尾張鎌倉街道(1)豊明-二村山4
2012年5月15日(火)
■さて、紆余曲折の後、二村山入り口にきました(13:30)
二村山に行く前に、さきほどの紆余曲折・勅使台徘徊の地が気になっていて、後日調べてみると、それは正確には「大狭間徘徊」とすべきものでした。徘徊したリングの中心あたりに湿地があるのです。大狭間湿地。涌水湿地で、背後にある丘陵地が水源となっています。もともとは水田でしたが、休耕田となって40年以上を経て湿地となったという。現在、豊明市の天然記念物に指定され湿地保護のため非公開で、一般公開は年2回(8月、9月)にあるようです。伊勢湾岸に固有のシラタマホシクサが生息し、ミミカキグサ、モウセンゴケ、ミズギボウシなど湿地植物や、サギソウ、ハッチョウトンボも見られるようです。これは一級の湿地だ。紹介サイトは例えば・・・
二村山の入り口は小広い谷のようになっていて、駐車場の横を入っていくと看板がありました。二村山環境保全推進協議会という市民団体が手入れをしているようです。看板によると、昔ながらの雑木林が手入れされなくなったゆえ荒廃し、せっかく多様な生物が生息していた環境も荒廃している。どこのイナカも同じです。それゆえ、「二村山を季節感にあふれ、多様な生物でにぎわう美しい自然の緑地に」ということで、市民が里山保全を担っていかないといけないとしています。ここを二村山緑地と称し、生物多様性に富む植生の復元、雑木林の保全をKWに、季節感のある景観、そこでの散策を楽しむ環境学習の場を提供するとしています。これにはまったく同意。
二村山環境保全推進協議会のサイトをみると、
「野生のツツジや里山のスミレが咲き、生物の賑わいのある二村山へ」を合言葉にしっかりとした保全活動をされているようでした。
前回の「徘徊の結論」がイマイチ歯切れが悪かったですが、言いたいのは、豊明のエッセンスとは、季節感にあふれ、多様な生物でにぎわう美しい自然が随所にあり、そこでの散策や保全活動が(精神)生活の糧となることで、そのような街にしてほしいということなのでした。
■雨の里山散策(13:34)
ゆるやかな丘陵に遊歩道が作ってあります。樹木の名札も設置してあります。古い案内板によると丘陵を越えると豊明神社にも行けるようです。せっかくなので二村山緑地の里山散策をします。勅使台の徘徊あたりでは雨は止んでいたんですが、また降ってきました。
■豊明神社発見(13:41)
林を抜けると豊明神社の標柱が現れました。雨もひどくなってきたので祠前の休憩所で雨宿りです。屋根つきなのでほっとします。土俵があるので休憩所と違うのかな?
情報がなかなかないですが、祭神は各戦役における市内の戦没者でであるそうな。もともと、1926年(大正15年)に完成した伊勢神宮遥拝所の場所に建築が計画され、1949年(昭和24年)4月に創立されました。道理で変わった本殿だ。
■雨のナツツバキ
二村山に向かいます。道端に咲いていた見事なナツツバキ。別名はシャラノキ(娑羅樹)で、仏教の聖樹、娑羅双樹(さらそうじゅ)に擬せられ、この名がついたといわれる。ちょっと花の時期が早いけど違うのかな?かなり暗いのでボケてます。
■峠地蔵堂(14:00)
地蔵堂のご本尊は向かって左の立躰の地蔵尊で(俗に峠地蔵)、また身代わり延命地蔵尊として交通安全や入学祈願や病魔退散、諸願成就と多くの人々から信仰されています。当日も雨の中2組ほどの参拝者を見かけました。
ご本尊の地蔵尊は背に和銅二年(709)と刻まれ、現在の姿は首が無く胴体のみで、首は元文5年(1740)の落雷で折れたそうな。いつの頃か、旅人が熊坂長範という盗賊に襲われたとき、地蔵尊が身代わりとなって切られ、肩から上が欠落したという伝説が生まれ、、ここから身代わり地蔵の別名ができたといわれています。中央の最も大きい地蔵は元文三年(1738)の刻があり延命地蔵と名があります。右の像は明和三年(1766)の刻があります。
■展望台に登ってみた(14:05)
切られ地蔵尊もここにある。延宝七年(1679)に建立されたもので、別名『袈裟切り地蔵』とも言われています。胴体が斜めに切られた形で、上半身と下半身が前後に置かれています。1740年(元文5年)に落雷の憂き目に遭いスパッと刀で切られたようになったとか。下半身の背面に古来仏依会大破建立之延宝七巳未一年(1679)の刻があり(読んでないけどそばにある案内板で))、二村山峠地蔵尊の伝説を元に建立されたものといわれています。
展望台からは確かに周囲がよく見えます。二村山は昔から鎌倉街道の歌枕として知られ、眺望にすぐれていたところです。北側にはさっき通ってきた勅使池。その向こうには名古屋市緑区の住宅街が迫ってきています。地図をみると愛知用水以東、豊明市北部だけが豊かな田園地帯で、その北、東はまた東郷町の住宅地。豊明市に入ったところにある看板には「地下鉄豊明延伸」とありましたが、せっかくの丘陵を全部住宅で埋め尽くすことになりかねない。何を考えているのか?
■二村山の詳細マップがアップされています。
二村山概略図(豊明市、2012年)Tomio344456さん作
■緑の鎌倉街道をゆく(14:24)
展望台を下りて地蔵堂の広場に戻ってきました。ここには頼朝の歌碑や鎌倉街道の標柱がたくさん建っています。森の中を広い道が走っています。かなり歩かれているようで・・・最初は森の中の暗い道でしたが、だんだん明るくなって、快適な道になりました。植物の宝庫で、いろいろ遊べそうなところです。これはいい!
■雨旅の終わり(14:32)
と、快適に歩いているとほんの数分で終わってしまいました。楽しい事ほどすぐ終わる。出たところは体育館の横でした。だいぶん濡れて靴もグチュグチュですが、雨もやっとあがってきました。これから大阪に帰ります。
次回は、二村山から相原、野並といって呼続で東海道に合流、宮の渡までの予定ですが、謎の多い桶狭間探検や有松も魅力的、ということで計画づくりが悩ましいです。
次回は、二村山から相原、野並といって呼続で東海道に合流、宮の渡までの予定ですが、謎の多い桶狭間探検や有松も魅力的、ということで計画づくりが悩ましいです。
【本日のマップ】
より大きな地図で 鎌倉街道(尾張) を表示
(いったん終り)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)