紀伊路

2006年9月 3日 (日)

紀伊路ウォーク~切目編~

2006年2月17日 和歌山・印南町・印南~切目





【オールド印南】
 食事をしてから 町中をうろうろしました。印南川河口に漁村から発展した町で,川沿いに北へのぼっていくと町役場とかJRの駅があります。狭い道が縦横にはしっている。

Oldinami

Inamitown

 

 

Inamiroji

Kiridoushi






 印南川をわたって国道のほうにもどりました。国道の手前から小高い丘に登っていく道があり,これが古い道のようです。のぼり切ったところにお地蔵さんの祠がありまし た。このあたりは,海岸で突き 出た鼻を避けて道がつく られていて,民家もこの道沿いにたくさんあります。風や波を防ぐ意味からと思われます。峠をくだったところは静かなむらでした。光川というところのようです。あとで地図をみると,街道はここから,内陸のほうを向かっていくる道のようでしたが, かわまず国道にでました。Jizousa2n

Uramichi

Mitukawa


【斑鳩王子】
 国道の東側の高みにちいさな祠らしいものがあったので,王子かと思って登ってみましたが,ちが うようでした。宝暦八年・・とかいた石標 がありまし。 た。きちんと手入れさ れていておまいり もされているようです祠の背景に芭蕉(蘇鉄か?)があるところなんぞはいかにも紀州という感じです。Unknownhokora

 国道沿いドライブインがあって,大きな看板がありました。「切目王子跡」と書いてあるので,まずは斑鳩王子のはず なのにおかしな看板,と思っていると「南1km」ということで,すぐそばにある斑鳩王子も完全に無視でした。これでいいの か?
Kanban


 ドライブインの駐車場の横は崖になっていて,すぐに海です。ちょうど引き潮のようで,平らな磯がみていえいました。死角になって見えにくいのですが,印 南の叶王子あたりから みえた「あて山」はこのほんの先にあるようです。地図をみると丸山となっていて,そのまんま。斑鳩王子の小高い丘に登っていく途中に見えました。どうも印 南からみたものと距離感がちがう感じがするけれども,これなのかな?なんか違うような気もしますが,他にそれらしい小山もないの で・・・こうなるといいかげんです。Ateyama

Hikishio

 国道を渡った丘の上に斑鳩王子はあります。

Ikarugaoji

Ikarugatorii

 この「斑鳩」と奈良の「斑鳩」の関係はどうなのでしょう?さらに,「何鹿」と書いて「いかるが」と読みますが,「斑鳩」との関係は?ボクは昔風の呼称でいう「何鹿郡」の出身なので昔から気になっているのですが,よく分からないのです。

 さて,斑鳩王子ですが,小高い丘の上にたっていて,見晴らしがよく,風の通り道になっています。ちょうど木陰にもなってい て一服するのにぴったりの場所でした。立派な祠が たっています。その上はビニールハウスのエンドウ畑のようでした。
Ikarugaoji2

このあたりの王子はよく整備されていて,案内板 も作られています。その足元のは石標があって,ヤタガラスの紋章も掘られていました。世界遺産登録以後整備されたんだろうか?Yatagarasu

 祠の前にも鳥居があって,急な石段をおりて国道にもどりました。

Ikarugaoji3

【切目王子】
 さて,斑鳩王子ですが,小高い丘の上にたっていて,見晴らしがよく,風の通り道になっています。ちょうど木陰にもなってい て一服するのにぴったりの場所でした。立派な祠が たっています。その上はビニールハウスのエンドウ畑のようでした。

To_kirimeoji

Endou

 

 このあたりの国道の周辺は梅林(切目の次の町は南部です)があったり,エンドウ畑があったり,のんびりした風景です。山側を通って いた 旧道が国道にあたるところには水準点がありました。このあたりは新旧の道が併走しています。

Endou2

大きな案内板が見えてきて,右手の細い道をとるとすぐに 切目王子です。

20060218_177

Kirimeoji

 めずらしいことに,しめ縄をはった館のようなものがあって,これが鳥居代わりなのでしょうか?寄合や宿泊ができるようになっているのかも知れません。縁起書や初代紀伊藩主・徳川頼宣より奉納された絵馬,香炉などの 写真が掛けられていました。

