2010年10月23日(土)
■大山崎(15:09)
さて、京都に入りました。街道は関大明神から南に折れますが、さらに南に行く道があって、その傍に古風な建物があったので行ってみました。
なかなかすばらしい。手前の町屋は少々傷んできていますが、手入れをしたら・・・しかしその手入れが大変なのでしょう。もう無人のようでした。その次の蔵と続きなのか?お隣の緑青ふきの家もよく熟れています。まだまだ現役でいけそうですが、窓ガラスに×のテープが貼ってあるところを見ると無人なのか?堂々たるものです。隣の家と比べても明らかに風格が違います。
■離宮八幡宮(15:09)
この神社は全然知りませんでしたが、調べてみるとなかなか由緒正しき神社のようです。荏胡麻(えごま)油発祥地で油の製造と販売の中心「油座」として栄え、現在は油の神様として親しまれているといいます。平成22年には創建1150周年を迎えたというので、相当なものです。
http://rikyuhachiman.org/
ご祭神は、応神天皇。八幡宮ですからね。これは宇佐八幡宮から勧請したものです。
左殿に酒解大神(さかとけのおおかみ)がお祀りしてあるようで(行ってないのでアヤフヤ)、元々はこの神様の社だったのでは?天王山の上にも酒解神社があり、調べてみると酒解神は大山祇神のことでした。
この神は、仁徳天皇の時代に百済の国から渡ってきて、三島江に着き、そこから、伊予・大三島へ移ったとされています。(伊予国風土記)。さらに、伊豆・三島大社にも祀られているので、この神を信奉する人々が酒作りの術を持って、海岸伝いに移動しあちこちに住みついたということなのでしょう。山と海、両方を司る神というのがパッと理解できませんが・・・
この神のおられるところに現在も酒作りの工場が立地している!ま、酒作りには水が決め手なので、そういうことは十分あり得ます。この西国街道ウォークの最初のころ、灘・敏馬神社には松尾神社もお祀りしてありましたが、この祭神も大山咋神でありました。その近くには灘の酒どころがありますね。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2010/10/post-4acd.html
■淀川大接近(15:15)
阪急のガード下です。阪急そばを写したのではありません。このあたりが淀川と街道が大接近するところです。山側から順に、東海道本線、西国街道、阪急、新幹線、171号線、淀川が併走しており、山際と淀川の間が約200m。名神を通す余地がなく、天王山の下をトンネルで通しています。
確かにここを押えれば京、大坂から西方の防御はできそうです。京の都にとっては天王山は最大の防御線だったことがよく分かります。しかし、その分、淀川の東はダダ通しなんですが。
この辺りに大山崎町歴史資料館があって、ちょっと気を引かれましたが、次回の訪問とします。
■大山崎の街並み(15:32)
大山崎の街道をどんどん歩いていきます。道が改修されて広くなったようで便利ですが、その分、どこにでもあるような都会の街並となっています。
名神の陸橋をくぐったあたりからまた道が狭くなります。天王山トンネルの方向を写していますが、この突き当たりの地名が「開キ」だとか?何を開いたのでしょう、まさかトンネルではないと思いますが。
■円明寺(15:35)
その狭い道は東海道線をくぐります。
地図をみているとおもしろい(珍しいのではない)名前が出てきます。円明寺は円明教寺から来たものと理解します。茶屋前、大門脇、仏生田、山伏、薬師前、これらも円明教寺から来ているのでしょうか?その他、里ノ後、金蔵、小泉川、若宮前、葛原、山田、川向イ等々、昔なにがあったか容易に類推できそうな名前です。
■川を渡ると長岡京(15:40)
小泉川を渡ると長岡京に入ります。街道の面影はなくなり、ちょっと雑然としてきました。地図は持っていますが、いきなりややこしそうな交差点に入り、おまけに工事をしているので、どこがどうなのかさっぱり分かりません。八角というところですが、右手(東)に行けばサントリービール工場、淀競馬場なのですが、東行きの道が2つ、北行きが、丹波街道と新西国街道の2つ、西行きは柳谷に行く道。角を数えたら8つなので八角としたのか?

