東海道ウォーク 島田-掛川(1)
2008年9月28日(日) 島田宿-川越遺跡
まだ東京出張がありました。ただし日帰りということで,これ幸いと島田-掛川を歩きます。
【島田の街】
今回は掛川に泊っています。7:14,掛川出発。7:32,島田に着きました。駅前はまだ整備工事が続いています。
律義にも前回の終点まで行きます。ルートイン前まで。しかしこれでも50mほどは途切れるんですが・・・ま,駅でつながっているのでいいとしましょう。
再開発できれいになった(といっても,以前の街並みは知らないですが)おび通りを突き当たりまで行ってみました。途中,島田御陣屋(代官所)跡がありました。
このおび通りや本通りも含めて,再開発では建物のイメージや色なども統一感をもつように設計されているようです(そう
感じました)。街はベージュを基調にした色で落ち着きを感じます。まだピカピカで,その分落ち着きは足りないですが,街路樹が育つとともにエイジングされて,いっそうの落ち着きを見せると思います。なかなか良い感じがします。
さらに行くと突当たりに御陣屋稲荷があります(7:45)。ここだけは鮮やかな朱。お稲荷さんなのでこれはやむを得ないでしょう。
このお稲荷さんは,別名,悪口稲荷と言う名があります。代官長谷川藤兵衛が,普段は入れない陣屋内の稲荷社に3月の初午の日には町人にも参拝を許し,役人に悪い事があったら申し出るようにしたことが始まりで,そうは言っても町人は自分が申し出た事を知られたくないため,身代わりの人形を作り,人形が言った事にして申し出たことが由来になっています。一種の啓蒙作戦兼ガス抜きか?
その後数年前までは,賽銭箱に投げ入れられた紙に書かれた困り事の内容を元に,風刺人形を作って飾る例祭が行われていたようですが,プライバシーの問題もあって中止されていました。代わって,2004年より「悪口コンテスト」が行われているようです。
http://www.shimada-tmo.com/campaign_index.html
【大井神社】
大井神社にも寄ってみました(7:59)。創建不詳ですが,文献では,貞観7年(865)大井神の記載があるので相当古いです。
http://www.ooijinjya.org/index.html
ご祭神は彌都波能賣神,波邇夜須比賣神,天照大神。三柱共に女神様です。彌都波能売神(みつはのめのかみ),波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)は初めて知った神様なので調べてみました。記紀神話では,彌都波能売神はイザナミの最期に「尿」から生まれた神,波邇夜須比売神は同じく「糞」から生まれた神ということになっています。記紀での出自がどうというより,要はそれぞれ,水の神,土の神ということですね。
みつはのめのかみの「ミズハ」は「水走」「水這う」「水際」などを意味するようで,水の這う様を龍神に見立てたものでしょう。そのあるところは古来から,農耕の地となり,人々が集まる場所でもあり,そこを司るミズハノメは農耕神としての神格の他に,水-生命として母子信仰の神としても祀られることになったのでしょう。また,「波邇夜須」とは,粘土の事で,粘土をこねて土器を作り出すというよりも,湿地から陸地を造る神と理解しましたが,違うのかな?
