茨木街道をあるく 唐崎散歩
2013年9月3日
2013年9月6日
茨木街道に復帰して唐崎に入ります。
■芥川右岸堤防から下ります
ちゃんと階段を付けてある。正規の街道に近いところです。
街道に入ったところにあるお地蔵さま。鍵もかかっていないようだし、戸を開けて写せばよかった。
どこをどう通ったのか?
こちらはバス道に突き当たった。
水路に沿って歩いた記憶もある。街道とは違うなあ。
ここは正規の街道のようです。
9月3日は、バス道に出たところで大雨に逢い、退散したのでした。バス1台をやり過ごして待機はしたのですが、雨は全然止まない。
より大きな地図で 茨木街道 を表示
■高槻街道支線から入る
段倉(だんくら)を見に行きました。たびたび淀川の洪水の被害にあっていた地区では敷地をかさ上げして倉が建っています。段倉考については後程。
遠すぎてよく見えませんが、2m位はあるか。
北向地蔵尊
梅田の紀伊国屋書店近く、三番街の南側にあるし、昔、住んでいた京都は伏見区竹田の散歩コースには北向山のお不動さんというのがあって、普通にみていたのでよくあるものだと思っていましたら、北向地蔵さんは珍しいんだとか。なんでも全国で400体くらいしかないのだそうです。 http://kita-ku.jugem.jp/?eid=24
街道筋。同じところを通っているような気がする
■バス道の南にいってみます
立派な地蔵堂。唐崎南之口地蔵堂といいます。
地蔵菩薩
「左手に宝珠、右手に錫杖を持って
千葉の青蓮華に安住する」御姿の
地蔵菩薩が。六道の辻に立って、地
獄に落ちかかる者の手を引いて救い
あげてくれるという信仰が印度から
中国を経て日本で盛んになったのは
平安時代のことです。
後、日本古来の境の神、道祖神
とも結びつき、村々の境や辻に
地蔵堂が建てられ、旅行安全、
厄除け、特に子供と縁の深い御仏
として人々に親しまれるようになりました
格子の間から覗いてみましたら、眉毛濃!!どことなくアチラ風のお化粧です。
地蔵堂の前には、これは大きな石燈篭
お花講中 昭和二年四月 と彫ってあります。これはボクの見た石燈篭で最高かもしれない。お花講というのは、花飾りで寺社に奉仕する講だと思いますが、どこの寺社へなのかは分かりません。
唐崎神社
明治41年に三島江の三島鴨神社に若宮を合祀されましたので、正確には三島鴨神社の遥拝所となっています。鳥居がありませんね。
バス道に戻ります。JAの角に道標がありました。
北面 (直?) 三島江 鳥飼
(右?) 茨木 吹田 大阪
西面 (右?) 三島江 鳥飼 味舌 柴島
(左?) 大塚 枚方
南面 直 大塚 枚方
(左?) 茨木 吹田 大阪
東面 明治四十三年六月 此所三箇牧 大(阪府)
( ?)は削られて不明。上記のように補充したら、この場所では合うのではなかろうか。方角が削ってあるところを見ると、よそから持ってきたのか?パズルです。
バス道を西に向かいます。振り向くと左手に「石田梅岩 母たね 生誕地」という新しい石標が建っていました。
(つづく)
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