細切れ道草・東高野街道(6) 汐ノ宮-河内長野
2009年4月 30日 その3
【河内長野市街へ】
駅前の食堂でお昼にしました。昔ながらの駅前食堂風。親子丼,みそ汁,冷や奴。結構うまかった。昔,モリシゲの映画で駅前シリーズというのがありましたが,駅前風景または駅前食堂シリーズというのもおもしろいかも,といいながら写真はありません。どうも絵になりにくいが,なんかなしに撮りためていくと良いのかも。
より大きな地図で 東高野街道5 を表示
12:45出発。駅前から坂を登っていって旧街道に合流します。写真は坂道から撮った汐ノ宮駅前です。
しばらくは段丘上の道を真っ直ぐ南下していきます。約10分で,また坂を下ります。せっかく登ったのに・・・・街道は新しい広い道から離れ,さらに国道を横切っていきます。新道からちょっと横道に 入っただけでまったく感じが違い,古い祠や土塀の家がありました。
極楽寺の大仏さんの背中が見えるところで 国道に合流し,ここからは極楽寺経由で行く丘の道と踏切を渡っていく平地の道に分かれるようです。
ボクは平地の道を行きました。工場街の中を通るような道でしたが,途中,スイミン グスクールがありまして,
「祝オリンピック出 場 だれそれ」
のたれ幕が・・・だれそれ は忘れましたが,成績はどう だったんだろう?後で調べたら,奥村 幸大選手,大阪府富田林市出身,2004年アテネオリンピック男子400mメドレーリレー銅メダリスト。ほほう。2008年8月 北京オリンピックにおいて200m自由形1分47秒14で7位入賞。いや,なかなかの選手でした。
【東高野街道終点】
電車のガードを2回くぐると河内長野駅前です。駅前には東高野街道(終点)合流点・高野街道起点の道標がありました。現在13:22。
ここから高野山女人道まで35kmか!先は長い。三角錐の案内標柱には,今まで来た東高野街道,平野から来る中高野街道,堺から来る西高野街道の概念図がありました。もう一つ,中か西かを歩いてみたいものです。いやその前に,とりあえずは橋本まで行かねば。ま
ずは小休止です。
このあたりが西高野街道と東高野街道の合流点と書いてはありましたが,この先,アーケードをいくと実際の合流点があるはずなの
で行ってみました。アーケードの商店街を抜けると,すぐに商店協同組合の小さなビルがあって,そこが合流点です。右(東)が東高野街道,左が西高野街道で
す。どちらも坂道を登っていくようです。東高野街道のツメのところはまだ歩いてないので,右に行ってみました。住宅街の中をどんどん登っていきますが,途
中でやめてしまいました。
歩いていて気がついたんですが,やたらに「たこ焼き屋」さんが目につきます。大阪はだいたい多いところですが,それ以上に多いようで,これはなにかあるんでしょうかね?
帰りにネコの昼寝を見つけました。「おーい,気持ちええ
んかー」レンズを向けると細目を開けて睨まれましたが,すぐにまた目を閉じてしまいました。良いお天気の昼下がり,ポカポカと暖かいので,うつらうつら,気持ちよさそうです。
【さてどうする】
さて,とりあえずの目標までは到達しましたが,現在13:30。まだ時間もあるので,喫茶店で
ゆっくり休憩しながらどうするかを考え,「三日市町がいいとこかな」と思いつつ,とりあえず行ける所までいくことにしました。新しい靴がまだこなれていな
いので,若干足が痛いのです。
そのレポートは別建てで「高野街道」とするつもりです。もちろん,高野山までは行くつもりでタイトルだけ確保しておくのです。
【河内長野というところ】
そいうえば河内長野は,電車で通過したことはあっても,降りてぶらついたのは初めてです。富田林もそうですが,どうも大阪により近い衛星都市とは印象が違うように思いました。単に来た回数がすくないからなのか?
大東,東大阪,八尾など大阪に近いところは,古いものは残っているにせよ,もう大阪の延長の気がします。大阪に飲み込まれつつある。
河内長野は西は堺ですが,狭山丘陵(でいいのかな?)があるので,堺の延長という気はあまりしません。東は金剛山,西は岩湧山でどんづまりといえばどんづまりで,奥まった位置にある。
確かに駅前は普通の大阪圏の駅前と同じ,河内長野にもすこし離れた場所にはニュータウンもあるし,それはどの衛生都市でも同じですが,要は,少し遠いがゆ
えに,都市化の中にあっても,昔ながらの地方都市・河内長野らしさ,近隣の町村の中心地のにおいが残っているように思いました。大阪に飲み込まれていない
独立性,このにおいかも知れません。京都で言えば,長岡京や向日市に対して亀岡や園部の感じか,そこまでは言い過ぎですけど。土壁の家や木でできた家並,
倉庫をみていると,昭和期の綾部や福知山を少し思い出しました。
【おわりに】
京都・八幡から北河内を経由して,
南河内まで歩いてみて,ちょうど3~4月ということもあり,野山,脇道や路地,民家の軒先は非常に美しさにあふれていました。一転,国道筋や駅前は騒がし
く,どこにでもある風景。そのほんの数十メートル離れたところは,新しい家も建っているけれど,落ち着いた街を形成しています。その中で古いものが存在感
を示しています。古いもの全部よくて新しいものは悪いという気は,さらさらないですが,古いものは年を経た美しさを持っている。古さの価値のようなものを
感じたウォークでありました。
(このシリーズ終り)
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