« 東の旅1 高麗橋-南生駒(その8) | トップページ | 東海道ウォーク 二川-御油(2) »

2009年12月 3日 (木)

東海道ウォーク 二川-御油(1)

2009年9月16日(土) 二川-吉田





 仕事で知立に来ていて、延長もなく予定通り終ったので、二川から本宿の計画で歩こうとしていました。ところが、泊っていたホテル(刈谷ですが)で朝メシのとき、ばったりと昨年まで一緒に仕事をしていた人に出会い、さらに話が進んで、別のホテルにもう一人泊っているというので、朝早くから呼び出してしゃべっていました。
 という訳で、刈谷を出たのが9時半頃、二川着が10時過ぎでした。本宿までは無理かな?行けるところまで行こうと思います。

【火打坂】
 二川宿は後回しにして(ただいま掛川で停まっています)、豊橋に向かいます。いきなり間違えて、県道まで行ってしまいました(10:22)。駅前を横切る通りが旧街道だった。
 火打坂交差点を右に曲ります(10:27)。

P1090440

 WEBサーチでは、火打坂とは、この地で火打ち石を数多く拾うことができたことが由来と書いてありましたが、どうなんでしょう。そういえば、坂の途中には豊橋市地下資源館がありますし、第一、すぐ西にある岩屋山は頂上には岩がゴツゴツむき出していて、いかにも鉱物資源がありそうです。また、二川の東には、これまた岩がゴツゴツした立岩というのがあります。このあたり一帯、この地は鉱物資源の鉱脈でもあるのか?
 地下資源館は行ってみようと思って、道を入りかけましたが、異様なモアイが何体もあって、ちょっと場違いな気がしたのでやめました。時間もないし。

【街道松再生成るか】
 坂を上りきって、ガーデンガーデンという園芸店を過ぎた信号を左に入ります。まっすぐ豊橋に向かっています。岩屋山の麓を走るようになって、道は広くなりました。

P1090443

P1090446


 周辺は比較的新しい市街地のようです。遠くはよく分かりませんが、畑や田んぼは見えません。すっかり市街化されているようです。しかし、「ぶどう」「朝市」の幟が建っているところをみると、ぶどうの産地なのか?
 道端にちょっとした松林があって、「街道松再生プロジェクト」かどうとか書いた看板がありました(10:44)。このあたりは街道松も豊富にあったようですが、枯れてしまっています。

P1090445

  少し先には大きな松の切り株が残っていて、説明標柱もありました(10:49)。写真を見て、「え!あの松枯れたんか!」東海道のサイトでよく見た、大きなナナメ松です。絶句。

P1090448

 説明によると、昭和40年代までは100本ほど残っていたようですが、道路拡張や松くい虫の被害で伐採され、最後の街道松も松くいの被害で彼、平成19年2月に切り倒されたようです。約150年生きたらしいですが、残念なことです。再生プロジェクトには期待したいと思います。

【新旧交替】
 道は県道31号に合流し、次いで国道1号線に合流します(11:05)。国道との合流点には飯村一里塚碑がありますが、遠くから見ただけでパス。振り向いて写真に撮りましたが、かすかに写っています。

P1090451

P1090456


P1090458

 これから国道歩きですが、ま、足は快調とはいえ、いやですな。まだ県道までなら許せる。
 とっとと進みます。
 三ノ輪西の交差点で信号待ちをしていると(11:17)、目の前の 看板には「赤まむし へび」と。赤マムシの骨、骨粉、ドリンクなどはよくききますが(聞いた)、生身のへびも売っていたんでしょうか?これは気持ち悪いです。空き家ではなさそうなので、まだ現役なのか。恐いですが見てみたいような・・・

P1090459

 国道沿いにも古い商家のような家があります。が、新しい住宅や店舗に切り替わ る時期のようです。現代の街道沿いは、ただ車が通り過ぎるだけなので、近隣の(イナカの)人が集まらない。かの蛇屋さんも近隣から人が集まってきたので、蛇を買いに(売りに)来ていたんでしょう。街道筋=なんでもあって人が集まる、イナカ=食料を生産する、という分担図式が壊れて、イナカでも、蛇屋はないにしてもそこそこ何でもあるし、必要な場合は豊橋の町中にいけばよいので街道筋までくることがなくなった、こんなところでしょうか?

P1090463

  一方、新しい家を作るにしても街道筋の家が密集したところでなく、田畑をつぶして開発するので、街道筋は再開発もできないようです。歯が抜けるように壊れたところだけを補充する感じで家が建っています。古びたまま朽ちていく家も結構ありました。

【豊橋市街】
 いよいよ豊橋市街に入ったようです。
 豊橋は明治維新後の名前で、大元は今橋、次いで吉田となりました。縁起をかついだんだとか(誰が?)。さらに吉田から豊橋になるわけですが、これについては、最後の吉田藩主・松平信古は新政府に降伏、吉田藩知事に任じられ、彼は伊予吉田藩(こちらは宇和島藩の影響下にあり一応佐幕派)と同名であることを嫌って、豊橋藩と改称し、これが基になったようです。

 アーチ状の門が見えてきました(11:25)。寿泉寺。禅寺のようです。

P1090466

 寺院建築について語る能力は持ちませんが、木造の建屋に石像のアーチ門の組み合わせはまあ許容範囲かと・・・世の中にはトンデモナイきらびやかなお寺がありますから、それに比べると、ということです。禅寺というとどうしても枯れた木造建築を思い出すもので。
 ちなみに、豊橋は昭和20年の空襲で町並はほとんど焼失したため古い建物はほとんどないようです。

 豊橋市瓦町通り1丁目で、国道1号線は295kmでした(11:28)。二川まで5kmくらいなので、一応予定通り来ています。

P1090468


 さて、国道歩きも飽きたので、例によって喫茶店を探していますが、国道沿いには見当たりません。東新町の信号のところで国道と並行している道に入ってみました。うまい具合に公園がありトイレもあったので、そこで休憩(11:30-11:37)。けっこう大きな公園でした。目の前には和食屋もありましたが、まだ準備中でした。
 休憩後歩きはじめるとすぐに国道に吸収されてしまいました。

 

(つづく)

【本日のマップ】


より大きな地図で 東海道をあるく(二川-御油) を表示

|

« 東の旅1 高麗橋-南生駒(その8) | トップページ | 東海道ウォーク 二川-御油(2) »

東海道53次」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東海道ウォーク 二川-御油(1):

« 東の旅1 高麗橋-南生駒(その8) | トップページ | 東海道ウォーク 二川-御油(2) »