Enttrance

 熊野九十九王子の中でも特に格式が高いのが五体王子と呼ばれていて,古の貴人たちにも敬われました。五体王子とは 海南の藤代(藤白)王子,印南の切部(切目)王子,上富田の稲葉根 王子・中辺路の滝尻・発心門王です。

【海人ネットワーク】

Mainshrine

 正面にはメインの切目神社があります。祭神は,天照大神,正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(覚えられないのでオシホ ミミノミコトと略),彦波瀲武■■草葺不合尊(PCで扱えない漢字があ るので,フキアエズノキコトと略),天津彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコトですね)です。切目社の由緒書によると,崇神天皇67年(2~3世紀)といいますから,ヤマト王権の支配がかたまりつつある頃からのものでしょうか。

Engi

Kirimeuisho

 その横の小川をはさんで,大塔神社(祭神は護良親王),地宗神社(祭神は,猿田彦神,保食神,市杵島姫神),名が 書いていない祠(祭神は浦安神社,事代主神)がまつってありました。地宗神社がもともとのメインの社なんでしょうね。
 小川にかかる橋のたもとにあるのは天然記念物ホルトノキです。ホルトノキは図鑑でみたことはあるんですが,実物ははじめてみました。Horutonoki

 浦島神社は聞きますが,浦安神社ってあまり聞かないですね。おとなりの田辺にもあるようです。千葉の浦安とはど うなんだろう?
と思って調べてみました。
 市川よみうりのサイト「海と浦安 江戸からいまへ」に郷土史研究家・前田智幸さんが書いていました。Horutonoki2

 浦安の歴史のはじまり
 不思議なことに浦安の方言は、隣接する江戸や千葉とは異なり、どちらかといえば伊豆七島や静岡の方言に近い。それは西国の漁民たちが黒潮にのって江戸湾の沿岸に住み着いた痕跡でもある。
 大自然が創り上げた土地に最初に住み始めたのは稲作文化を持つ“土の民”であった。そこに漁の技術を持った“海の民”が住み始めた。

 その昔,海人が紀伊のこの地にもきて,浦安にも渡っていった。あながち無関係ではなさそうです。

Horutonoha

 猿田彦というのは,降臨する(亡命?)ニニギさんを助けた国つ神ですね。サルタヒコについては,猿田彦フォーラムというのがあるようで,なかなかの著名な人が活躍しています。それによると,

民俗学の谷川健一氏らは、猿田彦のサルタは琉球語で「先」を意味する「サダル」が転じたものと見ている。この沖縄におけるサダルと本土におけるサルタとの連関は大変興味深い。というのも、猿田彦伝承は、日本神話における最重要の伝承地である日向と伊勢と出雲の三ヵ所に分布しているからだ。つまり、沖縄を起点として、一方は黒潮の流れる太平洋側に、もう一方は対馬暖流の流れる日本海側に猿田彦の伝承地が分布している。これは猿田彦と海人族との深いかかわりを示すものと考えられる。-猿田彦フォーラム-

 市杵島姫神は宗像三女神のうちの一神様ですね。朝鮮半島や大陸への海上交通の平安を守護する玄界灘の神ですね。

Sub

 事代主神は,記紀神話では託宣神として活躍されているようですが,一般には,豊漁,海上安全守護の神,またエビス信仰の神として知られています。早い話が,「えべっさん」。おなじみの大鯛を小脇に抱えた「いいおっちゃん」のイメージですね。これは,事代主神が釣り好きであるという神話のエピソードから連想されたといわれています。
 神話によると,事代主神は,もともとスサノオ系の大己貴神(要はダイコク様)の子です。事代主神は賀茂一族の信仰の中心になる神で,本拠地は葛城鴨都味波八重事代主命神社です。奈良の北にある岡田から「ワニと化して」,木津川・淀川を通って,三島の溝咋姫の所に通われたと伝えられています。このあたりには,溝咋神社(茨木)・三島鴨神社(高槻)があって,三島鴨神社に大山祇神とともにまつられています。
 淀川を下ると今宮戎神社があり,この御祭神が事代主神です。また淀川河口をはさんで西宮神社・石津神社という「えべっさん」の二大拠点があります。
 後には,事代主神は出雲に移動されたようです。国譲り神話には,父・大国主神の代理として武甕槌神と交渉し,国譲りに同意して,自身は美保関に引き籠もられる話が出てきます。
 さらに,事代主神は伊豆で再生して,三島明神として,新たな国作りをされたということです。初め,三宅島におられましたが,順次移動し,最終的に現在の三嶋大社の場所に鎮座されました。
 こうなると,葛城の山の中出身と思っていた事代主神も,元来海人系で,海人ネットワークにのってあちこち行った(というより話が移動していった)ものと思われます。

