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2009年12月 6日 (日)

東海道ウォーク 掛川-天竜川(1)

2009年10月19日(月) 掛川城下


 先月、フライングして二川-御油、知立付近は歩きましたが、掛川は実に1年ぶりです。東海道を引き継いで歩きます。
 仕事がなくなったので、今回から交通費も自分で払います。掛川と浜松に泊って、できれば二川まで。まあしかし、新居までが関の山でしょう。
 JR新快速に乗るとはいえ、掛川まではあまりに遠く、途中、豊橋で一服しました。改札を出て喫茶店で一服し、ぶらぶらしていると、鬼まんじゅうの出店がありました。帰りに買うことにします。豊橋はお祭りのようで、人がわんさか出ておりました。

【掛川城】
 さて、せっかくなので早起きして掛川城へ向かいます。
 大手門(7:06)。山内一豊が大手郭の正門として設置した櫓門ですが、安政地震での倒壊や、その後の焼失がありましたが、平成7年に復元された由。なかなか堂々としております。元は、いま1枚目の写真を撮っている所(当然写りません)あたりにあったということです。

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 門の内側には平成5年の調査で発掘された礎石根固石の一つが展示されています。かなり大きいです。
 大手門をくぐると番所がありました。警備をする役人の詰所ですね。これも復元ですが、かなり珍しいもののようで、市文化財になっています。
 天守閣をいろんな角度から3枚。まだ朝早いので天守閣には入れません。そもそも月曜は休館日ですけど。その前の広場止まりです。

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 掛川城は天正18年(1590)、山内一豊が城主となり拡張整備、慶長元年(1596)天守閣を築いたものです。現在の天守閣は平成6年に復元されました。きゃしゃでなく、かといって無骨でもなく、端正というかSLに例えればC57という印象です。
 天守へ上がる石段の下に十露盤堀というのがありました。そろばんを十露盤とかくのも驚きですが、堀がそろばんの箱のようにみえるから十露盤掘というのもさっぱり分かりません、そろばんの箱というのが第一分からない。

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 天守の他にも、二の丸美術館、竹の丸、御殿など見所満載で、じっくり見れば半日以上かかるのではないでしょうか?

【大日本報徳社】
 お城の側に立派な建物がありまして、なかなか美しく老いて落ち着いた雰囲気の建物がありました。調べたら大日本報徳社の講堂だそうです。元は、明治36年完成の公会堂で、老朽化が進んでいたので平成19年12月25日に修復完成したということです。

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 さて、大日本報徳社とは?調べてみると、二宮尊徳の思想を元に、その指導を受けた岡田佐平治が始めた報徳運動の母体だそうです。報徳思想というのはよく知りませんが、キーワードは、勤労、分度、推譲ということだそうな、少し読んで印象では、つつましやかで篤実で少し儒教のようで、そんな精神運動のような気がします。以前「儲けて何が悪い!」と豪語して、そのうち逮捕された人がいましたが、その考え方の対極にあるような気がします。

【掛川市街】
 掛川にはずっと昔にきた事があって、駅前の食堂でうなぎを食べたことは以前にも書きました。昨日夕方、駅前通りを歩いてみましたが、昔の面影は全くなく、どこで食べたのか?ボクのきたのは新幹線が停まる前なので、駅の開設に合わせて再開発があったんでしょう。しかし、歴史の街とは場違いなことはなく、街の風景もかなりしっくり落ちついているようです。なかなかよい都市づくりができていると思いました。夕食はその辺の居酒屋で。

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 今日は東西のメインストリートを西に向かって歩いています。以前きたときは駅に西側にあった安宿に泊っていて、川を渡って5~6分歩いたと思います。そうすると、今の中央あたりか?街並みが一変していて全然思い出せません。当時は仕事が終って、毎晩駅前の飲み屋に繰り出して騒いでいました。
   写真は、中町の掛川西高校へ入る道からの天守閣(7:47)、さらに、小さい川を渡って中央の北付近です(7:52)。

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 道がやや右(北)にカーブすると逆川橋が見えてきました。ここから振り返ると、もう天守閣も小さくなっています(8:01)。

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【大池橋】

 国道1号線に出るとすぐに230kmの標識がありました。まだ半分にも満たない。この先、大池橋を渡ります。ここが230.5km(8:07)。
 ふいに香水の匂いがしたと思ったら金木犀が満開でした。大阪の自宅の庭の金木犀は既にピークを過ぎているんですが、当地は少し遅いようです。

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 橋を渡った先には「大池橋と秋葉街道」の案内板がありました(8:08)。ここで、東海道と秋葉街道が分岐します。秋葉山はここから9里だそうで、なかなかの距離です。秋葉街道には鳥居と常夜燈があると書いてありましたが、そんあものあったかな?
 先を急ぎます。

(つづく)

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