東の旅1 高麗橋-南生駒(その7)
【暗越】 2008年10月16日
■さて、登りにかかります 10/16(13:45)
ご存知かと思いますが、狭い狭い国道です。おまけにトンデモナイ急坂と聞いています。
写真は少し登って振り返っています。ここで標高62mくらいです。
■国道308号
まぎれもなく国道です。標識はなんの順番でしょうか?家の 間をすり抜けるようして登ります。
一応、車は通るようです。国道らしく管理はきちんとされています。この場所のすぐ下では道路両側の草刈りをしていました。あえて酷道とはいいますまい。
ちいさな看板があって、豊浦谷1号墳と書いてあります。右に行くようです。
■芭蕉句碑 10/16(13:46)
菊の香にくらがり登る節句かな はせお
元禄7年(1694)9月9日、伊賀を発った芭蕉は暗越を通って大坂に向かいました。その時、重陽の節句にちなんで詠んだ句です。同年10月12日没。芭蕉最後の旅になりました。合掌。
この句碑は明治23年に再建されたもので、寛政11年(1799)作のオリジナルは山崩れのため行方不明になり、後日村人により発見されましたが壊れていたそうで、修復後、街道沿いの勧成院内に残されています。
■信仰の谷
この谷(豊浦谷)に限らず、生駒山西面の谷にはやたらお寺や神社があります。ほとんどお寺ですが、多分神仏習合なのでどちらか分かりません。
密教系や修験道のお寺は尾根筋付近にあり、昔ながらの(体系化された)神社仏閣は麓にあるようですが、谷筋は上に行くほど新しい(ということは体系化されず、要はよく分からない)「お寺」があるように思います。
いろいろ調べても、「有名無名、大小さまざまな宗教の施設があり、これらの中には宗教法人として届けられていないものも多く、その総数は現在も把握されていません」というのが正解のようでした。
登っていく途中、「大社の瀧 禊 行場」と書かれた石碑がありました。お寺のようですが、谷に降りていく所には鳥居が建っていました。
次いで観音寺。ここはかなり大きなお寺のようです。密教系か?十一面観世音菩薩、不動堂、天竜の瀧、観音延命の水、水子地蔵尊などなどの案内看板が建っていました。金ぴかの観音様も遠くに見えています。入口近くにある水子地蔵だけ見ておきました。
さらに登っていくと、急坂の手前にはちょっとした広場があって、左手には不動明 王、正面には得体のしれない石碑がたくさんみえます。読めるものだけ書いておくと、
お玉大神 お初大神 玉市大神
熊鷹大神
秋葉明神
大小合わせて6コ以上の石碑です。調べても全然分かりません。お初大神は最上稲荷でよいのかな?法善寺の水掛不動であったような気がします。
不動明王とのセットなのかいな?不動明王はさっきの観音寺のものらしいので、このあたり全体が境内で石碑群も観音寺ゆかりのものでしょうか?
このあたり、木陰で薄暗く(写真がブルー系になってます)気温も17℃(下界は23℃くらいだった)で涼しいを通り越してうすら寒い感じさえします。
■河内平野 10/16(14:13)
ちょっと時間が前後しますが、先程の石碑群のある場所のすぐ下で河内平野が望めました。
■ここから急坂 10/16(14:20)
石碑群のある場所からえらく急な坂が始まります。おまけに 急カーブ。
東海道箱根のこわめし坂、小夜の中山の二の曲りに匹敵します。こんなところ、車で通る気がしません。道路には○印の滑り止めはあるものの、雨や凍結した日にはとんでもないことになると思います。道路にはスリップ跡が無数についておりました。車が1台ブレーキをきかしながら下っていきました。
急坂が終ると府民の森と慈光寺を結ぶ道路に交わります。ここでほっとして道路脇にへたり込みました。これはキツイ。
■弘法の水 10/16(14:35)
登りがゆるくなるとお堂がありました。弘法の水と笠塔婆という案内板が建っています。
お堂内に何体か石仏が立ち、右手奥の一きわ高い石柱があります。これが笠塔婆(高さ181cm)で、鎌倉時代中期の弘安7年(1284年)に建てられたといいます。
ここには「弘法の水」と呼ばれる湧水がありますが、看板によると飲めないということでした。硬水だからなのか、生活排水が混ざりこんでいるのか?おじさんが一生懸命、お堂の掃除をされていました。
■東豊浦 10/16(14:41)
やっと峠が近くなったようです。暗越のはずですが、一気に明るくなってきます。頂上付近の山並みもゆるやかで、大阪から見た屏風のような生駒山にはほど遠い感じがします。
奈良街道は左の細い道、右は府民の森に通じる道です。こちらの方が広い。ここには、「八代龍王神感寺の神迎えの行事があるので駐車しないように」との看板が建っていました。なんでも、9/30-10/21まで深夜にあるそうです。お寺が神迎えというのは神仏習合ですな。
街道は東豊浦の集落を抜けて、まだ登っていきます。あたりは刈り入れの済んだ田んぼでのどかな山村です。
■矢田出迎地蔵尊 10/16(14:45)
やっと峠の頂上のようで、地蔵堂がありました。矢田の地蔵さんがこの峠までわざわざ出迎えにきておられるので、矢田出迎地蔵尊と呼ばれているんだそうですが、ほんとなのか?その横には案内板とおかげ灯篭があります。これは文政10年(1827)頃のものだとか。
■暗越石畳 10/16(14:46)
この先は石畳が続き、峠の茶屋があります。標高455mで、大阪にしては結構高い峠です。江戸時代には河内屋、油屋など20軒近くの旅篭や茶屋があったそうで、主に伊勢参りの人々で賑わいを見せたとか。
茶屋の先はすぐに下りになります。ボクは休憩せずに通り過ぎました。
(つづく)
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