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2010年1月 1日 (金)

葛城みち (7)葛城山麓あぜ道


2009年11月7日(土)  高宮-櫛羅
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 だいぶん長居をしましたので、先を急ぎます(12:55)。
Inu  一言主神社の石段の横の道を谷に上がっていきます。当初、ここでなくひとつ東の車道を行く予定でしたが、もらったマップによると、この道が葛城古道の本コースのようでしたので。これがまた気持のよい道でした。犬も気持ちよさそうに昼寝です
 小さな集落を通り過ぎました。ここには自然薯の勝手販売所がありました。300円。しかし、たまたま小銭がなかったので買いませんでした、おいしそうだったけど。
P1110241 P1110242 P1110245  ここから先、農道というより畦道のような所を通っていきます。ここがまた快適です(12:58)。
 昔よく遊んだような道。子供のころはいたるところが遊び場でしたね。こういうところは格好の場所です。

P1110247  畦道を登ると、稲木(いなき)がありました。所によっては、これを、はさ掛け「稲架掛け」ともいうようですが、ボクのイナカでは「イナキ」です。かつ、このような1段の架台でなくて7~8段の木組みをつくります。長篠合戦の馬防柵(これは3段くらい)のオバケのようなもので、そうとう大がかりです。
参考写真:
http://blog.goo.ne.jp/satoyama_net_seya/e/673e0c13a309a85e8c6bff656e1b4d41
 9月の終りになると家の近辺の道路の端に、はなはだしい場合には道路の両側に建てました。家の近くに建てるのは、乾燥の見極めが細かくできるから、と思っています。不思議なのは大阪に出てくると、このような多段式のが全くなくて、1段ものだけでした。ボクのイナカでは逆に1段式はほとんど見ません。この地域性が何によって決まるかということにも興味があります。しかし、今はほとんど機械乾燥になりましたね。

P1110249  刈り取りの終った田んぼの畦道をのぼっていくと道端に新しい石碑がありました(13:01)。「綏靖天皇葛城高丘宮跡」なんでこんなところにと思いましたが、綏靖天皇の高丘宮があったという伝承が残っています。葛城王朝説ができたのもこういうことがあったからなのか。
 ま、第2代の天皇なので、「ヨクワカラナイ」というのが本当でしょう。「昔、この辺りに王国があり、その宮があった、それがいつしか綏靖天皇の皇居という伝承になった」第2代天皇以降の記紀の気のない書きぶりからみると、確かにそう思えてしまいます。
 
 ソツヒコの姫であり、仁徳天皇の皇后である磐之媛が紀国に行幸している間、仁徳天皇は浮気にうつつを抜かしていました。これを知った彼女はついに切れ、堀江を遡って山代から葛城へ向います。その時に詠んだのが、次の二首です。

つぎねふや 山代川を 川上り 我が上れば 川の辺に 生ひ立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広 五百箇真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも 

つぎねふや 山代川を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ 我が 見が欲し国は 葛城 高宮 吾家の辺り


                 石之日売命   (古事記)

山代川:現在の淀川
烏草樹(さしぶ):シャクヤク科の潅木
五百箇:ゆつ、と読むらしい
小楯(をだて):やまとの枕詞

P1110256  川を遡るごとに気持も落ち着き、倭を過ぎるともうすぐふるさとだ。ふるさとの懐かしさがあふれ出るような詠です。この景色を見ていると、何もかも忘れさせてくれるでしょう。この景色にはそういうパワーがあります。この歌を読んで、昔見た台湾映画を思い出しました。テーマは自立。仁徳皇后はおおきな栄光ではあるけれど、昔この高宮で国見をした葛城王国とは違う、と磐之媛思ったのではないか?嫉妬心からとは思いたくない、そんな気分です。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=6451005&blog_id=117373

P1110246  「イワノちゃん ようお帰り」 って、仁徳皇后ですからそんなぞんざいな言葉使いはないでしょうけど、気分はそういう感じで村人は迎えたに違いありません。イワノちゃんもこういうところで遊んだのでしょうか?
 
P1110256_2 P1110259 P1110264  このあたり160mちょっとあり、大和三山がもっとも美しく見える地点だという、御所市の案内板が建っていました(13:03)。写真をちょっと拡大してみましたが、大和三山はあまりよく写ってません。
P1110265  高台の豊かな農村で、ビックリするくらいの大きな農家かがあります。道端にはあたりまえのようにお地蔵さんが建っています。落ち着いた村なんですが、このフェンスの色はどうにかならんもんでしょうか?

 まもなく九品寺です(13:12)。ここは人気のお寺のようで、結構な人数の人が訪れていました。赤いよだれ掛けの千体石仏が見所のようです。が、パス。
P1110275c P1110270 P1110276
 九品寺の駐車場から農道に入ります。谷に上がる農道に何か建っていましたので行ってみました。「番水の時計」とありまして、時刻に合わせて水を振り分けるためのものだそうです。まだ現役なのか?(13:16)
P1110279 P1110289 P1110283  ここから駒形大重神社に行けそうですが、やめてしまいました。この神社は駒形神社と大重神社が明治になってから合祀されたものです。
 駒形神社の祭神は、村人には木股と呼ばれているようです。大重神社の祭神には葛城雅犬養連網田が祀られています。この人物は、飛鳥板蓋宮において、中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀によって、蘇我入鹿が暗殺されるときに、入鹿を殺せと命じられた人物です。今度行ってみましょう。
P1110291 P1110293 P1110296  道は下ったり少し登ったりで、集落や田んぼを横切って進んでいきます。西は葛城山、東は大和三山でのんびり歩けるところです。
 
 村の道の真中に大きな石が立ちはだかっていて、六体のお地蔵さんが彫ってありました(13:30)。
P1110301  この巨石は室町時代にこの土地を襲った土石流とともに流れてきたそうで、村人は、仏法の精神に照らし極楽浄土を願い、六地蔵様を彫ってお祀りしだしたのだとか。道の真中に残してあるのがイイです。車はジャマですけど・・・

P1110304  さて次は笛吹き神社ですが、このまま山麓の農道を通っていけそうな気はしますが、よく分からないのでいったん車道(山麓道)に出ます。下り道にある農家の玄関先で豆を干していました。
 下った先には鴨山口神社がありますが、入口が分からずやめてしまいました。この辺りは櫛羅という所です。ここで葛城古道とネーミングされた道は終りで、御所駅に下っていくようです。なかなか見所のある道だったと思います。

【本日のマップ】

より大きな地図で 葛城みち を表示

(つづく)

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