東海道ウォーク 興津-静岡(2)
2008年5月10日(土) 横砂-袖師-江尻宿
【風前の街道松】
バイパスをくぐると同時に川を渡り,左側の歩道が自然に
国道から分かれて古い街並みに入っていきます。左に分岐しその道を進む。一 号
線は少し高いところを通っているようです。歩いている道はいかにも街道らしいおちついた道です。
踏切を渡ってまっ過ぐ行くと再び国道一号線に合流です(8:04)。横砂というところですが,合流点には,延 命地蔵堂と秋葉山常夜燈がありました。注目するのはその左手にある建物。 農協か銀行のようですが,どうやらあちこちで見た石造りの倉を改造したものか?それとも頑丈なように石造りの倉風に建てたものか。
少し行ったところに街道の枯れ松がありました。これは惜しい。もっと枯れ行くと切られる運命にあるんでしょう。一号線の排ガスには負けるよ うです。
この後は庵原川にかかる庵原川橋を渡ります。すぐ傍には東海道線が走っていて,ちょうどブルートレインが 通り過ぎていきました。もう見られないんでしょうね。
橋を渡ったところにバス停がありまして,そのかたわらには東海道のキロ標識が(8:16)。168kmですが,久しぶりにみた感じです。この先にも枯れていない名残松!がありました。これは 大事にしたいものですが,根本をコンクリートで固めて大丈夫なのか?土曜日 の早朝で車はすくないですが,なにか風前の灯火のような気がします。
どんどん国道を歩いていきます。そろそろモーニングコーヒーが飲みたいのだが,こんなに朝早くでは開いてないし,だいいち喫茶店が見つかりません。
どうでもいいんですが,このあたり「望月」さんという名前のお家が多いです。由比あたりから気がついてはおりましたが・・・ 国道沿いには馬頭観音がさりげなく安置してあります。
あっというまに細井の分岐にきました(8:31)。分岐の三角地帯に1本の松と石碑があります。ここは細井の松原跡といって,古くはこのあたりずっと松並木だっそうです。なんでも,松は昭和19年,松根油の原料として伐採されたそうです。ここには,無縁さんの碑もありますが,なぜかビニールシートをかぶったままでした。写真を撮ったと思いきや,切れていました。おばさんが一人,ミニ公園の草取りをされていました。
【江尻宿】
東海道はここから右へ分岐し,しばらくすると辻町商店街に入ります。土曜日早朝で何もなし(8:37)。あるのはゴミだしのゴミだけでした・・・・しかたがないので,国道一号線といったりきたりで喫茶店を探しながら歩きます。何もなし。このあたりから辻一里塚跡,高札場跡,江尻宿 東木戸跡と続く訳ですが,痕跡は何もなし。立札が立っているだけのようですのでパス。
とうとう清水駅前まできて,街道沿いの喫茶店で休憩しました(8:45)。おじさんひとり,モーニングで新聞を読んでいました。あちこちを歩いてい
て気になっているんですが,モーニングの習慣のあるところとそうでないところがあるようです。はっきりデータを取ってないですが,都会か田舎かというだけではないいものがあるようです。結構盛んなのは尾張,三河あたり。結構ないなか町でも早朝から大きな店が開いていて土日の朝など満員です。
ともあれ,約30分ゆっくりとさせていただきました。
9:15頃出発。街道は銀座のあたりで西へL字状に曲ります。そこはまさしく銀座通りで,昔は本陣を中心に、両側は旅籠でぎっしりと埋まっていたということです。今でも。一番の商店街のようですが,誰も通っていません。車道も歩道もきちんとブロック舗装してあり,車も通らないので歩行者天国状態でした。わずかに店の人が開店準備でごそごそしているだけでした。クジラのモニュメントがありましたが,写しても・・・ということでパス。
【少年サッカー発祥の地】
清水銀座の商店街を抜けると、正面にこんもりした神社の
森が見えました(9:26)。その時は,サッカーというキーワードは頭になかったの
ですが,ヒラメ
キで行ってみることにしました,そこは魚町公園で、かつての江尻城のあったところらしいです。
魚町稲荷神社というのがあり,神社本体よりもその横にある大 きなサッカーボールに目が行きます。日本少年サッカー発祥の記念碑でした。 そうか,ここが清水エスパルスの本拠地なのは,こういうことがあったのか。なんでも,昭和30年代、日本のサッカーが、所謂御三家と呼ばれる広島、藤枝、浦和を中心に展開されていた頃、神社裏手の江尻小学校で、サッカーの好きな先生が新任で赴任してきて,「ボールを蹴るべからず」という校則を撤回させて小学生にサッカーを教え,これがきっかけで少年サッカーチームが誕生したということでした。スポーツ振興の裏には熱血先生がいるのだ!
