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2010年1月11日 (月)

明智越をあるく(4)  国分-出雲大神宮


2009年11月27日(金)  千歳
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【出雲みち?】
 里に降り立ったところは国分でした。この地名は西の方近くに丹波国分寺があったことからつけられているのでしょう。
P1110891  府道まで降りずに少し山側の里道を歩いています。里道の突き当たりに溜め池があったので、土手に登ってみました(13:32)。かなり大きな池です。池の向こう側を先程の遊歩道が通っているはずです。向うにみえる山は531mのピークでしょう。こんもりとした特異的な山容です。谷を隔てて右が牛松山。

 府道に出たところは大きな公園になっていました。西側に公園と体育館、ホール。東側は広い駐車場がある大きなレストラン。猪鍋とかメニューにあります。その奥は公園でしょうか?北側には七谷川が流れていて、堤防は桜が植えられています。春は桜のトンネルになるんでしょう。亀岡市民の憩いの場のようです。しかし今はほとんど人がいません。自動販売機でお茶の補給と、せっかくなのでまたここで休憩です(13:44)
P1110894P1110897 P1110901
 牛松山が正面に見えます。その名前は、昔、牛を生贄に供えたから付いたのだという伝説があります。
 ここをベースに、牛松山から水尾経由で愛宕山に登ってもよいし、牛松山から尾根筋を通って643mのピーク経由で、愛宕山に行ってもよい。。また川を遡って登って牛松山北尾根に取りつき、643mピークに行くのも可能なようです。結構な登山基地になりそうです。

 さて、府道を北に行きます
(13:49)。府道とはいえ車も少なく快適です。東側には点々と丹波七福神のお寺が続きます。その背後は紅葉の山。なにも紅葉狩りの名所に行かなくても歩いているだけで十分楽しめます。
P1110902P1110904 P1110908  西側は広大な田んぼが広がっています。圃場整備で整形した後なので、まだ工事跡が残っていたり、草の刈り漏らしがあったりしますが、広大なのはよい。それだけで楽しめる風景になっています。

P1110910 (13:56)山手には木造の現役校舎がありました。このあたりは千歳町の中という在所です。電子国土ポータルにある地図を見ていて、これは地図好きにはよいのですが、字の名前が省略されているのが難点です。ボクはたまたま古い国土地理院の地図、5万図(昭和36年測量、41年修正)と2万五千図(大正11年測量、昭和36年修正)を持っているので、細かい字名も分かります。古いものも捨てずに置いておくもんです。

P1110914P1110919P1110920 右手は黄葉の山並み。山裾には農家とお寺が点在しています。左手(西側)は田んぼの向うに、奈良時代には「市」が開かれていたという三日市があります。その右方向には古墳があるはずですが、よく分かりません。

【丹波の出雲族】
P1110923  さて出雲です(14:04)。丹波に出雲(という地名と神社)があるんです。
 
司馬さんと林屋辰三郎さんの対談集「古代出雲と東アジア」(歴史の夜咄、小学館文庫)によると、古代出雲の勢力範囲は、西は杵築(今の出雲大社のあるところ)、東は老の坂で、国でいえば、出雲、伯耆、因幡、但馬、丹後、丹波をカバーしていました。
もっとも、大和全体が出雲であってどんどん後退したという話もありますが・・・これはよく分かりません。

P1110926 前回(3)の「亀岡の古代」で、いまいち尻切れトンボだったので再度書きます。亀岡盆地はどうしてできたか(開拓されたか)?
 伝説では、太古の昔、亀岡盆地は赤土で染まった湖で、丹色の波が打ち寄せていたとされます。ここに湖があったのはどうやら本当のようです。丹色の波とは「丹波」の語源(のひとつ)ですね。
 そこに大国主命がやってきます。大国主命はこの地方の請田神社、鍬山神社、持籠神社と相談し、保津の山を切り開いて水を京都盆地の方に流しました。鍬山神社はクワで掘り、持籠神社はカゴで土砂を運び、請田神社はその費用を請け負ったと言われ、これにより、豊かな土地が生まれたと。 蹴裂伝説とはいえ、決して蹴飛ばした訳ではありません。地道に開発した。

