尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山2
2012年5月15日(火) 大久伝-宿
【雨に咲く矢車菊】
■八幡社南30m(10:14)
鳥居を出てすぐのところに北西に入っていく小道がありました。八幡社南30mから考えると、この辺りを旧鎌倉街道が通っていたのか?この先がどうなっているのか分からなかったので通りませんでしたが、大回りした先にも南に入る道がずっとつながっていました。
■十三塚の道(10:20)
県道を越えてまっすぐ道があります。十三塚という地名の場所を通る道です。圃場整備のため今は塚があるわけではありません。途中から舗装がなくなりまして、これはまた足がびしょ濡れになりそうなので、迂回することにしました。まっすぐ先には大楠も見えています。
■雨の矢車菊
道端に青い花が咲いていました。矢車菊だと思いますが雨に濡れてなかなか美しい。田植えをしていない田にも一面に咲いています。よくみると麦が植えてある。しかし耕作しているとは思えません。多分休耕田で地力維持のため麦をばら撒いているのいでしょう。飼料用かな。ちなみに矢車菊はヨーロッパ東南部や西アジアが原産で麦畑の中に咲いていたことから、英名は「コーンフラワー」というそうです。麦と相性がよいのか。
■大楠と青木地蔵(10:30)
大楠が見えています。大楠といってもそんなに太くはないので何代目かの楠でしょう。しかし周囲は田んぼなのでよく目立ちます。おそらく鎌倉街道現役のころもこんな感じで街道の目印だったんでしょう。
楠の下にあるのが青木地蔵で、仁冶二年(1241)の銘があります。豊明市教育委員会の説明書きによると、本物は、大正6年(1917)、沓掛町寺内地蔵堂に移されたとあり、これは代替仏です。土地区画整理で十三塚は消滅してしまいましたが、青木地蔵の塚は残ったといわれています。
■二村の宿に入る(10:35)
鎌倉街道は大久伝-十三塚-宿を経て二村山に通じていました。その宿に入っていきます。
現在の「宿」の地には、昔、両村駅(ふたむらえき)が置かれていた。鹿嶋社の由緒書きによると、二村の駅は沓掛本郷と沓掛宿の二ヶ村からなっていたので二村の宿と言われたそうです。
■鹿嶋社(10:42)
その鹿嶋社も鎌倉以前からあって、もともとは川嶋社で、祭神も今はタケミカズチ神ですが、本来は水神・ミズハメ神を祭神としていたようです。宿の地名も古くは字川嶋だった。上流に勅使池をはじめとする7つの池があるように、住民は水に苦労していたようです。
境内には業平の歌碑があるようですが、雨のため見落とし。今は雨に苦労しております。
■鎌倉街道遺構の道(10:49)
鹿嶋社の裏手になる細い道、ここが旧鎌倉街道の遺構とされている道です。そうでも言われなければ分からない、普通の道でした、
■十王堂の丘(10:56)
ここから旧街道は十王堂の小さな丘に登っていきます。今はちょっと大回りして住宅街の道を通ります。住宅街といっても畑のほうが多いところです。こんなところを通っていたんだ。丘を越えて若宮交差点に入っていきます。
参考文献
(1)なごや史跡探訪 幻の古道鎌倉街道;http://16.pro.tok2.com/~pegasus1297/A50_1.htm
(2)ぶらり豊明おもしろ発見!;http://park.geocities.jp/huta1311mura/syogaigakusyu-2111-3.html
(3)まちもよう;http://www5.ocn.ne.jp/~matimoyo/kamakurakaidou-8.htm
(つづく)
【本日のマップ】
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