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2010年11月 2日 (火)

かきつばた鎌倉街道(2) 知立・八橋

2010年9月22日(水) 



 知立での仕事第1弾が、とりあえず終ったので、気分転換に歩いてみます。5月に知立に来たときに、無量寿寺付近を鎌倉街道が通っていたことを知って、安城あたりまで歩いて、なかなかおもしろかったので、今回は北西方向・豊明あたりまで歩いてみたいと思います。


【無量寿寺ふたたび】
 久ぶりにのんびりした朝です。9時ころ朝食、ホテル出発です。今日は名鉄三河線、八橋駅から歩いてみます。今日ははっきりいって暑いです。30℃は確実に越えるでしょう。
 逢妻男川の橋ではバケツを降ろして水質検査をやっていました。とろとろと水が流れていますが、見た感じでは、それほど汚れてはいない。

■ 9:35(頃)無量寿寺着
  お寺の庭園は工事をやっていまして、入れませんでした。

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 型通り、本堂と芭蕉連句碑、亀の上に乗っている八橋古碑(亀甲碑)。いつも境内にクルマが留まっているのが気になります・・って、2回めだけですけど。ひともとすすき、業平竹も撮っておきました。ここでは、いずれも縁結びの御利益があるとして人気があるようです。

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 ひともとすすきは謡曲「筒井筒」の故事にならって植えられたと伝えられます。もとはと言えば「伊勢物語」23段で、

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

とあり(注;旧かなつかい は変換)、

能では

筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生ひにけらしな 妹見ざる間に

 昔、古文で習いましたが、どちらだったのか?「筒井筒」だったような気がするし、「おいにけらしな」だった気がする。しかし、高校では伊勢物語でしょうなあ。どちらにしても、「すぎに・けらしな」という文法上の解説が主な主題だったようですが、みんなはそれ以前に「つついづつ」ってなんじゃい?という方に気が行っていて、ひとしきり騒いでいました。それから先生からこの物語の解説があって、ちょっと気恥ずかしさも感じたりして、純情な時代でした。その先生の顔も浮かんできました(名前は忘れましたが・・・しゅんちょうだったか、じゅんちょうだったか?お寺さんでしたから)

筒井筒で昔を思い出し、長居をしてしまいました。

【鎌倉街道をゆく】
■鎌倉街道(9:51)
 この街道もなかなか鄙びていて、いい感じの道です。手前の店は閉めているようですが、新しく大きな店を立てたのか?こういう店が街道筋にあると、ついつい寄ってみたくなります。

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■在原寺(9:53)
 無量寿寺から10分ほどで在原寺に着きます。普段はお寺は立ち寄らないのですが、寄ってみました。

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 業平の分骨を葬った時に、小堂を建てたのが起源といいます。ここのお堂の前にも「ひとむらすすき」、「業平竹」がありました。

■山頭火句碑
 山頭火の句碑があり、昭和14年この地を訪ねて詠んだという三句が彫ってあります。

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    むかし男ありけりという松が青く
    はこべ花さく旅のある日のすなほにも
    枯草にかすかな風がある旅で

■とってつけた「今は」
 はて?「むかし男・・」にとってつけたような「今は」は何?単なる落書きなのか、それとも修正したのか?彫られた字なのかどうかは確認しませんでした。気になる。

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 青空文庫で該当する昭和14年4月16日の旅日記をみてみると、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000146/files/49784_39690.html
「はこべ・・」と「枯れ草に・・」の句はありましたが、「むかし男ありけりという松が青く」という句自体が載ってませんでした。余計気になる。

■街道に古家あり街道をゆく(9:55)

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 こういう建物をみるとついつい写真を撮ってしまいます。建築デザインの専門ではないけれど、この板壁のこなれようを見てください。真新しい建物もよいけれど、エイジングというか熟れたというか、比較的新しい家々に混じって存在感を発揮していますが違和感はない、とボクは思います。木の壁が街道筋の歴史と風景にマッチしていると思います。

■根上がりの松(9:58)
 道がやや下りになった坂のところに「根上がりの松」がありました。
  案内板によると、「この松は、安藤広重の浮世絵「東海道名所図絵」中に描かれている松に当たると思われ、したがって、少なくとも江戸時代後期には、既にこの地に存在していたと考えられる。
・・・・なお一説には、この松は鎌倉街道の並木の一部であったとも言われている。」と。

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 根はさすがにダイナミックで傘のように広がった太い枝を支えているだけのことはある。どなたも根ばかり写真を撮っているので、幹と枝ぶりの写真を撮っておきましょう。かなり手入れもされているようでした。

■八橋伝説地(10:00)

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 名鉄三河線の線路を渡るとすぐに「八橋伝説地」の碑がありました。その奥にみえるのは業平供養搭の碑だと思われますが、見に行きませんでした。あの碑の横に供養搭があるはずです。

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 「在原寺縁起」では寛平年間(889~897)に業平の骨を分け、この地に塚を築いたとされていますが、この供養塔はそれより後、鎌倉末期頃に。業平を偲んで建立されたものと考えられています。
 この街道は江戸期以前の古東海道でもあったんですね。それなら、今、並行して歩いている東海道ウォークの一部代替にならんでしょうか。
 ちょうど名鉄の電車がきたので撮ったつもりですが、ずれてました。

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■古東海道(10:06)
 逢妻男川を渡って、先方に見えるあの高速道路の向こう、少し入ったところまでが知立市です。高速を渡る手前の道端に「古東海道」の案内板が建っていました。それならやっぱり東海道ウォークの一部としてしまいましょう。ただ、豊明あたりまではいいとして、それから先の古東海道がどうなっているか、全然わからない。

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 高速をくぐると登りになります。今立っているこのあたりからもう豊田市内のはずです。

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【本日のマップ】



より大きな地図で かきつばた鎌倉街道(2) を表示

(つづく)

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