 行ってもいないのに社伝を引用するのは気がひけますが、鍬山神社では、
「亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が、黒柄山に八人の神様を集め、一艘の樫船に乗り、一把の鍬で浮田(請田)の峡を開き、肥沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え、天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで、名前も開削に使った鍬が山積みになったことから、鍬山大明神と呼ばれました」と。和銅二年(709)に社殿がはじめて建てられ大国主命を祀ったそうです。
P1110924 請田神社では、「四面を山に囲まれたこの丹波平野は、昔は湖で、赤い泥色湖水が漂っていたのであろう。これが丹波の名の起源という。大山咋命は鋤を、大国主命は鍬を、篭持神は篭を持ってともに開拓し、湖水を山城平野に流した。これによって丹波平野ができ、切り拓かれたところが保津峡である」とあります。ここも和銅二年(709)の創建です。
 さらに、鍬を持って「桑を植えることのできる田」を作った神さまには請田神社対岸に「桑田神社」を祀りました。ご祭神は請田神社ともに、大山咋命、市杵島姫命です。
 持籠神社というのがよく分かりませんが、工事が大国主命と大山咋命の合作というのはどうみても出雲族と秦族の共同作業の感じですね。秦氏が入る以前の話なのかは分かりませんが、おそらく秦氏が入ってきてからなのでしょう。いずれにせよ早いうちから出雲族が亀岡盆地に入っていた。

 余談ながら、出雲族は山背にまで足を延ばしています。今も、鞍馬口通の賀茂川に架かる出雲路橋(葵橋のひとつ北)や賀茂川右岸の「出雲路」という地名にその名残がみられます。メモとして参考サイトをあげておきます。
 同志社大学教授辰巳和弘さんの「今出川校地と古代“出雲郷"」:http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/articles/record/detail.asp?xml=record20041222.xml
「北山・京の鄙の里・田舎暮らし」:http://blog.goo.ne.jp/mfujino_1945/e/26f12ecb911860c3ddbc0bbfc0b54d92

 山背では、5世紀の後半には秦氏が葛野に入ってきて定住します。彼らは現在の桂川に葛野大堰を築き、水路を造成します。これにより嵯峨野や桂川右岸が開拓され、桂川中流域、鴨川下流域を支配下におき、その発展に大きく寄与しました。

P1120073 秦氏はさらに、大堰川を遡上してきます。ここで、出雲族と争ったという伝承も残されているようですが、これはどこから引いているのかよく分かりません。

(注;この写真は八木あたりの大堰川です)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kohun6.html

 蹴裂伝説からすると、湖を干上がらせたという話は別にして、秦氏と共存して亀岡盆地を開発したようです。
 結局のところ、土木技術に勝る秦氏が亀岡盆地でも力を持ったと思われます。ということで、探していたら松尾神社というのがありました。三郎ヶ岳の北西山麓です。社伝によると、和銅年間(708~715)の創祀だが、秦 川勝が聖徳太子の命を受けて祀ったとあるので600年前後からあったと思われます。
 前述した、5世紀後半の亀岡盆地にボコボコできた古墳や千歳車塚古墳(6世紀前半)の主が、秦氏が来る前の出雲族であったのかは分かりません。が、5世紀後半~6世紀が亀岡盆地が本格的に開発された時期かと思われます。先の開発三神社の創建が8世紀初頭だとすると、かなり時期が開きすぎですが、開発はしたものの洪水に悩まされ闘い、山の神に祈り続けた200年だったのかも分かりません。
 
 秦氏の開発により亀岡盆地は桑畑が広がっていったようです(大国主命が桑の木を植えたという伝説もある)。すなわち、蚕を飼って絹が盛んに生産された。付近には桑田郡等の「桑」の地名もあります。このように、丹波はかなり秦氏の色が濃くなっていきます。
 以下は漢氏の活躍の結果かも知れませんが、ボクの田舎はもっと北、由良川流域ですが、桑がさかんに栽培され、家でも蚕を飼っていました。河川敷や川に近い畑には、洪水になっても構わないようにか、桑の木が植わっていたような記憶があります。学校の帰りに桑畑に入り、桑の実を口がドドメ色になるほど食べましたし、蚕は温度管理のため暖房を入れたりして、人間様よりよい環境でした。まさに、お蚕様!亀岡盆地もそんな姿であったのでしょう。

 あと、分からないのは4世紀?辺りの丹後制圧の影響と物部軍団の動向です。これは全く分かりません。また、亀岡盆地はもっと早いうちから開発していると思いますが、今回の話は5世紀以降だけです。ま、何回も開発があったと思うので、その内のどれかが今回の話だとしておきましょう。

