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2009年6月 3日 (水)

細切れ道草・東高野街道(5) 安堂-道明寺

                     2009年4月 12日 その1

【石川合流】
 安堂から再開です。
 早起きして,家を7;00バイクで出発,駅まで行って駐輪場で200円払って,一応努力はしましたが,電車に乗れたのが7:20過ぎ。日曜なので本数が少ない。おまけに放出-大阪東線-俊徳道-近鉄・山本-安堂のルートで来たので乗換えがやたら多い。結局,安堂着9:00過ぎでした。次回 は考えねば。

より大きな地図で 東高野街道4 を表示

 安堂は,727化粧品の本社があるところでした。新幹線でみる看板の会社ですね。ここにあったんだ。

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 よけいな回り道をしましたが,大和川を渡る橋のたもとにき ました。「三番樋」の看板が。治水記念公園のところ(二番樋)と,ここから大和川の水を引き,この少し先で合流して長瀬川になるようです。大和川付け替え の時から,旧大和川流域の潅漑用水,排水路として活用されて今に至ります。川岸は「アクアロードかしわら」として,整備されているようです。で,一番樋っ てどこ?

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 ここで大和川の橋を渡ります。大河です!渡ったところに 付け 替えの起点標と看板がありました。工期8か月,川床になった土地270ha,新田となった土地,1050haと書いてありました。

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 橋を渡ると藤井寺市です。河川敷はスポーツ公園になっていて ,野球大会をやっていました。ここの河川敷や堤防も。広い開放的な気分に なれる場所です,

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 堤防には石川合流点という石標がたっていました。大和川は付け替え起点のすぐ上流で石川が流入してきます。なるほど,この2つの川が一緒になると台風や梅雨期など水量が巨大になるのはわかります。これが洪水のもとになるのはよく分かります。

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  子供のころ地図を見るのが好きで,近畿地方の地図をみてい て思っていたことがあります。それは,奈良盆地は文字どおりお盆のような格好で,大和全域の水を集めて,その水が奈良盆地からあふれたのが大和川になる と,そして,その水が大和川一本で下ってきたら川下は大変だろうなと,そんな感想を持っていました。その通りだったんだというのがここを見てよくわかりま した。

【允恭天皇陵】
 道明寺東小学校の先の三叉路から西に行ったところに市ノ山古墳があります。これが允恭天皇陵とされている古墳です。遠くからでもよく分 かります。写真のまん中,神社の向うに見えるのが允恭天皇陵,左は倍塚です。倍塚には「允恭天皇恵我長野北陵倍塚」と彫った石碑がありました。

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 神社(國府八幡神社)の横の路地みたいな道を進んでいきます。住宅が建っていて見えませんが,その切れ目から覗いてみると,大きな空堀がありました。その向うは単なる林!丘 に生えた樹木しか見えない。墳丘230mの前方後円墳というのでかなりの大き さです。これは5世紀中頃から後期にかけての築造とされています。

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 見晴らしを求めて,ずっと西へ歩いて行きましたが,きりがないので引き返しました。あとで地図をみると,近鉄土師の里駅の至近距離まで行ってた。ここからわざわざ元の神社のところまで引き返したという・・・

【道明寺天満宮】
 引き返した神社の先で道を間違え,元の三叉路まで戻ってしまいました。その時はまちがえたかどうか分かりません。ひとつ手前の道でよかったんですが,あまりに普通の住宅街の道だったのでスルーしてし まいました。
 さてそこからが難儀で,近鉄の線路にはばまれ行き止まり,迂回してみたものの分からなくなって,えいやで南下。住宅街の中を曲った り行ったりです。すぐ西はこんもりとした樹が茂った丘になっていて,仲津姫陵古墳(仲津山古墳)にしては近すぎる。住宅にはばまれて,そばまでいけませ ん。地図では東に道明寺天満宮,西に仲津姫陵のハズなんですが。

 住宅街の道を抜けてやっと分かりました。そのこんもりとした丘が道明寺天満宮でした。やれやれ。結構大きな神社です。http://www.domyojitenmangu.com/index.shtml

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 桜も満開を過ぎて,散り初めですが,これはこれで見事。
 ぶらぶら見学していると,大きな木造の船がありました。「修羅」。詳細は案内板を見ていただきたいですが,5世紀半ばのものらしく,土師氏が土木工事に使った ものとの見解が ありました。古代・土師氏も相当高度な土木工事をやっていたのがうかがえます。このあたりの古墳築造は土師氏作なのか?こ こに展示してあるのは復元修羅で,宮大工・西岡常一さんたちの努力によるものらしいです。

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 天満宮ですから,菅原道真が祭神ですが,そういえば菅原の 先祖は土師氏なのでした。先祖は野見宿禰。伝説では,野 見宿禰は天穂日命の14世の子孫で,当麻蹴速と角力をとって勝ったので,蹴速が持っていた大和国当麻の地を与えられ,以後,垂仁天皇に仕えたといいます。 さらに,垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣の姓を与えられ、そのために土師氏は 代々天皇の葬儀を司ることとなったとあります。
 伝説はともかくとしても,このあたりは土師氏の地盤であり,このあたりにやたら多い古墳造営の土木を担当したとみてよいように思います。

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 大成殿という倉庫みたいな小さな建物があって,なんとななく 沖縄あたりの屋根のつくりと思ったら,孔子およびそのお弟子さんを祀る儀式が行われる重要な建物でした。中国風か,どうりで神社とは趣が異りました。

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 このあたりから,やたらリュックのおじさんおばさんが多いです 。手にはマップ。そのマップ欲しいが・・・駅でもらったんでしょうか。先程,駅まで行っておけばよかったと思いますが,あとのまつりです。

 

(つづく)

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