大井神社の公式サイトの豆知識では,
http://www.ooijinjya.org/knowledge/knowledge02.html
http://www.ooijinjya.org/knowledge/knowledge05.html
・古代(奈良時代であっても)大井川の下流域や河口は三角州,干潟になっていて,というより,多島海に近い。島田も中州だった
・大井神社は大井川流域,三角州地帯も含め,いたるところに見られる
・島田の大井神社のご神体は,いつの世か大井川の氾濫により,千頭より上流にある大沢から流れついたという
島田をはじめ,大井川流域は昔から大洪水には悩まされたに違いなく,これを鎮め豊壌を願うために,数多くの大井神社が祀られたと思います。暴れ川であり豊壌の川である大井川ならではの神様であることはよくわかりました。本殿には蛇が棲んでいるようです。蛇神を祀る連中が住みついたのか。
拝殿入口には平成16年に再建された木製燈籠,参道両側には石垣,太鼓橋,平成18年に完成の大奴・鹿島踊りブロンズ像などいろいろ見所はあります。
燈籠は飛脚が奉納したといいいます。また,石垣は川越稼業の人足達が毎日仕事帰りに石を一つ持ち帰り築いたもので,今日も無事に終わったという感謝とさらなる仕事の安全を祈って積み上げたものです。
帯祭も有名な神事芸能です。拝殿前にあるブロンズ像はその神事の主役となる御神輿の行列の大奴の大太刀に帯を下げているところと鹿島踊りの三番叟(写真はないですが)の姿を像にしたものです。真新しいので,最初は俗受けをねらった大名行列の像と思いましたが,きちんとした歴史や伝承があって,単なるモニュメントではなかったんですね。なるほど,おび通りというのはこういうことだったのか。
なかなか興味深い神社でした。
【川越遺跡】
旧街道は島田の市街を出て1km足らずで県道から分岐し(8:15),パルプ工場の塀に沿っていきます。
工場の塀を過ぎて住宅街に入ったかと思うと,空気が一変したように感じます。川越遺跡です(8:24)。
遺跡というので観光用に復元されたものかと思っていたら,違うんですね。ある人は「映画の時代劇セット」との感想をもらしていましたが,そんなハリボテな感じはしない。それもそのはず,一部は現役の住居らしいです。
旅人が川札を買った「川会所」をはじめ川越人足が集合していた「番宿」や 「札場」など,当時 の街並みが復元されています。復元は復元で古さをベースにしたものですが重厚さを感じます。計画的によく作られた街並みという感じです。
「島田宿大井川川越遺跡」は国指定の史跡で,重要な歴史遺産です。遺産ではありますが,現役の使用に耐えるというのがすばらしい。
公開されている番屋には,数々の民具,わらじ造りの展示などいろいろ楽しめ,勉強にもなる材料が揃っています。
川会所は軒先から見るだけでなく,座敷に上がって至近距離で見ることができ,これは迫力です。
この庭先には芭蕉碑もありました。
馬方はしらじ 時雨の大井川
街並みの先には,浄瑠璃「生写朝顔日記」にちなんだ「朝顔の松公園」,島田市博物館などがあり,河川敷は公園になっています。
浄瑠璃「生写朝顔日記」はよく知らないので,美しい公園という感じしかもちませんでした。
島田市博物館は立派なもので,相当大きいです。一見の価値はあるようですが,9:00にオープンなのでまだ開いてません。
大井川河川敷の公園では,砂利やブロック,低木,橋などを使って東海道を表現していて,例えば琵琶湖や三条大橋などが作られているようですが,堤防の上からは確認できません。
島田市博物館を含め,川越遺跡全体をじっくり見て回るには1日くらいかかるのではないでしょうか?じっくり時間をとって見たいものですが,残念ながら今日は時間がありません。
博物館庭にも芭蕉句碑があるようです。
ちさはまだ 青ばながらに なすび汁
たはみては 雪まつ竹のけしきかな
【島田大堤】
川会所の横に「大堤」の案内板があります。藤枝の千貫堤を見のがしたボクとしては是が非でも見ていかなくてはなりません。
島田大堤は慶長の大洪水で島田宿が全滅したのを受けて,初代島田代官 長谷川藤兵衛長勝の頃に建設され,正保元年(1644)頃には完成し,高さ2間(約3.6m),長さ3150間(5.7km)で,向谷水門下から道悦島村境まであったというので,相当長大なものです。また,せぎ跡といって川石が積まれた石垣が復元(多分?)されています。増水の時には板をはめこみ大堤を守ったもののようです。
大堤は川会所の横から北西に入っていきます。これは美しい!桜の樹が両側に植えられトンネルをなしています。気持のよい散歩道,いや生活の道路です。これはぜひ歩かなくては。
ここを歩こうとしたら,おばさんに呼び止められました。なんでも,9時から桜の樹の消毒(薬剤散布)をするらしいのです。迂回を余儀なくされました(写真は9時前に少し歩いて撮ったものです)。おじさんたちがトラックに乗って道を入っていきました。
迂回路から大堤の桜並木をながめています(9:07)。秋の彼岸花もいいですが,春の大堤もいいでしょうね。
途中で大堤に入る道があったので近寄ってみました(9:14)。これは大変な作業だ!相当大がかりに噴霧しています。消防放水並みの散布です。これは通行止にするはずだ。このようにして大堤の桜並木は保存されているんですね。
迂回して北側出口に行ってみました。ここでもおばさんが1人,番をしていて,クロネコも迂回をしています(9:26)。
大井川堤防脇にあるこの石碑!なんですかこの大きさは?宮内大臣 一木喜徳郎なんとか と彫ってありましたが・・・
(つづく)
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