以前より変化があります。
家具団地交差点から東・南側,塀で囲っているので住宅街でもできるんだろうか?国道の西側にはフォレオひらかたというアミューズメントセンター,ショッピングセンター?ができてお りました。かなりでかいです。みると, その中に「枚方高野道食堂」の看板が。高野道の道は消えても名前だけはこういう形で残ってるんです。中古車センターのあった場所は整地してだだっ広い空き地になっていました。こんなに広かったか?と思うほど,相当広いです。また住宅街,マンションか何か建つんでしょうか。
より大きな地図で 東高野街道1 を表示
招堤の池の交差点を過ぎたところに,こんもりというより雑然とした木立のかたまりがありました。,どうもお寺らしくないお寺のようでした。看板 の字もはげていて読めない。■龍山飛鳥地蔵か?地蔵菩薩が本尊ですが,弘法大師もちゃんとおまつりしてあるようです。街道もこのあたりを通っていたのか?こんなものは車にのっていたら絶対分からない。
大林の工場を過ぎ,本覚寺入口を過ぎると,国道と分かれて左手(東)に小路が入っていきます。とりあえずこの道をとります。まっすぐ行くとラブホテル街にのような所を通り,山田池公園に突き当たりました。弘法大師もびっくりでしょう。ここで小休止。
【出屋敷】
招堤から出屋敷までの古街道はまったくよく分からないです。高野道から枚方企業団地を突っ切って,池の西を通って
穂谷川に突き当たって,川沿いに出屋敷に至るというのが自然なような気もしますが,分かりません。だいいち,出屋敷の街道入口はあるにせよ,どこからつな
がっているの かが分かりません。
日置今池街道というのがあって,穂谷川を渡って出屋敷方面に向かう道がある んですが,その道は出屋敷の街道のすぐ東側の農道のような小道につなが るのです。ボクは地図を見ないで,いや,見てはいたんですが,間違えてしまい,その農道に入ってだいぶ行ってから気づいて,出屋敷の街道入口まで引き返しました。
出屋敷街道入口は,道を隔てて正面に家があって,この街道はどこにつながるんだ?あて曲げ・宿場町の枡形みたいに,あえて直線とせずに,「 のように曲ってから日置今池街道につなげているんだろうか? 田口山グリーン・ブログ(※1)によると,出屋敷はもともと田口の出屋敷であって,江戸時代に新しく作られたもののようなので,古来の街道筋を無視して「ココ」というように決めたんでしょうかね。
出屋敷の街道筋はまことに気持のよい道です。国道の喧騒がうそのようです。のんびりと写真を取りながら往復しました。距離にして300mほど。途中には, 東高野街道の石柱もたっています。
出屋敷出口近くにある円通時には枚方市の説明板があ
る
がアミフェンスの中にあるので読みにくい!
枚方市の公式サイト・遺跡情報ページには出屋敷の若干の解
説と説明板の原稿(pdf,※2)が掲載され
ているので参照してください。はて?ここは遺跡なのか!?現役の街として捉え
て拡充していかないとあかんのちゃうか!
----------旧東高野街道(出屋敷) 説明板 ----------
高野山参詣のために整備された街道であるが、その歴史は古く平安時代の官道である南海道に遡る。南海道は、律令国家体制の崩壊とともに機能を失墜しつつ
あったが、高野聖の台頭を機に碑がちの高野街道として再び重要視され、平安時代後期から室町時代の末頃まで貴族による高野詣での頻繁な往来で賑わった。以
後も慶長6(1601)年に京街道が整備されるまで、山城と河内を結ぶ幹線道であった。
その道程は、山城と河内の国境の洞ヶ峠から現在の枚方市域を縦断し、生駒山地西麓を南下、さらに石川沿いを遡り河内長野で堺を起点とする西高野街道と合し、紀見峠を越え橋本を経て高野山に至る。
本市域では、洞ヶ峠から高野道・招提新大池・出屋敷・山呂大池・交野市郡津を経由して茄子作を通過するが、出屋敷は家並みとともに、かつての面影を今に留めており、旧街道に臨む多田家の生垣には、人々の往来を偲ぶように道標がひっそり佇んでいる。
枚方市教育委員会
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ということで,これから行こうとする行程が書かれています。東高野街道は河内長野までですが,少なくも橋本までは行ってみたい。
※1:http://ga-ko.gaku-shin.com/?day=20080608
※2:http://www.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/bunkazai/serch/bunkazai/pre01.htm?tuNo=156#
【大峰】
出屋敷街道筋はあっというまに終ってしまい,また
喧騒です。ここで古街道は消失し府道と合流します。その先には枚方市の体育館がありました。
なんの変哲もない住宅地の道です が,どうも古くからの村の中の道のようです。ここを街道が通っていたのかも知れませんが,しかし,方角はまっすぐ南下していて,工場団地にぶつかります。その先は田んぼだったと思いますが,春日を通って倉治に向かい,山根街道に行き当たり,結局は東高野街道に合流することになるので,ひょっ とすればそういう街道(間道)があったのかも知れません。そうそう,前に書いた吉井の「向て右洞ヶ峠」の石碑からまっすぐ南に長尾に向かう道が山根街道になるのでした。
大峰はやや雑然としているものの,静かな村の中の道でし た。こういう道には必ずといっていいほど協同作業所(集会所 ?)がありまして,掲示板があったり,行事の予定が貼ってあったりと,コミュニケ-ションセンターになっているようです。こういうところがしっかり管理されているほど住み易い街ではないかなと思ったりします。錆びたトタン板もなかなかよろしいのでは。
(つづく)
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