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2010年11月26日 (金)

西国街道 (本街道・芦屋分岐探索)

2010年10月5日(火) 芦屋



 打出のあたりで西国街道の本街道と浜街道が合流します。その合流点付近に道標があるということなのですが、前回(9/10)は見落としてしまいましたので探索に出かけました。
 さらに、マイケルさんの「ここは芦屋の打出」サイト、http://www.trans-usa.com/ashiya/index2.html では、元々の「本街道」が打出の合流点のあたりから東北に別れていて、西宮の越水あたりまでほぼ一直線に通っていたのではないかと考証されています。その推定旧「本街道」(というより山崎通り、江戸期以前の西国街道)を実際に歩いてみようと思います。ただし都市区画整理および震災復興の整備でほとんど消滅していますので、合流点付近で痕跡が残っていそうなところに集中します。ポイントになるのは森具-夙川堤防のあたりになります。
 今度は資料もばっちり読んで、地図も準備していきます。

【本街道・浜街道合流点】
 香櫨園の駅を出発です(12:25)。いきなり道草しましたが・・・

■阪神電鉄の線路際の本街道-浜街道合流点付近にきています(12:39)。塀があるので何も見えませんが、線路向うの青いハチマキのアパートあたりが合流点だと思います。ちょうど芦屋-西宮の市境のあたりです。正面のアパートの向こう側を本街道はナナメに来ていたハズです。

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■いったん北側の通り(御影-鳴尾線だったと思う)まで出て迂回します。ややこしいことに、このアパート(ダイアパレス)の真中を市境が通っているようです(その脇の路地という地図もある)。住民登録や届け、学校やコミュニティの活動などどうしてるんでしょうか?余計なお世話ですが。

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 このコンクリートの路地を入っていきます。Googleのストリートビューと若干様子が違います。新しく建て替えたんでしょうか?Googleの写真はいつのものや? 突き当たりの左手(東)はどんづまりでした。ここで本街道が遮断されています。どんづまりが市境なので、厳密には合流点は西宮市なんですね。まあいいか。

 右手(西)に少し行くと、ああ、お地蔵さんがありました(12:44)。前回は向うに見える通りを行ってしまったんでした。至近距離だった。

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■道標には
  左 中山■
  右 西宮道
と書いてあります。

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  中山とは中山寺でしょう。そういえば、西国街道のずっと先、昆陽あたりから何本も小浜、宝塚、有馬へ通じる道があった。西国街道をこのまま行って、武庫川を渡ってから中山さんに向かったか、そこまでいかなくても門戸厄神から宝塚に行って、そこで武庫川を渡ったかも知れない。
 たしか、有馬道というのが通っていたはず。灘から有馬への街道は、山越えをしない限りは、このルートが最短ですが、それでも灘-有馬間を行く人には大きな迂回路になります。そこで魚屋道や船坂越などを通行する人が横行し、宿場の商人や輸送業者にとっては非常に都合が悪いので、文化三年(1806)には有馬、灘の村民と正規の街道沿いの商人との間に訴訟沙汰がありました。結局は村民が負けて、山越の道は通行禁止になりますが、それでも往来があとをたたなかったと。近い道を通行禁止にしても無理なものは無理ということですね。

 いやいや、ここは西国街道の話です。
 西国街道の正規の道は、最初は打出-越水をまっすぐ行き、時代が下ると越水から南下して西宮に至る道(17世紀初頭?)、さらに広田村から西宮に至る道(17世紀半?)と、だんだん東遷していきますが、この道標を見ると、そんな人の都合とは無関係に、巡礼の道、あるいは生活の道として使われていたと思われます。官制の道が先なのか、巡礼の道がさきなのかはよく分かりませんが、土地の人が使う巡礼や生活の道は動かないということなんでしょう。
 地蔵尊の左側面にも「左甲山・荒神・中山・妙見山」と刻まれていました。
 ここは春日町ですが、30年ほど前に都市整備が行われ、その際に、旧西国街道の面影を残す古い街並みが消滅してしまいました。それに先立ち、春日地区を中心として文化財や生活文化の調査が行われ、「芦屋の生活文化史 -民族と史跡をたずねて- 昭和54年4月芦屋市教育委員会編(プロジェクト代表・田辺眞人)にまとめられています。http://www.ashiya-city-library.jp/bunkasi-mokuji.html

