東海道ウォーク 岡崎-知立(1)
2010年12月6日(月) 【岡崎27曲り後編1】
2日目、伝馬町まで行ってスタートとします。朝起きてぐだぐだしていて、出発が遅れました。
さて、27曲りですが、今まで家康出生の地でもあり、当然徳川譜代の岡崎城主・本多氏によって作られたものと思ってましたが、違いました。なんと!田中吉政、近江は安曇川の出、秀吉譜代です。天正18年(1590)に徳川家康が関東へ移封後、秀吉から岡崎5万7千4百石(その後10万石)を領し、10年の間に城下町建設、矢作築堤という今に残る事業をやったということです。
吉政は城の南側にあった鎌倉道を城下に付け替え、「二十七曲」と呼ばれる屈折の多い道を造った。これは、関東の徳川家康に対する防備の備えと言われています。しかし、これが徳川以降も城下町繁栄の基礎となり、のちに東海道有数の町として発展することになります。
吉政は、城下町全体を堀と土塁で囲む総曲輪内にし、城の東に家臣団を、西に商人や職人を分けて住まわせる大規模な都市改造を計画し、矢作宿から商人や職人を移転させ、連尺町には商人、材木町には大工、鍛冶、指物などの職人、肴町には城下へ魚鳥類を供給する商人が住んで専売権を与えた。さらに、城の西にある沼田を埋め現在の田町を造成、天神山を崩して現在の松葉町・板屋町・材木町を開いた。
詳しくは下記を。こちらからのウケウリです。
http://snkcda.cool.ne.jp/yosimasa/
吉政は関ヶ原の戦いで東軍に荷担し、石田三成を捕まえるという大功を上げ、慶長6年(1601)に九州の柳川・久留米の32万5千石の破格とも言える所領を賜ったが、吉政の没後、次の代に些細な理由で取りつぶされています(よくある手です) 。
しかし、400年たった今日でも都市・河川の改革は彼の業績として記憶されてよいと思う。
■専福寺(7:47)
まるで城壁のようです。櫓(隅櫓というようです)もあって、ここから街道の監視や物見でもしたのか?
■岡崎宿歴史プロムナード
伝馬町通りにはいります。永田屋さん過ぎたあたりにこんな石碑が並んでいます。岡崎宿歴史プロムナードといって、計20基あるようですが、写真に撮ったのは2つだけ。そういえば、昨日コンビニの前にもあった。
http://ryushi.fc2web.com/prome/
■4曲り:西本陣前角(7:50)
そのコンビニ前で確認。ここから実質スタートです。
■5曲り:吉良みち分岐(7:51)
再度確認。次は籠田惣門跡となっています。
■6曲り(7:52)
スケッチの街並さんの6曲りですが、素通りします。
通常ルートの6曲り;惣門前はゴミ集積だったので無視。スケッチの街並さんの7、8曲りは昨日通ったのでパス。
なお、通常ルートの7、8曲りは昔は枡形になっていたのが今はないので、空カウントになるようです。27に合わせるためにややこしいカウントが必要ということでしょう。
写真は岡信資料館です。
■9曲り:連尺町角(7:56)
道標の案内通りに歩きます。公園を付ったところが連尺町。この通りを西に行きます。
■10曲り:シビコ北(8:02)
名前は付いていますが、写真がボケていたので確認できず。洋品店の前でした。ここを北に入ります。
■11曲り:材木町口木戸前(8:03)
すごいガレージです。3台は優に入る。ベンツかなにか置いてるんでしょう。拡大するとベンツマークが見えます。ここを西。
■12曲り
ここはちょっとややこしい。西行きしてすぐ北行きの路地が在りますが、当時はこのあたりから西北にナナメに道があったようです。今はないので、Lまたは逆L型に行くしかありません。従って1コだけ空カウント、写真もありません。
■13曲り:材木町角(8:06)
材木町通りにでました。ここは分かりやすい。西に行きます
■14曲り:柿田川角(8:11)
柿田川に当たります。岡崎城の西を流れている川です。お城の西側の散歩もお薦めです。いやいやここは27曲りに集中しているんです。元々は橋にの中ほどからナナメに南下(といっても当時は橋も川もない)していましたが、橋の手前を南下します。河原に下りて歩くのも一興か。
角の手前には唐弓弦(とうゆみづる)の商家 森家があります。軒下に「唐弓弦」木製看板があるはずですが、写真では見えません。唐弓弦は綿花に弦を弾いてほぐして紡ぎやすくする道具だとか、そんな専門用具だけのお店が成立していたんだ。さすがに物産の集散地らしい感じがします。
■「材木町より下肴町角」
川沿いの道に入ると石柱があります。角にあるばかりではないんですね。このあたり、魚町とか西魚町という名前が付いていますね。昔の通り。左手に白山神社の幟が見えます。
■15曲り:三清橋角
信号待ちをしていて、うっかり写真を撮るのを忘れました!代わりに三清橋を渡った後、橋の西からの写真を載せておきます。
■16曲り:田町北角(8:16)
ここは若干うろうろします。三清橋を西に渡って、大通りとその南に小さい道が一段低いところを通っています。石段を下りたところに石柱があり、そこが田町北角。
その横(西)すぐの路地を入って、西折れ-南折れするのが昔の街道のようですが、今はそれはできないので17、18曲りは欠番です。しかし、そこに入っていって道がないのであれこれ聞く人が多いんでしょうなあ?その道の隣のお家の壁際に看板が2枚ありました「こっちやで」
■19曲り:田町角(8:18)
沼田を埋めて町を作ったので田町。
田町角の道標があるのでマチガイないんですが、さて困りました。行き止まりです。昔はまっすぐで今は1号線があるので信号まで迂回は理解できますが、どっちや?
■20曲り:製材所(8:21)スケッチの街並さん
西に行ってみました。田町を南下する道の対面あたりにきても信号はありませんね。それもそのはず少し西に歩道橋があり、ここを渡るんでしょう。しかし、先ほど、感じのよい路地があったのでそちらに入っていきますと製材所があります。現役のようですが、なかなかいい感じです。スケッチの街並さんはここを20曲りとしています。
■19曲り:銭湯前(8:22)スケッチの街並さん
東に戻ります。銭湯のようですが、自動販売機があるところを見ると現役のようです。これはすごい!総板張、くすんだガラス窓、レンガの煙道、真っ黒な煙突。見飽きません。龍城温泉というようですが、事前に知っていたら入りに来るのに。
スケッチの街並さんはここを19曲りとしています。分かる様な気がします。
■20曲り:板屋町入口(9:03)
元に戻り東の信号を渡って板屋町入口に来ました。入っていく前に休憩です。ぐるぐる回って若干疲れましたので、モーニング。30分ほど休憩しました。
【本日のマップ】
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つづく
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