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2011年9月16日 (金)

東海道ウォーク 岡崎-知立(3) 【矢作、尾崎】

2010年12月6日(月)



■旧街道に(9:45)
1号線から旧街道に戻って来ました。後ろを見ると遠くに堤防に上がる急坂が見えます。あそこが27曲り?ちょっと心残りですが、先を急ぎます。

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■弥五騰神社(9:48)

奇妙な名前なので調べてみると、元は彌五郎殿と言ったらしい。なに、弥五郎?あの巨人伝説の?しかし、どうも違う。

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 弥五郎殿社は津島神社境内にある摂社で、武内宿根の末裔という堀田弥五郎正泰が南朝に仕えている頃再建した社殿という記事が津島神社のサイトに出ていました。さらに調べていくと、やはり津島神社の弥五郎殿社と関係がありそうです。
http://miesin.com/a-yahagiginzya-taisai-2010nen.htm

■またしても十王堂?(9:50)
あの閻魔さまかと思ったら、こちらの十王堂は違うのか?誓願寺の十王堂で、義経と浄瑠璃姫の悲話があって、その縁の品や像などが安置されているようですが、地獄図絵もあるようです。見てないのでなんとも・・・左手の石塔は「浄瑠璃姫菩提所」と書いてあります。

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■読めない神社(9:54)

高岡屋が見えてきます。街道ウォーカーの目印になってる?それほど目につきます。

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 すぐに神社がありますが、これが読めない!書けない!竊樹(ひそこ)と読むのだそうです。これは無理です。昔は上加茂大明神と言い明治時代は加茂社といっていたが、大正2年(1913)、矢作村盗人木の竊樹社を合祀し竊樹社とした。昭和28年に地名が盗人木から末広となり、その後この竊樹社と竊樹神社に分かれた。ややこしいです。

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 さらにややこしいのは、なんで盗人木という地名を付けたんや?なんで竊樹(竊は「ぬすむ」「密かに」という意があるらしい)という社名をつけるんや?祭神は御気津神(食物の神)なので、もっと素直な名前を付けたら?と思う。甚だややこしいので、再び下記を参照ください。私にはよく分かりません。
http://miesin.com/a-yahagiginzya-taisai-2010nen.htm

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■国道合流(9:57)
国道に合流しました。矢作ではあまりにややこしくなったので国道を飛ばします。

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途中、櫓のあるお寺を通り過ぎたほかは何も覚えていません。無心に歩くのもいいと思います。前方に横綱ラーメンと松並木が見えてきました。安城に入ります。この間、約25分。

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■柿崎松並木(10:22)

横綱ラーメンで1号線と分かれます。宇頭だと思っていたら、柿崎なんですね、尾崎か?
松並木いいですね、ほっとします。快適に飛ばします。

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■尾崎市場屋敷(10:29)

ここは尾崎町ですが、市場屋敷という地名が付いています。
その通りのお屋敷があります。このところよく見かける白壁に板張の蔵。

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■予科練の碑(10:32)

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 宮前の熊野神社の横(境内の一角?)に予科練の碑があります。案内板を見ると、ここには終戦間近に、第一岡崎海軍航空隊が置かれ、飛行予科練習生の即戦力養成が任務で、昭和19年5月から1年もたたないうちに6000名が入隊し、次々に各地の実戦航空隊の実務練習生(という名の、多分、実戦部隊)として送り出されていった。ここから北、三菱自動車の岡崎工場の手前に滑走路があり、今の県道の手前から旧東海道までに兵舎や練兵場、本部などがあったようです。戦後は進駐軍により破壊され農地や工業用地になりました。後で行く熊野神社の裏には、あくまで平坦で広大な農地が広がっています。

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 碑と説明板は昭和61年のものですが、説明板には「戦後40年経った今、驚異的な経済成長に伴い、前線に巣立って行った若者のことも人々の脳裏から消え去ろうとしている。この史実を後世に伝えたい」と言う意味が書かれています。
 分かりました、受け止めました。少しでも伝えられるよう、ここにも記載しておきます。

■踏分の森(10:33~45)
 ここは旧東海道と鎌倉街道が交差しています。それで熊野神社の森は「踏分の森」と言われています。さらに東海道の尾崎一里塚もあった。ここで鎌倉街道が分岐していました(交差か)。

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 鎌倉街道は、京側からは北西の不乗森神社-証文山東-熊野神社-西別所町-山崎町-新堀町-大和町桑子と通じていました。
 神社西側の小路が、鎌倉街道の遺構とは言いません、名残というか、その昔、ここを通っていたんだという縁の道になっています。

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■熊野神社

境内はかなり広く、奥のほうに社殿があります。和銅元年(708)、土地の長者が熊野大神を祀ったのが起こりとされ、後に村人たちが鎮守として崇めるようになった。祭神は伊弉冊命です。社殿右に秋葉神社があります。

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■古の鎌倉街道(10:49)

神社の裏手に回ってみました。道は途中から鎮守の森を通ります。そばには工場が迫ってきていますが、バッファとして田んぼ(畑)が残されていますが、時間の問題のような気もする。鎮守の森の木々は若木が多いです。

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 北を向くとその広さに唖然とします。さすがに元航空隊の基地。右手遠くに見えるのは三菱自動車の工場でしょうか。方角からいうとそうなります。
 さてこの道を鉄塔のあたりまで歩きます。

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【本日のマップ】

より大きな地図で 東海道ウォーク 岡崎-知立 を表示

つづく

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