東海道ウォーク 岡部-島田(5)
2008年9月 7日(日) 青島~一里山
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【どんどん南下】
少し休憩の後スタートです(11:40)。すぐに本陣という八百屋
さん。街道ウォーカーの写真スポットになっていて街道歩きサイトでよく見ました。
すぐ先には「偽善館」という石柱がありまして,なんちゅう名前だと思ったら「為善館」でした。同じ間違いをする人もあるようで,その旨のコメントをしたサイトもありました。これは,明治6年(1873),志太村家地太(かじた)に建てられた寺小屋が学校化したような学舎の跡で,志太村南新屋村,水上村,稲川村,
瀬古村の生徒を集めたようです。
どんどん進みます。一号線と交差する青木五叉路のまんなかの道を行きます。横にはジブラルタ生命,ジブラルタルではなかったんですね。
蔵もいい感じで残っています。一段と高いところにある西友の前をぐるっとカーブしていきます。
まもなく鏡池堂が現れました。ここには六地蔵がありますが,信号が赤になりそうだったのであわてて渡って,振り返りでパチリ。
ここには,付近にあった鏡ヶ池に棲み旅人を悩ませていた龍を鬼岩寺2世静照上人が退治し堂を建てた。池から出現したと伝わる智証大師作の金色彩色の六地蔵(30cm)木像が安置され33年ごとに開
帳される,という由緒があります。
【古東海道とは?】
すぐに,右手に入っていく小道があって,「古東海道蹟」の石碑がありました。
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昭和30年代までは,ここから西に瀬戸山の丘が続いていた。この碑のところから細い道が瀬戸山の上を通って,山を下りると内瀬戸の部落へ通じていた。この道が中世からの瀬戸の山越えと呼ばれた古東海道である。松並木の東海道ができた頃も,大井川の洪水が山際に寄せたときは,旅人は丘の上の道を通った。
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という説明がありましたが,山越えといわれてもなんのことか分からなくて写真も撮りませんでした。さらに,「古代は東海道が(島田市)初倉から(焼
津市)小川,更に初倉から前島へ通っていた。島田から志太の山沿いに藤枝への道を通るようになったのは,鎌倉幕府以降である」という記述もありました。
さらに行くと,左手に「東海道追分」の石碑と説明板がありまして,ここで江戸方向に行く古東海道が分岐していました。
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ここには瀬戸山を越える中世の古東海道と,山裾に沿う旧東海道がある。瀬戸新屋や水上は池や湿地が多い所だったので,東海道が六地蔵の所を通るようになったのは,開拓が進んでからである。当時,東海道はこの碑の所から,東へ竜太寺山をまわり,前島境で初倉からの道と合して南新屋(五又路)へ通っていた。東海道が瀬戸新屋を通るようになって,東海道とこの古道と分かれる所を追分と呼んだ。古道はその後も,主要道路として,青島村当初の学校や役場が沿道に置かれた。
平成10年5月 青島史跡保存会
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どうも,複雑に道が交差しているようで,その時はよくわかりませんでした。後日調べてみると,このあたりは道が時代によって変遷しているようです。
【水難の青島路】
それは大井川河口の地形とその氾濫が原因でした。国土地理院の地図を見ていると,大井川が島田あたりから東に向かって三角州というか氾濫原をなしています。さらに北からは瀬戸川が流れてくるので,青島あたりはたまったものではありません。藤枝も焼津もその中です。
もっと昔は?ミュゼふじえだのサイトを見ていると,万葉時代のマップと以下のような記事がありました。
http://www.muse-fujieda.com/p_17.html
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万葉集に「志太の浦を 朝こぐ舟は よしなしに 漕ぐらめかもよ よしこさるらめ」という駿河国の人のよんだ歌が載せられています。
この歌のように志太郡衙付近は今の地形とは大きく異なり,川や湿地が奥地まで入り込んで大きな入江をつくっていました。この辺りでは,低地に面した山裾や洲などのわずかに高まった場所に遺跡が分布しています。
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地図が小さくて非常に見にくいですが,このあたり,大井川の河口の潟が広がっていて,大昔は舟で行くしかないようでした。
その後陸地化た後も,大井川の三角州は大きく,今の東海道線あたりから南はたびたび氾濫して通れなくなったらしい。青島は何度も水害に悩まされたことがよく分かります。
そのために「千貫堤」も作られたのでした。千貫堤は下青島の東海道が「く」の字に曲っている辺りから南の東海道線を越えて,今は消滅した藤五郎山の先本宮山あたりまで約500mありました。下記のサイト(00shizuoka静岡観光おでかけガイド)を見るとその全体像がよく分かります。(航空写真をモディファイした伝承館のジオラマ)
http://blog.livedoor.jp/shizuokak/archives/1478218.html
街道から少し入った所にあるので,当時は気がつきませんでしたが,石碑と説明板があるようです。
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堤は無縁寺の山裾から南の藤五郎山を挟み本宮山の正泉寺まで山と山をつないで土手を作り大井川の洪水を防いだというもので,寛永12年 (1635)~寛永19年(1642)の田中藩主だった水野忠善が築いた。長さ360m,高さ3.6m,幅2.9mあり,一千貫の労銀を投じたため千貫堤と呼ばれた。昭和40年代の土地開発によって藤五郎山もろとも堤は取り除かれたがここから南の約40mが石野家生垣としてわずかに残っている。昭和31年市文化財に指定。
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千貫堤上に「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」がありますが,2009年10月現在,藤枝市のサイトからは案内が消えています。以前はここに写真いりのpdfファイルのマップと伝承館の案内,ジオラマの写真もありました。http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/asp/f0040.asp?eno=K318575554
ダウンロードしておいたものを見ると,昭和41年にはまだ千貫堤,瀬戸山,藤五郎山は現存しています。江戸時代にこんな偉大なものを作ったことは,下調べもなくのどかな街道筋を歩いているだけでは全く気がつきませんでした。
それもそのはず,今は岩城山を残して,きれいさっぱりなくなっています。その様子google mapにまとめておきました。不要になったものはリセットするのが善なのでしょうか。ここまでやるか?という感じで,いくら開発といえど,ここまできれいさっぱりにしなくてもよいような気がしますが,ま,その一部分でも残してくれたのでヨシとせねばならないようです。
より大きな地図で 東海道をあるく 岡部~島田 を表示



なぜこんな重要なことに気がつかなかったって?ここを歩いている途中の酒屋さ
んに,霧島の芋焼酎「農家の嫁」とか「明るい農村」ののぼりが立っていて,それは飲んだことがある焼酎だったので,それに気を取られていたことは事実ですが・・・全くのどかな街道あるきです。
【青島から一里山】
40分ほどすっとばして歩いたので街道松のふもとで一旦休憩(12:

21)。
この先には造り酒屋・青嶋酒店がありまして,お酒は「喜久酔」。これはなかなか有名なお酒らしいです。


青島一里塚跡を過ぎて,「さんし」という蕎麦屋があったので入って昼食としました。蕎麦はなかなかよかったと思います。(12:40-13:08)
国道に合流したあと,また休憩しました。なぜって,タバコ。さっきの蕎麦屋で小さい子供づれのお客さんがきていて,さすがに食後のタバコは遠慮したのでした。
(つづく)
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