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 それによると、春日地区の西国街道は図のようになっていました。読んでみるとほとんどの建物が移転を迫られた大規模なもので、要は、いったんリセットして新たに御影-鳴尾線を中心に街割りをした、というもののようでした。
 地元の人への聞き取り調査で昭和初期の街道の街並みを復元し、イラストマップを作成しています。さらに石造遺品類の調査も行い、春日の区画整理該当区域だけで45点を認め、記録におさめられました。「整理事業による石造遺品の破損、搬出を防げないのですべてを調査し記録した」と書いてあるのは開発による破壊を憤る著者の気持が現れていると思わざるを得ません。

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 このイラストを見ていると、石造品(第3章参照)というのは。ここにあるお地蔵さんと道標でしょう。さらにここから分岐して、満池谷に向かう道も書かれています。これが元の本街道?または巡礼道だったようです。
 満池谷とは「火垂るの墓」で叔母さん宅があった場所です。この近くにある池(ニテコ池)は清太と節子が立ち寄って、たくさんのホタルに見とれた場所です。後にそのそばの横穴で生活を始めることになるのです。アカン、これ以上は書けません。アニメのシーンが浮かんできました。
 要するに、ここから分岐して夙川を渡って満池谷に通じる道が昭和初期にもあった。貴重な記録だと思います。

【ちょっと道草】
 さて本街道へ、という訳には行きません。その痕跡は打出駅周辺は消えています。しかたがないので、御影-鳴尾線までもどります。ちと寄道ということで打出駅周辺をブラブラ。駅周辺というのはどこでも同じ風景ですね(12:55)。

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 駅前の道路を北にとって打出天神社に行ってきました。

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 鳥居前にあるカフェなのか、ちょっと気になるところです。壁の色が周囲にマッチしたデザインで落ち着いた雰囲気を醸し出しているようです。いいですね。(12:58)
 ご祭神は天神社という限り、菅原道真でしょう。その他に事代主命も祀られています。その他に、近辺の金比羅神社、南宮八幡宮、春日神社、若宮神社、厳島神社が合祀されています。これは明治期のお上の都合でそうなったらしい。元々は産土神を祀っていたものです。

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 この神社も火災や、大戦、震災で痛めつけられた災難の神々をお祀りしています。しかし、明るい静かな神社でした。

 駅前の御影-鳴尾線との交差点には阿保親王廟の石碑がありました(13:06)。阿保親王塚はここを登っていってJRの向うまで行かなくてはなりません。

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【芦屋本街道探索】

■さて、御影-鳴尾線をどんどん西へ進みます。ちょっと行きすぎて宮川にかかる橋まで行ってしまいました(13:09)。橋のたもとにあった喫茶店で休もうと思いましたが、近所の若奥さん連中がお茶で場所を取られてしまい入れませんでした。

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■一筋もどって(元)街道筋に合流します(13:13)。ナナメの道になっているところです。周囲はマンション、アパート、住宅街で閑静なところですが、道は曲がりくねっていて自然な感じですね。いい感じです。

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■橋のたもとにはお地蔵さんの祠がありました(13:15)。芦屋で最も古いとされているものです。横着して道から撮ったので頭が隠れてしまいました。一段低いところにあるので・・・

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■橋は西国橋です。写真は通り過ぎてから撮ったもの。

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■さらに進んで、大通りを横切ると分岐がありました。迷わず右です。いえ、女性がいるからでなく、当然「右」という感じがするでしょう。路地のようなところ。(13:21)

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■さらにもう一本広い通りを横切ります。建物の間の狭い道です。(13:22)

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■その狭い道で旧西国街道のサインがありました。芦屋で初めてこの手のサインを見ました。この家の方が作られたんでしょうが、芦屋の人は旧街道には興味ないと思っていたので、なんとなくうれしい。

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■二国を歩いて業平橋まできました(13:28)。これから先しばらくは西国街道は二国に吸収されているので、ここでやめときます。川は芦屋川です。阪急芦屋川からはよく六甲山に行きました。

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■ここで喫茶店を探して30分ほど休憩としました(13:30)。
さて、これからどうする?思案の挙句、元来た道を春日町まで帰って、お地蔵さんのある分岐から森具のほうへ行ってみることにします。ここから越水へ延びていたであろう2つのルートのうち、屋敷町-御茶屋町のルートは消えているので、もうひとつの候補・弓場町-郷免町-御茶屋町ルートを歩いてみます。これとて消失してるんですがね。

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【本日のマップ】

http://goo.gl/maps/JE7d

(つづく)

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