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2009年12月 9日 (水)

東海道ウォーク 掛川-天竜川(6)

2009年10月19日(月) 見付宿



【見附宿】
 大通りを急ぎます。ここは見附宿場通りというようです(13:17)。
  従来から観察している蔵ですが、当地は下が石積み、上が白壁の2トーンです。なかなか重厚感と軽快感があってよろしいかと。

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 予備校の建物も宿場らしくデザインされています。

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 冷酒清兵衛邱という看板がありました。冷酒清兵衛って、た  そがれ清兵衛のパロディかと思ったら、れっきとした御朱印酒屋(という言葉があるのかどうか知らないが)で、本名は上村清兵衛、酒造りで、家康が見付を訪れた時に献上したところ気に入られ冷酒清兵衛と呼ばれるようになったということでした。そばには大きなお屋敷がありました。

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 さらに本陣跡と続きます。他にも史跡はあるようですが、気がつきませんでした。

 さて、淡海国玉神社につきました(13:24)。旧見付学校の隣です。
 旧見付学校は明治8年の建築で、現存する日本最古の洋風木造小学校校舎ということですが、本日は休館でした。

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 すぐ横に鳥居があります。淡海国玉神社の創建年代は不明ですが、見付に国府があった時の遠江国総社で、延喜式 P1100125 神名帳にも記載があります。

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 祭神は大国主命で、他にも地元の神を相殿に祀っています。総社ですからね。
ここには矢奈比売神社からお神輿が渡御してきます。ここはスサノヲを祭神とする天御子神社を飛地境内社としているのは前に書いた通りです。狛犬はなくて新しい狛菟(というのはおかしいですが)が拝殿前に向かい合っていました。総社の割りにはえらくあっさりとした様子でした。

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 少し先に復元移築された市指定文化財の脇本陣・大三河屋門がありました。一時、民家の門として移築されていましたが、市に寄贈され、平成19年、復元整備されたものです。奥には見附宿いこい茶屋がありますが、土日祝日のオープンで今日は休み。

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 見付宿は新しい家ばかりだと思ったら、明治2年(1869)の大火で建物の大半が焼失したそうです。再開発に際してもあまり気を使うことなくできたのでしょう。振り返ってみると(13:31)宿場街は写真の通り新しい街で、それは気持がいいのですが、せっかくのカラーブロックを張った歩道が・・・

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 もう宿場通りの端まできてしまいました。まっすぐ行く道は姫街道です。(13:34)

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 姫街道は東海道の脇往還として利用され、浜名湖北方の本坂峠を越え御油宿に通じています。浜名湖の今切の渡しやその先にある女改めに厳しい新居関所を避けて旅する女性が主に通った道です。人気コースのようなので一度歩いてみたいと思います。
 また、この道は天竜川の池田の渡しへの近道のため、池田道とも呼ばれて活用されたようです。半分くらいショートカットで行こうという気持になりましたが・・・・

【なぜ東海道は遠まわりか】
 なぜ東海道が不自然にも「~~ 型に曲るのか?中世までは海岸線が内陸にかなり肉薄して今之浦を作っており、それに沿って街道ができたというのは考えられますが、それにしてもわざわざ今の磐田駅付近まで行くのはどうしても納得できません。
 調べてみると、古くは東海道はここからまっすぐ行ったそうですが、左折した先の中泉(今の磐田駅の近く)に天正12年(1584)中泉御殿、天正18年に代官陣屋が設置され、東海道は左折するルートになった、とありました。
 さらに、今の磐田駅南には御殿遺跡というのがあって、それは弥生時代から中世・近世にかけて営まれた遺跡だそうです。奈良時代の木簡・墨書土器が出土していることから、この地に遠江の国の役所が置かれていたと考えられています。さらに、発掘の結果、古代の大規模な建物跡が見つかり、役所の建物の一部と推定されます。
 この地はあまりにも標高が低い(5mくらい)なのでボクは国府には適さないと思いますが、台地の突端部分で、古代にあっても市が立ったり、少しへこんでいるようなので、湊ができて海運の基地だったのではないかと思います。従って、昔からこの道も重要な道だったかと思います。

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 なお、Google mapには、4mの等高線を描いておきました。国土地理院の地図で5mコンターを調べ、あとは数少ない水準点をみながらエイヤで引いたものです。南側は新幹線のラインで切っています。これが中世の海岸線とはいいませんが、網野善彦さんの「海と列島の中世」p211の図を参照すると、今之浦はだいたいこんなイメージだと思います。

