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2009年8月21日 (金)

東海道ウォーク 興津-静岡(1)

2008年5月10日(土) 興津




 一年以上前のことをブログに書くのもどうかとは思うが,歩いた分は書いておかないと収まりがつきません。その後もどんどん歩いているので,その分が永遠に書けなくなってしまう。という訳で「東海道ウォーク」の再開です。歩くのは約2か月ぶりで,今回は興津から静岡まで。

【女体の森】
 いつものように東京出張の帰りに静岡泊。結局,前回(3/8)と同じホテルでした。起きてみると外は雨!ひどくはないがショボショボ降ってます。一瞬,やめよかというのがよぎりましたが,気を取り直して準備です。現在6:00。
 ホテルの中庭のようなところに古い倉がありました。 石造りのしっかりしたものです。沼津の片浜あたりで初めて見ましたが,どうやらこの地方特有のものみたいです。

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 6:40過ぎの熱海行きに乗れました。興津に着いて歩きだしたのがちょうど7:00頃です。まだ雨が降っています。前回は宗像神社でデジカメの電池切れになったので,そこから再開です。律義な!

 おばさん2人が傘をさして街中の細いみちを歩いていったのでついて行きました。早朝で車は少ないとは言え,国道よりはずっと快適です。
 つきあたりでおばさんと分かれ国道に出ました。突き当たった道は古街道らしく,国道との角には身延道の案内板とたくさんの石標がありました 。南無妙法蓮華教のひげ題目の碑と傘のない?常夜灯,石搭寺の供養搭,あとなんと書いてあるのか分からない石碑など。

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  ちなみに手前に写っている白い物は500円傘の柄です。傘をさしながら写そうとしていると,シャッター直前にグラリと倒れてきました。ああ,うっとうしい。

 さて,女体の森・宗像神社です。航海の守護神である宗像三 神を祀り,創建は不祥ですが平安時代中期と推定されて います。

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 宗像三神とは, 多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ), 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ),多岐都比売命(たぎつひめ)。いろいろ呼び方があってややこしいですが,総本社の宗像大社では、現在では以下のようになっている ようです。
    * 沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
    * 中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
    * 辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)

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 胸形氏系海人集団の祀る神ですが,胸形海人はこのあたりまで平気で来ていたんでしょう。というより,宗像系の神社は,関東はもとより(神奈川県・江ノ島神社)陸奥(青森県・善知鳥神社)まであるようです。昔から列島全国展開していたのだ!

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 三女神ゆえ,特に市寸島比売命は仏神の弁財天と習合していました。境内のクロマツの森は女体の森と言われ,船頭の 目印としての役目を果たしていたということです。特に,市寸島比売命は,宗像三神の中でもとりわけ美人とされて人気の高い神様だったので,女体の森とは船頭たちがいいだしたんではなかろうか。昔も今も変らないアイドル現象。しかし,地図を見ていると興津の西側には黒々とした小高い山が連なっ ていて,そのほうが目印としては目立つんではなかろうかと思ってしまいます。

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 宗像神社参道前にはちょっとした公園ができていました。海岸べりを通る静清バイパスのバリア機能を持たせているようです。気持のよい小道が通っていたので少し散歩しました。朝早いので車は少なくて静かでしたが,普段は「静清」でもないとは思うけど。
 旧身延道のあたりの国道沿いには41番目の興津一里塚跡があるはずなんですが,分かりませんでした,2回も通っているんですけど。

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【清見寺】
 駅前を過ぎて少し歩くと,有名な清見寺があります。その手前に「宮様まんぢう」のお店がありますが,まだ7:35,開いているはずがありません。代わりにこのサイトでご賞味ください。 うーむ,味どころ一杯で,これは泊まらないと!
http://www.trad-sweets.com/wagashikaido_5/pg35.html

 清見寺は徳川家康が今川氏の人質であった時に教育を受けた所,朝鮮使節らが美しい風景を楽しんだ所ですが,その他にもいろんな文人が訪れているいようです。詳しくはこちらを参照ください。
http://comet.tamacc.chuo-u.ac.jp/bungakusanpo/souseki/okitu/okitu

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 国道から一段高いところに「東海名区」と書かれた門があり、 なんとJR東海道線を越えて境内に入ります。白塀に囲まれて大鐘楼が目を 引きます。境内には,「咸臨丸殉難碑」,徳川家康が接木したという臥龍梅,与謝野晶子の歌碑,高山樗牛の碑,芭蕉句碑,はては,山下清「清見寺スケッチの思い出」の案内板,五百羅漢等等,見所満載のようです。

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  私は門の前で写真を1枚撮って逃げ出しました。正面にあるお堂のなかの仏像からジロッとにらまれた気がして・・・・いや,正面にあるのは仏像でなく,お勤 め中のご住職だったかも分かりません。どうもお寺というのはまず排他性を感じてしまい苦手です。その点,神社は開放感があって全く平気ですね。

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 山下清の案内板をネットで調べてみました。
「清 見寺という名だな この寺は 古っぽしいけど上等に見 えるな お寺の前庭のところに汽車の東 海道線が走ってるのはどうゆうわけなんだろう お寺より汽車のほうが大事なので お寺の人はそんしたな お寺から見える海は うめたて工事であんまりきれ いじゃないな お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいだと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうな」
うーん,ボクのいいたいのはこういうことなんだな。便利さ追 求のあまり,大事なものをたくさん失ったんだな,きっと。街道を歩いていると特にそういう気がするんだな。

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 清見寺の位置は、大和朝廷 が陸奥の蝦夷に備えて白鳳年間に関所を置いた所でもあります。駐車場の右側に「清見関跡碑」と「傍示杭礎石」がありました。「東海道の親不知」と言われた 薩った峠を控えているので防衛には好都合だったとは思いますが,それにしても朝廷はよほど蝦夷が恐かったんでしょう。

 清見寺のすぐ傍には高山樗牛仮住居跡の石柱がありました 。はてこんなところに高札場がある。(7:50)
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 しばらく行くと坐漁荘(西園寺公望別荘)があります。元の別荘は主要部分が明治村(愛知県犬山市)に移築され,跡地に平成16年,静岡市が忠実に建物を復元したものということです。公開されていますが,朝早くてはダメ。

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 このあたり,文人,皇族,政治家などの別荘がさかんに建てられましたが今はほとんどすたれているようです。脇本陣を利用した水口屋は政治家、皇族、財界人、小説家、画家など著名人の別荘旅館として有名になり, 多くの 外国人観光客訪れるようになったようですが,昭和60年廃業し,施設は鈴与が譲り受け研修センターとなっています。今はその一部を展示する水口屋ギャラリーとして公開されています。

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 山下清のいうように「お寺から見える海は うめたて工事であんまりきれいじゃないな」というのが別荘地のすたれた原因だな,これは。

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まもなく興津の街は終りです。

(つづく)

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