Kirimemae

 切目王子から切り通しの道を通って町へでました。町の様子は印南とよく似ています。切目橋をわたり切目駅に向かいました。駅前はどこも良く似たもので,お店や自動販売機もあってほっとしました。切符をかうとすぐに電車があるよう でラッキーでした。Kiridoshi2

 午後からの約8kmウォークでしたが,のんびりと4時間,紀伊路の早春を満喫しました。

Kirimegawa

【御坊のなれ寿司】
 電車は御坊までだったので,外に出て,約1時間の特急待 ちです。
1時間待っても天王寺には早くつくんだとか。時間があるので気になっていた駅の食堂にどっかと座り,御坊名物の「清姫一夜寿し」でビールを一杯。やっぱりこれがないと!
 あとで調べてみると,なれ寿司だとか。なれ寿しとは,塩漬けの魚(ここでは鯖)をぎゅうぎゅうに押し固めて空気を抜いた飯の上に乗せ,重しをのせて保存し発酵させるものです。押し固めて重しをのせるのは,空気を出来るだけ抜いて嫌気性発酵させるためだそうです。時間がたてばたつほど発酵が進み,味が変わってきます。近江の鮒のなれ寿司が有名で,シュールストレミング級のインパクトがあって,それはとて も勇気のいるものなのですが,この清姫一夜寿しは気になりません。
 発酵の度合いによって「早なれ」「なれ」「本なれ」とあるようですが、清姫一夜寿しはこのうち「早なれ」ということでした。まあ,柿の葉寿司御坊バージョと思えばよいでしょう。「これは食べると明らかに柿の葉寿しとは違います」という意見もありましたが,もったいないというか,味音痴のボクには良くわかりませんでした。(おいしいのは分かる)

 なれ寿司は完全に照葉樹林文化の食べ物ですね。ということで,紀伊路らしく海人系の話題で通してみました。

Kirimeroad

Kirimestation


(とりあえず終わり)

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2006年8月30日 (水)

紀伊路ウォーク~印南編~

2006年2月17日 和歌山・御坊市名田~印南



【早春の紀伊路】
 紀伊路2回目です。和歌山高専での仕事が終って,例によって,さてどうしようか?ということなのですが,御坊までのバスはあと2時間待ちなのは分かっているので,今回は印南まで,できれば,切目まで歩いてみようという趣向です。

Nadaville_2

 お昼ちょうどくらいに和歌山高専前を出発。このあたりは名田小学校とか,農協とか市役所の名田支所とかあって,ちょっとした村の中心地です。
 このあたりには仏井戸とか,熊野古道にちなんだ見所があるはずですが,案内板とかたっているだろうと,ずんずん進んでいきました。が,それらしいものはない。あとでガイドマップをみると,名田支所の手前の路地を国道の方にいくのですが,道標が電柱に隠れてみえないとか!いきなり失敗でした。名田を過ぎて上野のあたりにも,上野王子跡があるはずですが,そんなものあったかな?という感じで,これも通り過ぎたようです。上野漁民センターというのは確認したのですが・・・・上野川河口にかかる津梅橋までいってしまいました。

Ueno_port_2

【上野漁港】
 まだあまり歩いてはいないのですが,せっかくの海なので小休止することにしました。漁港周辺には漁具置場とか作業小屋くらいしかありません。人家は河口や湾の近くでなく,小高い岡の上に集中しています。多分,水害や津波の害を防ぐためなのでしょう。お茶の調達にコンビニくらいはないかと探していたのですが,ない。多分,これからも,湾の 近くにはないものと思われます。漁から帰還した船がならんで休息にはいっておりました。

Ueno_ship_2

 天気はいいです。風は強いですが,それさえ遮ったらポカポカして温かい。先週の西条に比べたら雲泥の差です。さすが南紀ですから。

Ueno_view_2

 紀伊路にもどって先を急ぎます。坂を上りきったところに清姫腰掛岩というのがありますが,これもやり過ごしました。なんでも駐車場の中にあるので見落としやすいとのことでした。確かに駐車場はありましたが・・・パス。どうも自動販売機がないか,そちらの方に気が行っております。駐車場につづいて,農協の野菜か何かの集荷場がありましたが,そこにも自動販売機はなし。

