東海道ウォーク 御油-岡崎
2010年12月5日(日) 【御油再び】
久しぶりの東海道です。前回は2010年9月29日(水)新居から二川まで、御油に至っては2009年9月16日ですから、1年以上経ってます。書くのはさらに遅れてますけど・・・
■まずは国府から(9:05)
時間節約のため、新幹線を使いました。さらに名古屋から名鉄。国府9時着なので、まずまずでしょう。前回は久保町信号を横切って、旧街道に入ったんでした。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/12/post-9e9d.html
強烈な朝日!入ったところにある「うば車」の看板はなんじゃい?
■蔵
蔵の地域差に興味がでてきて、かっこいい蔵を見るたびに写真を撮っています。この辺りの蔵(あるいは倉)は土壁に板張というのが多く、その板張りは黒く塗られているのが多いです。後の2枚は巨大なかんぬき扉(カンヌキは閂なんですね!)を見ると山車蔵なのか?
■大社神社の大楠(9:31)
大社神社は以前立ち寄ったので、今回は大楠。見事なものですが、特に何かに指定されているということはないようです。
■御油一里塚跡(9:34)
日本橋より76番目の一里塚。信用金庫の植え込みに新しい石碑が建っています。とりあえず写真だけ。
道標と常夜燈がありますが、新しい民家に囲まれてしまっています。個人の敷地なんでしょうがないかも知れませんが、この神経もうちょっとナントカならんのかと思ってしまいます。特に右手の家は違和感ありあり。分からん!
■姫街道追分(9:36)
音羽川に架る御油橋を渡ると御油宿の始まりである(多分)。
■御油宿高札場(9:43)
街道は狭くなって突き当たり(道は先まで続いていますが)、街道は右に曲がります。このあたりには、保育園のグランド前に高札場跡、曲りの手前にはベルツ博士の妻、戸田花子の祖父の生家跡、広重の「旅人留女」の絵看板、問屋場跡の看板などがあり、宿場の中心地のようです。しかし、本陣はどこにあったのやら?
■御油松並木資料館(9:46)
多分ダメだろうとは思っていましたが、やはり開館前。待っていてもよいのですが、待つのはそもそもイヤなタチなので、こちらのサイトで・・・
http://www1.ocn.ne.jp/~goyukuri/
枯れた松の根本が飾ってありますが、左の新しいのは天然記念物のものなので、右の古いほうの巨大さが分かります。樹齢300年、初代のものと推定されています。
江戸時代はたいへん賑わった御油宿ですが、明治以後は東海道線が通らなかったこともあり衰退しています。他の宿場でもあったように鉄道反対運動もあったようですが、海岸を通すほうが勾配がゆるいということが原因のようでした。
■十王堂(9:55)
十王堂とはなんぞや?この地方に多いような気がします。東海道筋では今まであまり見たことがないし、関西でもあまり聞きません。調べてみると、仏教では、人が死ぬと地獄や極楽に行くと信じられていて、その行き先を決定するのは閻魔大王を筆頭とする十人の王たちです。なるほど、子供のころよく海水浴に連れていってもらった天橋立に文殊堂というのがあって、地獄図絵がかかっておりました。帰る段になって必ずそこに連れていかれ、嘘付いた舌抜かれるとか、悪いことそたら地獄へ連れていかれて、「ほれ見てみ、釜ゆでや針の谷に突き落とされとるやろ」などなど、さんざん脅かされたものです。子供心に恐かったこと。あれですか。
■御油松並木(9:55)
季節のせいもありましょうが、なんだか少々くたびれているような?菰巻きもしていないし。横で新しい公園を作っていますが、道路を別にして全体を公園にしたほうがいいんじゃないの、という考えがチラっと。車は少ないようだったのですが・・・
【本日のマップ】
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つづく
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