細切れ道草・高野街道(2) 三日市-天見
2009年5月15日 三日市ー天見
さてゴールデンウイークの喧騒もおさまって,三日市から橋本まで歩きます。
新今宮経由で南海高野線に乗換え9:30ころ三日市町。河内長野までは急行なので結構早かったです。しかし,朝はやっぱりコーヒーということで,駅前のフォレスト三日市の喫茶店があいてところだったので,まず休憩。いろいろ用事をかたづけました。ビル横の入口にはツバメが巣を作っていて,大きくなった雛が押し合いへしあいしておりました。落ちそうだ!
【石仏の道】
街道を歩きはじめてすぐ,橋のあたりに八里石があったはずですが,エンジンがかかったところで見落としました。写真は橋を渡ってしまったところ。(9:55)
街道はすぐに国道371号に出合い,ここからは国道歩きです。371号は西にも走っていますが・・・幸い今日は車が少ないです。新町橋を過ぎて少し歩いた所に,右の山の中に入る道がありました。ここが旧道のようです。(10:08)
まもなく陸橋で国道を渡ります(10:10)。石仏北ランプで2本の371号線が合流します。青い看板には「橋本まで16km」の文字が見えます。峠越えとはいえ,16kmならゆっくり行けると思います。
前方を見ると,国道筋の喧騒とは打って変わった静穏。ずっと山並みが続いて,遠くに岩湧山が見えます。この落差感覚はおもしろいです。
道はどんどん登っていき,石仏の村に入ります。のどかな村です。きれいに田んぼの岸の草刈りがされています。田舎へ来るとこのような日常の手入れが行き届いているので美しいのです。だいたいはご主人が農作業の合間にやるか,おじいさん,おばあさんがやるんですが,この景色をみていると働き
手は足りているように思います。高齢化して限界集落のようになってしまうと,働き手がなくなって荒れてきます。ここはまだまだ大丈夫のような気がします。
分岐(10:17)。この坂を降りるとまた国道に合流します。右に行くと石仏寺のハズです。
ここから4~500mくらいは国道歩きです。歩道がないうえにトラックがかなりのスピードで追い越していくので危ないです。これは歩く気がしない。つぶれたドライブインのすぐ先に農道のような道があって,迷わずそちらに入ります。(10:23)
【岩瀬の村から】
歩きやすい道が続いてきます。そろそろ田植えでしょうか。苗が元気に育っています。
田んぼの準備ができています。岸がきれいに刈り込まれています。もう数週間したら田植えになって,そのころきたら岸にはきれいに草も生え揃っているんでしょうね。(10:30) このあたり清水から岩瀬の集落に入ります。(10:35)
あとで地図を見ていると(歩いている今持っているのは5万分の1地形図),このすぐ山の上は美加の台のニュータウンです。そこは横文字の建物が多くて,南海アーバンコンフォート,南海アーバンパレス,デイリーカナートイズミヤ,お医者さんも○○医院でなく○○クリニック・・・・片や,岩瀬の棚田に田植えの準備,岸の草刈り。しかもこの位置関係だとお互いが見えない,その存 在すら分からないのでお互いの交渉もまったくないのでしょう。このギャップ,いいのか悪いのかよく分かりませんが,昭和30年代以降,このギャップをどんどん増幅させる一方だったのでしょう。ときたまボクみたいな物好きがふらっと迷いこんでくるくらいなんでしょう。
田舎の良さはじっくり構えてあまり急激に変らないことだと思っています。しかし,余裕を持って平気で変らないのか,それとも,変えないために,苦しい中必死で持ちこたえているのか,?この付近の様子がよく分かりません。家並みを見るかぎりでは余裕があるような気がします。ここの強みは大阪に近いこと。河内長野まで出れば急行で40分で都心というのは強みです。近くには大きなニュータウンもあるし。これを活かせばこの地の農業や(林業も?)あるいは文化面でも,イナカはイナカの良さをウリにしてじっくり構えて将来設計していけるのではと思います。近隣のニュータウン住民との接点を作っていくことが将来設計のきっかけになるのではと思います。
まもなく千早口の駅です(10:50)。ここに喫茶店がありまして,よっぽど入ろうかと思いましたが・・・喫茶店というより茶店の感じでよかったのですが。駅前にはたばこ屋さんもあって,お菓子やパンは売っているようです。ペットのお茶を補給しておきました。
ここでタバコ休憩。休憩していると同じ風体のおじさんが歩いてきました。峠越えのようですが・・・
【南海高野線・廃線跡】
駅前の道をまっ過ぐ行くと,あれれ?行き止まりです。民家の庭に侵入してしま
いました。しかたがないので線路際まで迂回するようにして歩いていきます。まも
なく車道に当たりますが(10:55),まっすぐ川の右岸を行く道もあるようです。これは天理教の教会の中を通るようだったのでパス。陸橋の下に旧道らしい道があったのでそちらに行きます。
あとで調べると,天理教前の道は国道の危険をさけるための遊歩道兼生活道路(通学路?)のようで,天見までずっと続いています。丘の中腹にみえる,柵をしているところがその道です。
いろんなサイトを見ていると,これはもともと,南海高野線が単線軌道で運行していた頃使用していた線路跡で,その 廃線跡を利用して遊歩道にしたものだそうです。
ふと思って,ボクが持っている国土地理院の5万分の1地形図「五条」(昭和36年版;なんと測量は昭和6,7年,要部修正測量昭和33年!!。掲載地図参照※)を見ると,おお,高野線は紀見峠直下までトンネルなしで運行していました。そのラインをみると今の遊歩道にぴったりです。とすると,石仏を過ぎて国道を外れて入った農道みたいなところは線路跡を横切ったようでした。この旧線路跡をGoogle mapの方にも赤で書き込みをしておきましたが,一部不明なところがある。5万
分の一地形図をルーペで拡大してみましたが,やはり細部は分からないところがあります。
あとで鉄っちゃんのサイトを調べると,さすがにキチンと踏査したレポートがありました!
