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2012年1月 9日 (月)

紀伊見峠越 (1)

2011年5月3日  紀伊見峠



 紀見峠というのが結構気に入ってます。前回歩いたのが2009年5月15日ですから、2年経っています。町石道リベンジの前に歩いてみることにしました。

【うどん屋でたこ焼き】
 天見の駅に11時前に着いたと思います。天見といえば出合の辻にある以前から気になっていたうどん屋・「たこ忠」さん。たこ焼き屋さんでもあります。

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 のぞいてみると「あと30分くらいかかるわーー」ということで、付近をブラブラしました。高校生のワンゲルらしい兄ちゃんが3名ほど流谷を登っていきます。どこ行くの?声をかけると「岩湧山です。」そうか天見は岩湧山の登山口でもあるんでした。 南海旧線の廃線跡の遊歩道のところは道路工事をやっていました。バイパスのようですが、静かな山村がどうなるのか?
 ブラブラといってもどこも行くところがないので早めに「たこ忠」さんに行って待たせてもらいました。「たこ焼き、うまいで。は早ようできるし」ということでたこ焼き。たこ焼きとくればビールということでビール。おっちゃんとおばちゃんの店で、なんでも峠向こうから車で通ってきているようです。おっちゃんの趣味半分ということで、「山の中におってもなにもすることないので・・・」元気なおばちゃんでした。
 歩く前からほろ酔い気分になってしまいました(11:40)。

【蘇民将来】

 出合の辻から山側に入る小道が分岐します。ここの小路がなかなか気持のよいところです。

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 ふと見ると(他所の家をじろじろ見ている訳ではありません)、「蘇民将来子孫家門」と書いたしめ飾りがかざってありました。まさか、蘇民将来の子孫の家?調べてみると、蘇民将来の信仰を伝承してお祀りしている神社が護符を頒布しているのでした。関西で蘇民将来といえば、八坂さんですが、この信仰は「備後国風土記」逸文の疫隈國社(広島県福山市素盞嗚神社の末社)や長岡宮で発掘された蘇民将来護符が文献上は古いそうで、今でも全国各地に広がっているようです。しかし、「客神の足跡」サイトによると、東北、越後にかなり集中しているという興味深いデータがありました。http://www.ne.jp/asahi/maroudo/somin/somintop.html
 ボクはこの護符を見るのは初めてですが、護符の形は神社によって各種あり、このお家のものは形からみると伊勢の松下社の注連縄護符とよく似ています。しかし!伊勢の松下社オリジナルの注連縄護符とは注連縄の向きが逆(出雲式の稲の株元が左)!ちょっと訳が分からなくなりました。しかし、伊勢で松下社以外で作成して売っているものは稲の株元が左なので、そちらで入手されたものなんでしょうか。
http://museum.umic.jp/somin/sominshou/s_katachi07.html
http://www.sato.pref.mie.lg.jp/member/info.php?id=56
 ちなみに、八坂さんの祇園祭で一部の鉾から頒布される粽には蘇民将来護符が付いているはず、というので、確か家に長刀鉾の粽があったなと思って調べたら、すでに処分されてました!!

【山里の変化】

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 さて、この小路にはすばらしいお屋敷があります。なにがすごいかと言えば、石垣と土塀。なかなかすばらしい。何か違和感を感じましたが、それは母屋の屋根がトタンに葺き替えられていたのです。以前はかなり朽ちた茅葺き屋根で、これもすごかった。前の写真をのせておきましょう。2年も経つと変るもんです。

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 気持の良い道が続きます。しゃくなげも咲いている。街道は島の谷の信号で国道を渡って続いていきます。(11:48)。
 街道はいったん国道と合流します。いつもの古い変電所ですが、その横にはあたらしいログハウスが(11:57)。ここにも変化が現れています。

【イタドリの道】

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 前回と同じタイトルです。最奥の人家を通り過ぎると坂は谷をぐるっとまわりながら、ゆったりと登っていきます。ここは草花の宝庫ですね。全部名前がわかるといいんですが、そうもいかない。以前は山菜採りにきている人も見かけました。まことに気持のよい道です。マムシグザの花ははじめて見ました。この花も一度みると忘れませんな。

【紀伊見峠】
 ダイヤモンドトレイルを横切るとまもなく紀伊見峠です(12:26)。一般には紀見峠ですが、ここの在所は「紀伊見峠区」と主張していますので、紀伊見峠。ここには高野山女人堂の六里石があります。

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 峠を越えたところに「腰痛の神様 福島大神」と書いた看板があって、前回来たときから気になっていたので行ってみました。あまり無理をすると時々痛んできます。

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 大きくはないが、気持ちのよい神社です(12:30)。すぐ近くにお墓があってお墓参りの人が訪れるようです。ベンチもあるので休憩していたら、「こんなとこようわかりましたなあ?どこから?いつもこられますのん?」「大阪ですけど、2年前来たときから気になっていたので・・・」「腰、痛いですなあ」なんていう老人の会話をしております。

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 紀伊見峠には江戸時代に紀州藩の番所が置かれていて、旅籠や茶店が軒を連ねて高野参りの人々で賑わっていました。「紀伊見峠宿」ここにある峠の茶屋・丹波屋にはそう書いてあります。

 宿場も終わりになるころ、道の真ん中、いや脇にお地蔵さんがありました(12:45)。元々は、ここから急坂の下りになるので、祠をぐるっと回るようにして道があったのでしょう。今は車のためにまっすぐ道が作られて、それで道の真ん中にお地蔵さんが取り残されたか。

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紀州への下り】
 坂を降りて、旧国道を横切るところで休憩をしていると、車できて南海の紀見峠駅までの道を聞く人がいました(12:50)。なんでも、ダイトレを歩くので下見に来たとか。どこか駅とダイトレ近いところに車を置いて、ダイトレを歩いて・・・ということなので、この場所は最適かと思います。

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 ここからの道もよいので快適に下っていきます。5~6分下ると紀見峠駅への道が分かれます。この道は車は無理ですが歩いて、10分くらいで駅にいけるし、車はもっと下に道があるはずです。

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 柿畑を過ぎたところにシブイ廃屋、もとい現役の家があったんですが、ありゃ!なくなって更地になっていました(13:06)。なかなか風情のある屋根だったのですが、まさか、残せとはいえない。

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 この先で、車が寄ってきて、みるとさっき道を聞かれた人でした。「ああ、どうも。」

【本日のマップ】

より大きな地図で 紀見峠 を表示

(つづく)

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