かきつばた鎌倉街道(1)
2010年5月26日(水) 知立・八橋
知立での仕事第3クールが終ってやれやれ、ホッとしています。 とにかく、気分転換が必要です。今回はかきつばたの無量寿寺にいってから、特に目的地を考えずあたりをブラブラする予定です。
【かきつばた】
知立のかきつばた祭が今日で最後だというので、行ってみました(9:15)。係の人に「かきつばた祭りって、なにかあるんですか?」と聞いたら、「エー、なにもありません、今日で終りなので・・・」ということで、何もありませんでした。
かきつばたは花ガラ半分の様子で、さすがに終りのようです。おかげで静かな境内をゆっくり回ることができました。
無量寿寺は在原業平ゆかりの寺として知られています。(知らなかったけど・・・)どんなゆかりか?
1)お寺の本尊、正観音像が在原業平の作と伝えられる。
2)伊勢物語にある話で、「むかしおとこありけり・・・」で始まり、ある男が東下りの途中、この地(八橋)にたどり着いた。燕子花(かきつばた)が水辺に美しく咲いていたので、その男は、次のような歌を詠んだ。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもう
となって、フレーズの頭をとると「かきつばた」になっている。テンテンはないけど。
高校時代の古文ででてきましたね。
3)謡曲「杜若」は、この伊勢物語からとって作られた。
4)業平の井 「業平公 お茶の水を おくみの井戸」がある。
5)杜若姫の物語がある。業平の愛人「杜若姫」は、業平の東下りの際、はるばる都よりその跡を追い八橋までたどり着きましたが、その時すでに八橋を立ったあとで、悲観の余り付近の淵(今の逢妻川)に入水した。
ゆかりはこんなところでしょう。
無量寿寺はもともと、奈良時代の慶雲元年(704)の創立の慶雲寺といわれ、弘仁十二年(821)にこの地に移され、無量寿寺となったそうです。その後荒廃したのを文化九年(1812)、方巌売茶(ほうがん ばいさ)翁により再建され、杜若庭園もこの時完成した、ということでした。
http://www.city.chiryu.aichi.jp/0000000863.html
【いずれがあやめかきつばた】
さて、せっかくなので、よく似ているアヤメ/カキツバタ/ハナショウブの見分け方を調べました。
■カキツバタ(杜若,燕子花) アヤメ科アヤメ属 私市・大阪市大植物園
■ショウブ(菖蒲) サトイモ科ショウブ属 写真なし
あて字の漢字で書くと訳が分かりません。花菖蒲と菖蒲も漢字は「花」違いですが、ものがハナハダ違います。
参考サイト
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/izure.html
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/miwake.htm
あやめは「花弁の元のところに網目状の模様」がある。
杜若は「花弁の元に白い目型の模様」がある
花菖蒲は「花弁の元のところに黄色い目の形の模様」がある
もっと単純には
5月に花。排水の良い草原に生えるアヤメ
5月に花。湿原に生えるカキツバタ
6月に花。湿原や水分の多い草原に生えるのがハナショウブ
でよいと思います。
ちなみに、アヤメの写真はわが家のエントランスの岸(湿地ではない)に生えているものです。知立神社にあるものはハナショウブでちょうどこれからがシーズンです。
【八ッ橋】
伊勢物語では、ある男が都から道に迷いつつ、この地にたどり着くと、「川が幾筋も流れ、 水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つにわたせるによりてなむ八橋といひける。」とあります。また伝説では、この地の湿地(川?)で水死した二児を悲しみ、当寺で尼になった母親が墓を建て、村人の力で入り江に八つの橋を架けたことから、この村は八橋と名付けられた、とあります。したがって、八ッ橋。
八ッ橋屋さんの出店がありました。西尾とあるので、近くの西尾から出っぱってきたのかと思いきや、本場の京都からでした。西尾は創業者の名前です。なんでも、お菓子の八ッ橋の名前はここの八橋という地名から取ったのだそうです。八ッ橋の謂れの碑もありました。はて、地名の八ッ橋の謂れなのか、お菓子の八ッ橋の名前の謂れなのか?よく確認しませんでした。
八ッ橋を買ってみましたが、聞くと京都でも売ってると!・・・なんで大阪から知立に来て京都土産をかわなあかんのや、ということで、さらに聴けば、この祭の間だけここでしか売らないオリジナルがあると聴いて、それに交換してもらいました。
何が変わっていたのかよく分かりませんでしたが、ともかくもおいしくいただきまして、気がつけば写真はありません。
ここには芭蕉の連句碑もありました。
かきつばた 我に発句の おもひあり (芭蕉)
麦穂なみよる うるおいの里 (知足)
芭蕉は、のざらし紀行の旅の帰途、貞享三年(1685)四月、鳴海の俳人、下郷知足の家に泊り歌会を開いた時の作いわれています。
(つづく)
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