【元出雲】
P1110928  ボクはこのように亀岡の古代を描くわけですが、そのような所に「出雲大神宮」が和銅二年(709)に創建されます。709年というのは神社創建ラッシュですね!こう続くと本当か?と思ってしまいます。
 この時代は、元明天皇の世ですが、この翌年に藤原京から平城京へ遷都しています。前年は、石上麻呂を左大臣、藤原不比等を右大臣とした年で、まさに不比等が万全の体制を整えた頃でしょうか。
 ここで梅原猛さんの『神々の流竄』を持ってくるわけですが、元明天皇の和銅年間に、大和朝廷に反逆する豪族らの神々を外に押し遣る「流竄」が始まり、杵築の出雲大社もその時に初めて祀られたのでは無いかと・・・
 出雲大神宮の由緒によれば、
丹波国風土記には「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。・・・日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。

 丹波には、元出雲、元愛宕、元伊勢(これは丹後・大江町など)など、元なんとか、という神社が多いです。亀岡にはもひとつ、「元稲荷」がありました。磐榮稲荷神社。創祀は和銅二年(またしても709年です)、伏見稲荷大社はここから遷座したという伝承があり、確かに伏見稲荷の創祀(和銅四年(711))よりも早いです。http://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/shrine/kameoka/07.html

 709年の神社創建ラッシュ(丹後の元伊勢・皇大神宮も元明期に社殿を建立)をみると、8世紀初頭には、よほど大きな神社再編があったと思わざるを得ません。元はココにあったのが、人間の(誰の?)都合で移され、「元」という栄誉だけを頂戴したのか?
 話ができ過ぎのような気もしますが・・・丹波はなにかすごいところです。

P1110932  ともあれ、出雲大神宮です(14:06)。ここは南に向かって建っています。あたかも「国は譲ったんだ、しかし本来ここは我々の開拓の地であるのでここに住む。もう動かへんぞ。文句あるか」と言っているように、です。
 ・・・というのは流れで書きましたが、この出雲大神宮はそんなイキリはまったくなく、賑やかでやけに明るい神社でした。紅葉のせいかも分かりませんが・・・

 出雲大神宮はご神体山である御陰山の麓にあります。すばらしい黄葉で、どうしても拝殿より御陰山に目が行きます。もちろん禁足地です。御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地であります。おわんを伏せたような特徴的な円山の黄葉をみていると、信心深くなくても、確かにあのお山には何かある、と思えてしまいます。ほんとかどうか知りませんが、丹波の秋の山がひときわ美しいのは、山に鉄分が多いためだという。
P1110990 P1110945_2 P1110986  出雲大社は行ったことありませんが、写真などで見るかぎり、壮大、厳か、神秘的など、どうしてもモノトーンの世界というイメージをもってしまいますが、ここは極彩色。本殿の朱も写真にすると異様に鮮やかです。
P1110939 P1110946 P1110975
 境内は結構広いです。昔はもっと広く、古代の神域は愛宕山を含み飛地境内が所々にあり、合計三十六ヶ所。京都大原野神社は飛地領であったそうです。
 ご祭神は、大国主命と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎しています。
 現在は本殿のほか、上の社(素戔嗚尊、櫛稲田姫尊)、黒太夫社(猿田毘古神、大山祇神)、笑殿社(事代主命、少那毘古名命)春日社(建御雷之男神、天兒屋命)、稲荷社、崇神天皇社があります。
出雲大神宮公式サイト:http://www.izumo-d.org/top.htm

P1110955 P1110960 P1110962  参拝路の奥に入っていくと、少しは暗くなります。春日社は祠もなく、石だけ。その横は磐座です。写真では明るくなっていますが、もう少し暗く、ここはさすがに厳かな感じはします。ちょうど七五三参りの親子がお参りしていました。
 少し登るとみかげの滝というのが作られて?いました。ここは名水として名高いようで、境内に「御神水」を汲めるところも用意されています。一般の人はもちろん、料理屋や喫茶店の人も汲みに来ておられます。18Lポリタンクを何個も持って!
P1110982  
『御神水由緒  御神体山より湧出する清き神霊水は、如何なる病にもよく効き、痛み止めの水でもあり、延命長寿水なり。含水成分、金銀、硅石アルカリ、カルシウム等名水中の名水にして、世界ひろしと言えど、天下一の名水なり。』(神社案内板より)

P1110989  出雲のことはすっかり忘れて、紅葉の鮮やかさに見とれておりました。


(つづく)

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