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2009年6月 8日 (月)

細切れ道草・東高野街道(6) 富田林-汐ノ宮

2009年4月 30日 その2

より大きな地図で 東高野街道5 を表示

【寺内町を抜ける】
 東高野街道は一里山口から入って,亀が坂筋を南下,途中御坊町の通りを興正寺過ぎまで行って,富筋から向田坂へ抜けるようです。

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 富筋の南突きあたりには「町中くわへきせる ひなわ火無 用」の看板が。今も同じですね,気をつけねば。

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   道標には,

 「左 ふじいでら」
 「右 まきのお寺,高野山」

とも書いてあるので,高野山方面から来た人が道標に でしょう。

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ちょうど11:00,ここから街道は向田坂を下っていきます。

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 今度は西方寺の裏手あたりからわざわざ坂を登っていきます。ここの石垣にはおもしろいものが。石臼の残骸ですかね。放射状の溝とコケがいい感じです。

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 どんどん登っていきます。坂道の横が寺内町来訪者用 の駐車場になっているようでした。

【錦織】

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 富田林高校を過ぎると視界が開けて遠くが見渡せるようになって俄然ピッチが上がる訳ですが,すでに旧道の入口を過ぎてしまったところでした。旧道は弓なりになって家の間を抜けているよう で,次の合流点までいって気がつきました。

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 広い道に突き当たると,「かすうどん」の看板が。おいしそうですが,まだお昼には早い。ここは川西駅前のようです。170号と近鉄の線路をくぐってすぐ左に入ってい る路地みたいなところに入っていきます。住宅街を抜 けると今度は国道309号を渡ります。旧道は写真の大きなお屋敷の向こう側まで行って橋 を渡るようですが,めんどくさいのでここで済ませます。結局は村の中で合流しますが・・・

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 村の中に入ると街道らしい雰囲気になってきました。大きな田舎家,道端の地蔵さん,石燈篭と出てきます。この石燈篭が今通っている道から枝道に少し入ったとこ ろになるので,そこが旧街道かも分かりません,このあたりは錦織(にしこり)村ですが,石川の河岸段丘の上に発達しているようです。街道も水害を避けるようにして,そこを通っています。

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 錦織というくらいなので,錦を織る人々がいたのでしょう。 錦織神社の由緒を拾い読みすると・・・・・
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当地は古来「錦部郡」と称し,大和朝廷に通ずる要路を占めていたために,浪速京より水路を主とする交通 の要点にもなって早くから大陸文化が移入された。「和名抄」に見える余戸郷,百済郷との称もあり,帰化人の郡落をなしていた。又「爾之古里(にしこり)」 とも称され,後に錦部郡となったものであるが,古代においては,百済より帰化した諸藩が広く土着して綾錦織等を朝廷に奉り,文化向上に貢献したことが伺わ れる。
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 石川を遡ってきたんでしょうね。昔から重要な川だったことがうかがえます。

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 さて分岐です。地図を持っていないので,ここが 判断のしどころなんですが,まさか段丘上を通る街道がわざわざ降りていくはずはない,と思って右に行くと・・・・一面のレンゲ畑になってしまい,大間違い。引き返しました。たまにはこういう判断ミスもある。

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 どうやら滝谷不動が川向こうにあって,そこにお参りす る人のために一旦河原の線まで降りていくようです。この道にも大峰山の 道標とか大峰登山の満願碑があります。大阪大谷大学がこの辺にあるのは知りませんでした。通学はどうするんでしょう。近鉄だとは思いますが,遠いのでは?

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 駅前からは同じような風情の街道がつづき,線路を渡っ ていったん国道に合流します。

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【石川大蛇行】

 ここから国道歩きになる訳ですが,幸い車は少ないので歩きにくいことはないです。その代わ りスピードをだ している。

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 地図をみていると,石川が大きく蛇行してい ます。昔はもっと蛇行していたらしく,西側から段丘が山の尾根のようにながく延びだしていて,U字型に田んぼ(今は畑とハウス栽培)を囲んでいます。街道は錦織の村から段丘のハナに取りつき,このU字を通っていたように思います(一里塚のできるより前の話です)。今は近鉄の線路をくぐる農道があって,ハウスのある農地へ入っていきます。あえて,国道を離れてそこ に入ってみました。高さ10~20mくらいでしょうか,樹々の生い茂った段丘が延びていました。ここを半周してまた近鉄線路をまたぎますが,旧道は線路の手前で丘に登っていく道をとるものと思われます。
 このあたりには大阪府下唯一と言われる錦織一里塚があるはずなんですが,先程の迂回によっていけませんでした。線路を渡ったほんの100mほど戻ったあたりだと,あとで分かったんですが,あとのまつりでした。これは再訪決定かな,電車もあるし。

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 今回は旧道を行かずに国道を行きます。なぜって,今12:14,お昼の時間なので,コンビニか食堂を探すんです。汐ノ宮も近いのでありそう,と思ったら,延々と歩き,汐ノ宮駅前まで行ってしまいました。

(つづく)

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