 姫街道を少し入ったところにも石積み+白壁の2トーン蔵がありました。この地方の定番なのでしょうか。

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 東海道は南下して川を渡りますが、この川は加茂川です。加茂川を少しさかのぼると、河原町。そこで加茂川は2本が合流します。まるで京都の出町柳みたいです。西側の川をさらに遡っていくと、なんと加茂神社、さらに北にはご丁寧にもに賀茂神社。どちらかが賀茂御租神社になっていたかと思いますが、今ちょっと分かりません。上賀茂神社/下鴨神社に相当するのか?国府の町ということで京を模したのか、それとも古代鴨族が来ていたのか?
 そういえば天御子神社は祇園神社だったし、総社でも昔は祇園祭をやっていたそうです。

【磐田は名古屋圏か?】
 加茂川を渡るところが標高約5mで見附の東海道で一番低いところになります。国道1号線との交差点あたりで6m、ここからゆっくりとした登りになります。
 登り切ったあたりに府八幡宮、国分寺跡、天御子神社があります。市役所もあって、磐田の中心街のようです(13:46)。
 歩道を婦人警官がさっそうと自転車で通り過ぎていきました。警察でも電動アシスト自転車を使っているようです。これはアイデアです。さきほど停まっているのを見たんですが、もちろんヤマハ製でした。いくらなんでもその時の写真は撮れません。

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 なお、JR磐田駅にも貸し自転車があって、これも全部ヤマハ製の電動アシスト自転車だそうです。磐田、見附は坂の街なんで、絶対必要と思います。
 府八幡宮はパス。天武天皇の曽孫にあたる遠江国司の桜井王が天平年間(729-48)に創建したそうで、祭神は八幡宮なので、誉田別命、息長足姫命。足仲彦命。なお、遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区におかれ、その後、見附に移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に置かれていた、と伝えられています。

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 その向いにある遠江国分寺跡公園にいってみました(13:48)。旧東門跡にあたる入口には「遠江国分寺」石柱、遠江49薬師霊場の説明板がありました。うらぶれたお堂、参慶山延命院国分寺、石仏などをみながら(あまり見てませんが)通り過ぎると、広い草地が現れます。金堂跡、講堂跡、七重の塔跡などがありました。ここは行ってみただけです。

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 街道、というよりジュビロードは歩道の工事をやっていまして、ところどころ車道にでました。ジュビロ磐田も最近あまり話題がないようですが・・・
 さて、足も痛いので休憩です。駅前で喫茶店に入りました(14:00)。足が痛くて結構疲れたので、ここから帰ってやろうかと思いましたが・・・

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 コーヒーに柿ピーが付いてきました。うーん、ここはもう名古屋文化圏か。変なことで感激しました。コーヒーにはこうでなくっちゃ。柿ピーはちょっと湿気てましたが、そんなことは気にしません。満足です。足をもみもみ30分近くも休みました。

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 ん、造り酒屋さんを探すのを忘れてる。ここはお世話になっているD先生が昔下宿をされていたところです。酒蔵で下宿だったとか。調べてみると、もう磐田の造り酒屋は郊外に1軒しかないということでした。

【ナナメの道】 
 さて、ウォーク再開です(14:29)。今日中に天竜川を渡っておきたいところですが、この足の調子では新居までが関の山なので、明日にしてもよいかな、という軟弱な気持がちらっと出てきます。
 とにかく出発。西町を過ぎると下りになり、また若干の登りになります。このあたりからほとんどまっすぐな道で単調です。

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◆14:32

 目印をひろいながら淡々黙々と歩きます。中泉公民館、磐田化学工業、その前にある蕎麦屋さんうまそう(14:42)、万能橋(14:48)、もうすぐ宮之一色一里塚やな、スーパー銭湯か、お、農協か(15:00)、などと思って歩いているうちに森下の分岐まで来てしまいました(15:03)。

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◆14:50

Noukyo
◆15:00

P1100166
◆15:03

 宮之一色一里塚は気がつきませんでした。見ておれば気がつくはずの一里塚なんですが・・・引き返す気力もなくあとのまつりです。

【本日のマップ】

より大きな地図で 東海道を歩く(掛川-新居) を表示

(つづく)

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