【稚児橋界隈】
東海道は巴川を稚児橋で渡ります(9:32)。江戸時代、この橋が完成し、渡り初めの日に突然、川の中から童子が現れ,橋を渡り姿を消してしまったといい,人々はカッパが童子に姿を変えたと噂し、以来、「稚児橋」と呼ぶようになったということです。橋の欄干には河童の像が4匹?ありました。
稚児橋を渡ったところに,巴川、船高札場跡の看板がありました。巴川は、清水港で荷揚げされた荷が駿府に運ばれる重要な河川であったということです。 さらに行くと,中華料理屋の看板がありまして,なんと「酒は京都の綾小町」!たしかに京都は京都なんですが,京都とはほど遠い綾部の地酒です。なにを隠そう,ボクの故郷の酒です。綾小町をネットで調べても,まずは大垣の讃岐うどん店・綾小町が出てくる始末で,ずっとあとの方に出てきます。ちょっと宣伝しておきます。 蔵元・若宮酒造さんのサイトはここです。 【追分羊羹】 が,ここは道標そっちのけで,追分羊羹に飛びつきます。元禄年間開業の老舗で,街道の名物として昔からファンが多かったようです。さっそく特大を買い求
めました。翌日くいただくと,あっさりした甘みで,甘党の家人にも好評でした。ボクは最近,甘いのもカライのもいけるので大満足の逸品でした。写真を撮るまもなく箱だけになってしまいました。 このさき,石松殺しの都鳥が清水一家に討たれ里人に供養されたという「都田吉兵衛供養塔」とかありましたなが,こちらもそっちのけでした。 (つづく)
http://www5.nkansai.ne.jp/com/ayakomachi/newpage2.html
サイトによると,「若宮酒造は、大正9年にそれまでの三丹酒造を市内にある若宮神社の宮水で仕込み始めたこともあり若宮酒造と改め、商標もそれまでの「鷹雀」を「綾小町」といたしました」ということで,あまりブランドは浸透していませんね。綾小町の由来は、「綾部では奈良時代より由良川沿いの低地で桑が栽培され、養蚕業が盛んに行われて蚕都として発展したことから機を織る優しく、美しい娘をイメージして名付けられた」ということです。ボクは綾部駅前で大寒の寒い夜に熱燗で飲んで,これはいけると思いました。もちろん冷やでも。
また,若宮酒造さんは綾部産の梅を100%使用し、綾小町の原酒でつけこんだ梅酒「綾梅」というのがあって,限定販売中だそうです。ボクはまだ飲んだことはないですが・・・・一度どうでしょうか?
この先の交差点を右に行くのが東海道で,左に行くと,ちびまるこちゃん,もとい「さくらももこ」の生家跡があるようです。ボクは見てませんが,商店街の案内板には「ちびまる子ちゃんの生家」が書かれているそうです。さくらももこさんも綾小町飲んだんでしょうか?
旧東海道を進むと、赤い大暖簾の追分羊羹の店があり、
その手前に「是より志三づ道」の道標がありました。久能山への参詣道との追分です(9:46)。
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