細切れ道草・東高野街道(2) 八幡月夜田-高野道
2009年3月7日
【月夜田】
さて2回めは八幡月夜田から星田までを歩きます。いずれも天にちなんだ名前ですね。
月夜田とはなかなか美しい名前と思いますが,なぜ
このような名前が付いたか?各地にも月夜田とか月夜畑というのは結構あるみたいです。ある方が「月夜」地名で調べた結果(※1)によると,圧倒的に東国が多い。福島,東京,長野・・・地域の偏り,これはこれでおもしろそうだが,由来は分からない。さらに,月夜畑の由来(※2)として,収穫の秋の日は短く,お天気の悪い年など短期に収穫が集中する。そうなると,夜業仕事に稲刈りをしないと取り上げが終らないので、夕飯もそこそこにして田 甫に急ぎ稲を刈る。月の明かりで稲刈りするから月夜畑となった,とありました。
※1:http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/35825525.html
※2:http://www.musubu.jp/chimeitukiyobata.htm
たしかにボクの経験からいっても,稲刈りは昼間にできたとしても脱穀が間に合わない,雨の予報が出ているときなど,無理を承知で夜なべ仕事で脱穀をやったことがたびたびありました。タイミングの悪い場合はどこの家もそうでした。
あるいは,人目に知られないようにこっそり月夜に田んぼを作った?このあたりは多分八幡宮の土地だと思うので,そんな勝手はできないでしょう。決め手がないので,ここでは,月の光が田んぼに映りこんで美しいところであった,という風流心をその由来にしときましょう。
【円福寺道標】
いきなり「向て右洞ヶ峠」という石碑が現れました。これも
三宅碑で三宅安兵衛依遺志建之の文字が彫られています。円福寺への案内碑でもあります。
向て右 洞ヶ峠二丁 圓福寺五丁 田ノ口三十丁
向て左 西二子塚三丁 美の山五丁 長尾三十丁 峠五丁
しかし,住宅地へいくような道だったので行くのはやめました。もう1回くらい右に上がる道はあるでしょう。
※この道標は、ボクが歩いた後、数年も経たないうちにトラックが衝突した(へし折られたかどうかは、八幡観光協会からのメールを紛失したので不詳)ということで、某所に保管してあるそうです。
このあたりからそろそろ八幡名物中古車解体・もぎ取り販売のメッカであります。ポンコツ街道はもうひとつ東側の通りで一ノ坪あたりに集中し ています。
そうこうするうちに右に上がる道もなく,早くも国道1号線に出てしまいました。交差点前に細い山道のようなものが右に上がってあいた
ので,それを行きました。よその家の庭をのぞくような感じになります。昔ながらの峠道はこんなであったか,と思うような見晴らしのよい道でありました。す
ぐ横を国道1号線が走っていて,そうとうウルサイ。
【消えた古街道】
洞ヶ峠交差点:一号線との新しい道・山手幹線との交
差点にきてしまいました。ここから南,一号線東の丘陵地帯の開発は著しいものがあります。摂南大学薬学部,実験センター。昔からある家具団地を挟んで,さ
らに南には大阪工大情報科学学部,そして北山の住宅街へと続きます。北山の住宅街にはポエムノール北山なんぞといハイカラな名前がついておりました。日和
見でうさんくさいイメージのつきまとう「洞ヶ峠」を嫌ったか?
ここからやむなく国道歩きに入る訳ですが,あまりにウルサイので,洞ヶ峠の頂上・
NTTの中継塔を右に見ながら,男山につながる新しい道を北に取りわき道をさがしました。この道は洞ヶ峠の丘を切り拓いて作ってあるので取りつく島もないです。陸橋のたもとから下に降りるみちがあったので,降りてみ
ました。この道か?
さて,旧道は?なぎさの民俗学者さんのブログ「東高野街道 洞ヶ峠を歩く」 ※3によると,先程の「向て右洞ヶ峠」の三宅碑から西へ安居塚の住宅地に入り住宅街の真中を突き切る形で道があったといいます(地図参照)その道はNTT の中継塔のそばを通り,男山道の上のほうを渡り,円福寺墓地とトヨタカローラの間を通ってくら寿司に至り,ここで1号線と併走する形だそうです。今降り 立った道-円福寺門前を通る道が高野道だと思っていた訳ですが,それは違う。旧高野道は消滅しています。
より大きな地図で 東高野街道1 を表示
なぎさの民俗学者さんは,古い地図を元に路地の裏の裏まで歩いて実地検分されているので説得力があります。そうとう執念深く追求されているようです。
仕方がないので,間違いの街道を円福寺前までいきました 。竹薮の道で,あまりきれいではないが,タケノコ育成のためにか一応整備はされているようです。
円福寺は8ー9年前に仕事で来た事がありまして,そうそうこの門前の十字路は見覚えがあります。すぐ東側は1号線でかやぶきの茶屋があり,ここから森の中の参道を50mもいけば円福寺となって,1号線の騒音とは完全に隔絶された静かなス ポットになります。それまで近くを車で通りながらこのような静寂なお寺があるとは全く知りませんでした。
国道に行く気はしないので,枚方ハイツの住宅街を抜けていくことにしました。
洞ヶ峠で消滅した古道は高野道2丁目の
枚方ハイツの境界付近で痕跡を表わします。大阪ガス整圧器室というのがあって,脇道の跡らきしきものがありましたが,フェンスで通行止。施錠がしてありました。のぞき込んでみ
ましたが,枯れ草ボウボウ,ゴミありで,きれいとはいえない,いかにも裏のガラクタ置場みたいな所でした!
西側は新しい住宅が建設中でした。このあたり,高野道とい
う地名とはうらはらで,名前と違う感じがしました。
高野道の住宅街を抜けると,家具団地前の交差点に出ます。ここから街道は,万代スーパーと工場群の間を通るハズなのですが,行くのはやめました。どうせ,途中で消えていて工業団地の真中を突っ切っているのだと思います。
(つづく)
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