右手の広い道に行ったんですが、これがマチガイ。旧西国街道は3枚めの写真の白い壁の家の右手に入っていくのでした。分からん!
そうそう、サントリービール工場はここから東に入ってすぐなのでした。仕事(の延長)で数回行きましたが、結構遠く、いつも阪急・長岡天神からタクシーだったので、どこを通ったのか分からず終いでした。もっと山側にあるんかと思ったら、淀川に近い方でした。
工場見学では丁寧に説明してくれて、まさにエコファクトリーであることはよくわかりました。メインの講演は「ビール博士」という方で、ビールの話かとおもいきや、なんと森鴎外の話(舞姫など、もちろんビールとの関連もあり)で、なかなかのものでした。レジュメを調べたら平成12年(2000年)9月のことでした。
舞姫といえば、大学のとき選択科目の文学で森鴎外がテーマで、舞姫も課題であったので懐かしかったです。その時の論述試験では時間内にピッタシ書けて自信満々で終ったんですが、成績はそれほどでもなかった!
恒例の試飲ですが、プレミアムモルツは確かにウマイ!いやいや、その前身のモルツスーパープレミアムは2001年発売だったんで、その時は飲めるハズありません。普通のモルツだったか。プレミアムモルツを飲んだのは発売の2003年以降か?しかし、発売からもう8年経つんですね!
■京言葉(15;52)
ゆるやかな坂を登っていきますが、また2つに分かれていました。最初左手に入りましたが、どうも違う。
坂の途中で初老のおばさん2人がしゃべっていました。何の話か分かりませんが、「・・・・おすなあ」「おすおす・・・」びっくりするくらいの京言葉でした。紛れもなく京都に入っています。
■街道復帰(16:00)
右手の坂を下っていくと、ああここか。旧街道に合流しました。時間も時間なのでトレースはやめ。更にここから東側に入っていきます。合流はほんの30mくくらい。あたりは完全に街です。
■すぐにまた分岐(16:03)
酒屋さんの前に古い道標がありました。東に入ると淀に繋がるようです。左手、即ち北行きは、どう書いてあるのか分かりませんでした。後で調べると、
京 あたご
なるほど、西国街道は巡礼道でもあったんです。「あきこ」やなかったんや。
ここからずっと直線の神足商店街です。商店街とはいえアーケードはなく、商店もほとんどなく、カラーブロックの街道がきれいに整備されています。
■神足ふれあい町家(16:05~16:28)
神足商店街に入ってすぐ、きれいに改修された町屋が現れました。旧石田家住宅で国登録有形文化財になっています。一般公開され、休憩もできるようなので入ってみました。ここでアイスクリームを頼んで庭のベンチに腰かけでゆっくり休憩です。
この町屋はうなぎの寝床の京の町家と違い、間口が広く田の字形の間取りで農村風であり、かつ、店舗と住まいを兼ねた町家でもある独特の風情をもっているのが特徴だそうです。
元々、神足村の旧家岡本家の商家で、江戸時代には「紙屋清兵衛」という屋号で和紙などを商い、明治以降、町医者などに利用されていたものを、後年になって石田家が購入したので、旧石田家住宅と言われています。平成12年10月に、規模が大きく江戸時代末期の町家建築の基準となるものとして国登録有形文化財に登録され、平成15年長岡京市が取得し、「神足ふれあい町家」として整備されました。乙訓障害者事業協会が運営しているので人にやさしい設備と運営がなされています。一般に、こういうところは入りにくい場合がありますが、ここはお薦め。ゆったりできます。
http://www.eonet.ne.jp/~fureaimachiya/sisetu2.html
サントリー(ビール)工場でほろよい加減の数人が入ってきました。サントリーで意気投合して、ぜひこの町屋と庭を見せたいというので連れてきたということでしたが、確かに何度きても楽しめそうな所でした。
■街道は続くよどこまでも(16:30~16:40)
