茨木街道をあるく 上穂積-郡
2013年9月9日
茨木は春日から穂積(上穂積)へ入ります。しかし、その間に上穂東町というのがあるんでした。先程写真をみていて、気がつきました。穂積の東だからなのか。
そもそも、安威川を越えたあたりまでは、古代においてはコトシロヌシとか鴨氏とか、その鴨氏は葛城系だとか、いや山城鴨だとかの話をしていましたが、セントラル茨木を過ぎる頃から、じんわりとアメノコヤネがひそんできます。 茨木神社では、元は天手力男命だったのが、素盞嗚尊になり、今は、ちゃんと天児屋根命が配祀されているし、倍賀春日神社では高良社だったのが主祭神が天児屋根命になっている。穂積にはいるので、穂積氏、ニギハヤヒ系かと思って、上穂積春日神社をしらべると祭神は天児屋根命になっていました。
中臣藍連や中臣大田連が活躍した土地であるとか、書紀には皇極3年に中臣鎌子連(藤原鎌足)が仮病を使って引きこもったとかいう話はありますが、どうして中臣氏の地盤になったのかが分かりません。分からないだけに全然話も続きません。
■上穂積です
さすがに「茨木」から出たという感じはします。
■亀岡街道との合流点
合流してから振り返っています。リサイクルショップの右手からくるのが亀岡街道があります。6/6に地図がなくて迷走したあと、それらしい街道に入ったのが亀岡街道でした。その時はカンも大体あっていて、正規の茨木街道に復帰できたと言う訳です。
■新しい家と旧い家が混在しています
■ゆっくりと坂を上る
■古家
ベランダというのではないと思いますが、昔々、小学校に上がる前に京都のおじいさんと家で、この上に乗って遊んでいたら、急に底が抜けて下に落ちたことがあります。それ以来、これを見つけると気になって・・・
■名神をくぐり抜ける
■郡に入っています
静かな街道筋で、このすぐ東に名神のジャンクションがあるとは信じられない。
■同じような塀の家が続いています
■妙見灯篭の残骸
左 大(坂?)なのか。裏も判読が難しいですが、妙と見 、献燈 と掘ってあるのが見えました。献は古い字。
石柱の頭部は+字に切ってありますが、ここに灯篭部をはめ込む仕掛けになっていたんですかね?
■亀岡街道別れ
北向き写真です。茨木街道は左に折れます。が、これが分かりにくい。
■よく見ると、郡神社の看板
石燈篭があるからかも知れませんが、奥まりすぎ。「中井某」の横でもいいと思いますが。それにしても、この家の建からたは何?ジャマしているとしか思えません。
■見事です
郡神社はあとにしてうろうろします。亀岡街道を少しいった次の角です。
■少年院
その古家の角を西に登っていくと少年院がありました。何かの訓練でもしているのか、オーイとか、ワッ!とういうような大声が聞こえてきます。
郡神社への道は複雑怪奇で、この道から直接アクセスできる道はないようです。
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