日置今池街道をあるく
2009年7月 1日 日置今池街道
2009年6月15日 日置天神社
枚方市が公募によって名前を付けた日置今池街道というのがあります。公募ですから昔ながらの街道名ではないようですが,地図をみているといかにも古街道の感じがします。東高野街道を歩いていると,洞ヶ峠-高野道ときて国道に入ってしまい,山田池のところでいかにも不自然に出屋敷の街道に入っていく訳で,その東高野街道に「ほぼ」直線的につながっている日置今池街道です。
地図をにらんで考えてみると,八幡からわざわざ洞ヶ峠まで行かなくても,途中の八幡女郎花から峠を越えて樟葉-船橋-招堤-日置-出屋敷というルートもあってよいし,同じく女郎花または月夜田あたりから峠を越えて長谷-柿が谷-招堤田近-日置-出屋敷というのもあってよいと思います(実際にあったかどうかは?ですが)。また高野道から寂しげな山裾の道を通らずに,少し遠まわりして大池の西側を通って,賑やかであった日置経由で出屋敷にいたることもあってよいと思います。少なくも,日置今池街道経由で出屋敷に入るほうがよほど自然に思えます。
という訳で,日置今池街道はどんなものであるか?出かけてみました。
【番外:アテルイ・モレの碑】
いきなり番外ですが,電車の中でふと思って牧野から歩いて招堤元町の日置今
池街道の入口まで行ってみることにしました。 なぜか?途中にある牧野公園には「伝アテルイ・モレの塚」というのがあって,そこがどうなっているかを見るためです。以前行ったおりには,記念碑をつくるんだということで寄付を募っていて,寄付しようと思いながら忘れてしまったのでした。

寄付者の名簿を見ると,片埜神社をはじめゆかりのある京都・清水寺,地元の有志,枚方市役所の有志,学校等等。奥州市のかた,出羽神社からも寄付がありました。なかなかの広がりを見せているようです。
大和政権には,とにかく負けなかった彼らに敬意を表して,写真に残しました。
【今池】
公園を出ると大阪歯科大,関西医大とキャンパスがつづきます。この道は長尾へと続きますが,旧道らしくところどころに祠があります。が,いかんせん,車が多いうえに歩道がなく,側道のスペースはあるにせよ狭くて危ないです。
途中にあった珈琲・魯山人館というのが気になっています。歩きだしてすぐだったので入りませんでしたが・・・・
約10分程度で招堤元町の交差点です。この先,池に東北端で日置今池街道は終ります(始まります)が,今回は招堤元町交差点横から農道のような小道を池の方に向かいました。
池の名前が今池(桜今池)です。相当広い池です。招堤,養父あたりの潅漑用と思いますが,住宅が立ち並び,潅漑すべき田んぼがなくなっています。池の際まで住宅が立ち並ぶようになっています。
【日置千軒】
ここから日置今池街道に入ります。農園の中にお屋敷が点在する感じの道でが,それは東側で,西側は少し西を走っている府道まで住宅が立ち並んでいるようです。
まもなくこんもりとした森が見えてきました。日置天神社の鎮守の森です。この灯篭の先からが境内のようです。
鳥居をくぐってまず目に入るのが,ずらーーーーーーっとならんだダンジリ小屋でした。8基ありましたが,広すぎてカメラに全部は入りませんでした。一つの神社に これだけの数を見たのは初めてです。一同に会したらこれは壮観でしょうね。 案内板によると,この境内には日置山遺跡があり、古代から中世までの複合遺 跡で、古墳や生活跡が残されていたようです。中世,この辺りは東高野街道筋に発達した集落(日置郷)として賑わい,社寺が甍をきそっていたといい,なんでも日置千軒と言われたようですから,相当大きな街だったと思われます。しかし、南北朝期の動乱に際し、たびたび戦禍に見舞われ、十四世紀中頃には民家・堂塔ともに灰燼に帰したと伝えられるます。
この神社は2回行きましたが,両日とも近所のひとなのか,自転車できて拝殿にてパンパンと柏手打ってお参りするひとがいました。社務所では何人かの人が打合わせをしていました。
ここは東高野街道の要所だったようです。たしかに,洞ヶ峠を通る道は当時は山の中の道だったはずで,結構距離は長い。それなら少し遠まわりでも人家のあった(と思う)招堤田近あたりを通って,日置千軒を経由したほうが安全です。または,八幡から樟葉にいたる道を通って,山越えしてからまっすぐ南下して日置を通ったほうがよいと思います。また,樟葉や橋本には淀川を渡る渡しがあったので,淀川右岸の人はそこから,まず日置を目指したのではないかと思います。
日置天神社から南は住宅街の中を通っていきます。結構建てこんでいて路地裏のような感じですね。街道はこの中をうねるようにして通っています。近くには招堤の大団地もできています。
日置今池街道は穂谷川にかかる橋の ところで終点(始点)です。ここにも枚方市謹製の看板が立っていました。穂谷川沿いには遊歩道ができています。けっこう気持ちよさそうな道ですが,だれも通っていませんでした。
【出屋敷につながる道】
穂谷川の橋を渡って,堤防沿いの府道を行かず,いったん堤防下に下ります。狭い道ですが,まっすぐ出屋敷のほうに向かっています。
国道一号線をくぐってもなお続いていて,いかにも古い街道という感じがします。まもなく,長尾から田口山を通ってくる府道に突き当たりますが,道はずっと続いています。 出屋敷の東高野街道はここではなく,もう一本西側の道です。田口山グリーン・ブログ(※)によると,出屋敷は田口の出屋敷ということで江戸時代にできたそうなので,それ以前は日置今池街道からまっすぐ来るこの道が東高野街道だったのではないかと思います。ある日,「はい出屋敷を作ったので。今日からここが東高野街道」というようなことがあったので はないかと・・・
出屋敷東高野街道の入口にも枚方市謹製の看板がたっていました。この名前も公募名です。
おちついた街道を散策し南側出口の円通寺までいって引き返してきました。
通しで日置今池街道を歩いてみて,どうもこの街道が東高野街道のメインだったような気はしてきました。
※:http://ga-ko.gaku-shin.com/?day=20080608
より大きな地図で 東高野街道1 を表示
(おわり)
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