この直線神足商店街は延々と続きます。昔の(明治期の)地図をみてもまっすぐ。ほぼ同じ所を通っています。商店街とは名ばかりで、りっぱなお屋敷が続く閑静な住宅街です。駅前の天神通りを過ぎてもまっすぐ、神足商店街の北端の看板が過ぎてもまっすぐ。あいかわらずカラーブロック敷です。
おっと、商店街の北端アゼリア通りを西に入ったところには一里塚跡があるんでしたが、行き過ぎてしまいました。また後で。
■やっと直線も終り(16:42)
比較的大きな川に当たります。車は堤防に上がっていきますが、歩道は堤防の下です。ここが旧街道のようでした。なかなかいい感じの小路です。
■一文橋(16:46)
街道は一文橋を渡ります。この橋は日本で最初の有料の橋といわれています。お金がないので川を泳いで渡ろうとする者もいて、厳しい取り締まりもあったようですが、橋守の中には、貧しい人が渡るのを黙って見過ごした者もいたといいます。その名は半兵衛で、「知らぬ顔の半兵衛」とはここからきたのだと。なかなかのお話しです。
http://www.kirameki-story.tv/back3.html
川は小畑川。天王山も遠くになってきました。ここを渡ると、向日市に入ります。え!?長岡京の都はどこに行った?後で調べてみると、長岡京跡は向日市、阪急・西向日駅の北側なのでした。とすると、長岡京市とはいったい?
調べてみると、うーむ、五条以南と西の方が入ってますね。
http://www.city.nagaokakyo.kyoto.jp/contents/09030175.html
政治の中心である長岡宮は向日市、経済の中心である「市(いち)」は長岡京市、表玄関口にあたる港(山崎津・淀津)は大山崎・伏見・淀にあったということで、運輸、交通面では平安京よりも立地はなかなかの場所だと思います。
しかしながら、延暦11年(792)の大洪水や桓武天皇の弟である早良親王の死、その怨霊騒ぎなどから、延暦13年(794)に平安京へ都が遷されました。洪水を治められなかったのは致命的ですね。
■石畳というか・・(16:51)
一文橋を渡ったところでまた道を見失いました。とりあえず大通りを行きます。あとで考えると一文橋を北側で渡ってそこの横断歩道を渡れば自然に入れるのでした。
すぐに復帰します。石畳というか、石畳風ブロックがきれいに敷かれていていい感じです。しゃれた喫茶店もあります。石畳には竹をデザインしたタイルがはめ込まれておりました。向日市は竹の里です。すぐに石畳は終ります。
■また分岐(16:54)
阪急をくぐり、車道を横切ります。住宅街の中を狭い街道が通っていきます。真北にほぼ一直線、500mくらいでしょうか。
■どこからがアストロ通り?(17:01)
その通りの出口ちょっと手前からアストロ通りの看板がでてきました。ちょっと暗くなって写真がボケています。
五辻を越えると本物のアストロ通りです。このアストロがどこから来たのかが分かりません。
■あれ?競輪場(17:06)
これはおかしい。ここは帰省の時にいつも車で通るところです。また間違った。後で調べてみると、「向日町商店街の看板」のあるところから右に入るんでした。これは分からん。とりあえずJR向日町の駅に向かいます。
帰省のときは1号線赤池から久我橋を渡り、狭い道をひやひやしながら、この競輪場前にくるんですが、途中、狭い路地が左右から出入りしてやっかいな所です。その道のどれかが西国街道なのでした。
■街道合流(17:16)
その旧街道は阪急・東向日の駅手前で合流していました。石畳風ブロックが敷かれた感じのよさそうな道でした。もう一ふんばりでJRの向日町です。
■向日町(17:23)
やっと向日町駅に着きました。結構時間がかかりましたね。
向日町駅は向日市ですが、その隣のタクシー営業所は京都市になっているずです。休憩も兼ねて、タクシー敷地と駅のフェンスギリギリまでいってタバコを吸いましたので京都市内に入ったことにしておきましょう。
次回は、淀から八角まで歩き、西国街道に入り、歩き漏らしたところを補充しながら東寺まで歩こうと思います。
【本日のマップ】
より大きな地図で 西国街道4 (茨木-京都) を表示
(4日目おわり)