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※国土地理院の5万分の1地形図「五条」(昭和36年版,昭和6,7年測量,要部修正測量昭和33年)から転載。測量法29条,国地達13号承認取扱要領2条の規定による。
より大きな地図で 高野街道 を表示
柵といえば,イノシシとか出るんでしょうか。うちのイナカも同様で,山際の田畑の境目にはずと柵をはり巡らせて,電流も流しているんで危ないです。写真をよく見ると畑の野菜みたいなものにカンレイシャがかぶせてあります。
【おおもうけの話】
何かお堂があると思ったら,それは「松明屋」という元お店でした。弘法大師にゆかりのあるもののようで,看板(由緒書き?)に説明がありました。が。全部は読めない!河内長野市ホームページ「河内長野市には,弘法大師直伝のちまきを売って,大儲けした人がいた!」というタイトルで解説がありました。
http://www.city.kawachinagano.osaka.jp/kakuka/kyousha/history-hp/gyoumu/topics-list_09.html
それによると,戦前までは弘法大師直伝の粽(ちまき)を作って売っていたそうです。それにしても瓦はきれいだし,建物も傷んでいない。トユに至っては新しく改修した形跡がある?最近でも,毎月二十日の夜に月並祭を行い,大師を祀り,色餅をついて供えているというので,近隣の人やゆかりのある人が維持しているんでしょうか?
建物の前にある「おたいまつ」の石碑には,
施主 大阪 北い組
明治二十八年五月建立 (5月と読める)
と彫ってありました。北い組とは大師講のようなものか?相当人気があったことがしのばれます。
この家の軒に松の古木があって,大師にまつわる伝説が河内長野市のサイトに紹介されていました。
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大師が京へ散内するとき,高野山を丁度子の刻に松明を照らして出発し,道中ここまで来たところ,夜が明けた。この家で休憩をした空海は,お礼に粽(ちまき)の製法を教え,松明の燃え残りを軒端の地上に突き立て出立したが,不思議なことに,この松明が芽を出して成長し大木になったと言われている。
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写真にある切り株がそうなのか?現在三代目だそうです。
そうそう,道中で思い出しましたが,前回。京や大阪から高野山までお公家さんはゆっくり,と書きましたが,どうも違うようでした。もっと強行軍のようで,50kmくらいは歩いたとされています。四天王寺-九度山慈尊院を1日で歩いたようです。馬でしょうけど,お付きの人は大変だ。失礼しました。
出典:http://www.city.kawachinagano.osaka.jp/kakuka/kyousha/history-hp/gyoumu/topics-list_10.html
石垣に紫蘭(11:01)。まことに美しい日本の5月。この先で国道に合流します。
橋の傍には家があって,登っていく道もありましたが,庭に侵入しそうなのでやめました。ここから先,歩道がないので,国道歩きは正直危ないです。しかし,少し先には七里石もあるので注意しながら歩きます。
遊歩道に行こうとしたが,アクセスする道は工事中でした。遊歩道も工事か?(11:11)
【天見の村】
少し行くと視界が広くなってきました。天見の村です(11:15)。ここは分岐になっていて,地図をみると山の上に関電の施設があるようでした。ここでタバコ休憩。対岸には細いみちがありましたが,あれは旧道か?
天見の集落に入ると(11:20)。遊歩道に上がる道があったので迷わずそこに行きました。やれやれほっとします。あの国道はさすがに歩く気がしない。この道はゆったり歩けます。先行者1名,ゆったりと歩いています。この先には天見小学校もあるし,まさか通学にあの国道を歩かせる訳にはいかないですね。
廃線跡らしく急坂やカーブも少ないですが,特急電車が通るにしては坂道は急でカーブも急なように感じます。南海高野線をここに通すのにはそれなりの苦労があったと思います。
11:27,河内天見駅着。その手前に甘味処がありました。この田舎に?と思いますが,ここには南天苑という温泉旅館があるんでした。
南北朝時代に近郷の流谷八幡神社の宮司が湯治場を開いたのが始まりで,高野山参拝客らの人気を博したとのこ
とです。その後神社ともども焼失,再建もならずそのまま廃湯となったそうです。
時は下って,昭和10年,堺大浜にあった"汐湯"をそっくりそのままのかたちで,古来からの温泉ゆかりの天見に移築し,高野山参詣のための温泉旅館にしたのがこの南天苑であるということでした。行ってはいませんが,写真をみるとなかなかの旅館らしく,建物は明治・大正を代表する建築家辰野金吾氏が手がけたもので,平成15年(2003年),国の有形文化財に登録されたそうです。
天見は南天の里でもあります。
(つづく)
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