茨木街道をあるく Deep Ibaraki
2013年9月6日
2013年9月9日
茨木の中心部をあるきます。迷走です。
茨木中心部は何度もクルマで通りました。えらくごちゃごちゃしているところやなあ、というのが感想ですが、これでは良さを理解したことにはならない。歩いてみるべきです。しかし、歩いてはみたものの、まだ核心には迫っていない。まだ街道あるきのスタンスが抜けていないようです。お店に入ったり、食堂や喫茶店に入ったり、飲み屋に入ったりするのがベストなんですが・・・それはまた来てみましょ。
■宮元町界隈
路地に入るとまだまだ旧い家が
どなたかのサイトでもみた記憶があります。
■本町ROSE街
一番の繁華街、というかオバチャンの街やね
■アーケードの商店街を突き抜け
茨木神社にやって参りました。東門。この東門は茨木城の搦手門といわれ、1617年(元和3年)茨木城廃城の際にこの地に移築されました。
■拝殿
結構な人がお参りに来ています。若い人が多い。
大同2年(807年)、坂上田村磨が荊切の里(いばら・荊を切ったのでそこが茨木になった)を作った際、天石門別神社が創建されたのが始まるといいます。当時は、宮元町に鎮座していたが、楠正成が茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座したらしい。
社伝によると、高槻城高山右近が、織田信長にならって神社仏閣を焼却するに際し、信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び 牛頭天皇(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので(風評?)、自衛のため、天石門別神社は社名を隠し「牛頭天王社」と号して焼却を免れたと伝えられています。
元和8年(1622年)には社殿を新築すると共に、従来の天石門別神社を奥宮とし、素戔嗚尊を本殿に遷して本社としました。しかし、実際には牛頭天王が防疫神として庶民に崇め信じられていたことがあったと思います。
従って、御祭神は建速素盞嗚尊。誉田別命と天児屋根命が配祀されています。
■天石門別神社
由緒を見るまで何の神社かと思っていました。かつての主神殿。
ご祭神は、天手力男命で、天宇受売命(アメノウズメノミコト)と 豊国神・東照神が配祀されています。
■元茨木川・高橋
元茨木川緑地は1949年に廃川になった茨木川の旧河道を利用して緑地公園に整備されました。現在64歳。元は安威川と茨木川の合流点より少し上から、茨木中心街を通って、摂津あたり三宅村で安威川に戻っていましたが、緑地公園は沢良宜あたりまで続いています。全長5km。元茨木川は天井川で、堤防が軟弱なため洪水にあうと破堤崩壊して、たびたび濁流はんらんの災害を起こしてきました。歴史に残る仕事をされたと思います。
桜の咲く頃にバイクで付近を通りましたが、それはしれは見事な桜並木でした。
http://www.h3.dion.ne.jp/~miyachan/motoibarakikawa-hi-hasiato.htm
■茨木童子
大江山の酒呑童子の副将ですね。ワルだけどかわいいヤツです。
http://www.ibaraki-kankou.or.jp/douji/
http://www.1134.com/ibaraki/01douji1.html
http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/onihaku/densetu/index.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/okym/ibaraki.htm
私も茨木市に敬意を表します。
■JRの線路をくぐったあと
■春日商店街
このあたりでスマホの電池切れ。問答無用でシャットダウンしました。さて困った、記憶に頼るしかありませんが、そんなに覚えてないぞ。
より大きな地図で 茨木街道 を表示
結局、9月6日は西穂積あたりを迷走して、迷走した割にはちゃんと旧街道に入り、郡神社付近でまた迷走。道祖本街道は確認、おもしろい段蔵を見つけました。郡からバスで帰還。
9月9日は茨木出発で再チャレンジします。
■ここから入ってみます
枝切街道が分岐する反対側(北側)
■これはなんや?6角柱
右側面に天保元年と彫ってあります。手前には何かの絵。
■ぬりこめ道標
北東角に半分壁に塗りこめられた道標があります。る
南面 右 京 八幡 三島江 唐崎 富田 高槻
西面 左 妙見山 亀山中山勝尾寺
ここは「茨木街道支線」の起点で、今回は北にこの支線をあるきます。
■茨木城址によってみます
城址といっても復元櫓門があるだけで、敷地は茨木小学校になっています。
■上泉町界隈
えらく細い道があったり、ビオトープがあったり
■丹波橋の遺構
元茨木川には丹波橋がかかっていました。
■元茨木川緑地
さすがに涼しいです。なので休憩。
■JR東海道線が見えてきました
普通のレンガのトンネルを再利用したものでした。
■春日界隈
住宅街が続きます。
■何か道標がありますが、読めません
ここでオーバーランしましたが、復帰。
■倍賀春日神社
へかかすがじんじゃ は祭神は春日神社らしく、天児屋根命。
往古は高良社または高良神社と称していたので、祭神が代わったのかもしれません。
高良社といえば、石清水八幡宮の摂社高良社は土着の産土神で川原神を祀っていると言われています。この高良社は吉田兼好の徒然草で、仁和寺の法師が八幡宮と間違えて満足して帰り、「・・・先達はあらまほしきかな」と結ばれた、あの神社です。また、八幡系の高良明神 の場合もあるとされています。倍賀春日神社の場合どうなのか分かりません。
■国の重要文化財 石燈籠
昭和38年に指定。 敬白 高良社 石燈爐 延慶二八月日紀口弘 の刻銘があり、鎌倉時代のものとされています。
■社務所ですが・・・
旧拝殿か本殿の再利用のようで、こちらの方が風格あったりします。
■府道に当たりました。
よく見慣れた風景で、今回は順調です
(つづく)
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