【そらまめの話】
 まもなく国道に合流しました。紀伊路は合流してすぐ分かれていくのですが,支線が2つあって,そのうちの国道に近いほうが正しいようですが,一番海側をとりました。といっても数分でまた合流します。濱側橋の手前で合流しますが,海岸のほうに道があったので海を見にいきました。

Kusuimisaki_2

 潮も引いているのだと思いますが,このあたり岬の先の磯は,海流に侵食されるのでしょうか,少し遠浅になっています。光が海面にあたって,きらきらしています。これが夕日だったら・・・毎日こんな風景を眺めているとどうなるんでしょう。あの水平線の向うに行ってみたいという気になるんでしょうか?

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 赤い椿はすでに旬を過ぎています。ビニールハウスがあって,その中はエンドウが栽培されているようです。手前の畑にはそら豆が植わっていて,ちょうど花を咲かせている頃でした。

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 ボクのいなかでも昔,母親がそら豆を少し作っていて,ちょ うど春休み4月の初め頃に花が咲きそろうのです。小学校の1,2年の頃だったかと思いますが,そ のそら豆畑に出て,草ひきを手伝った記憶があります。なぜかそれは4月1日で,その日の新聞を畑へもっていって,先生の異動告知欄を見ていた光景を鮮明に覚えています。なんで異動告知欄かというと,ボクにはまったく関係はないのですが,親が教員をしていた関係で,多分ですが,昔の同僚の消息をそれで見ていたと思います。それを無意識のうちに覚えていて,ボクもみるようになったのでしょう。今でもときどき,ああそんな欄があるな,という程度には見ています。

Soramame_2

 そら豆は昔から食卓やおやつ代わりにしょっちゅうでていたので,食べ飽きて,あまり好きではないのですが,春になって,たまにそら豆をつまみながらビールを飲んでいると,あのそら豆畑のことをいつも思い出します。おそらく,そら豆とくると,新聞の異動欄というのがキーワードになってしまっていて,それを媒介にして,4月初めにやっと裏日本の山の中にもきた,春の暖かさや光が満ちあふれた畑や山を思い出す,そういう回路が脳の中に作られたのだと思います。
 エンドウも昔作っていて,同じような感じなのですが,この場合, 5月ころにやった,枯れたエンドウを抜いて畑を整地する仕事があまりしんどかったので,そちらのしんどさの方を思い出してしまいます。

【叶王子】
 紀伊路は,楠井の浜を過ぎると山の中に入ってやや登りになり,国道と合流するようになります。トラックなどが結構通 るので気を使います。20060218_113_2

 小さな峠をこえると上りになり津井というところに入ります。ここには昔は津井王子があったらしいですが,今は移動して叶王子と一緒になっているそうです(と,次の叶王子の案内板に書いてありました。)

Seaside_2

 右手の畑野崎として飛び出ている丘は平地さされて,別荘かなにかの分譲になっているようですが,あまり家は立っていない。会社のHさんが買ったという別荘地はここだろうか?景色は抜群でしょうが,風が心配ですね。

 どうやら左手の小山が叶王子(跡地)らしいですが,道標通 りに行くと民家の軒先を通る感じですが,よいのかな?

Kanouoji_2

 ともかくたどりつきました。小広い公園のように整備されていて,案内板,灯篭,石碑のほかにベンチも用意されています。木々もたくさん残され,マキと思われる巨木もあります。高台にあってあかるい感じですが,静かなところで王子 にはふさわしい所でした。 梅がつぼみをふくらませていました。

Maki_2

 新しく絵馬掛けが設置されていて,叶の絵馬がたくさんかけてありました。もとあった叶王子神社は別の神社に合祀されているのでご神体はないのですが,地元の信仰はなおあついようで,「おかのさん」と呼ばれて親しまれているようです。
Kanouema_2

 東側におりていくと,そこが正面らしく鳥居がありました。そこは,なお高台になっていて,印南港が一望できます。けっこう大きな港で魚もたくさん水揚げされるようです。
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 港の向こう側には特徴的な丸いとんがり?をもった島があります。漁師の人々が目印にする「あて山」とはこれなんでしょう。教科 書通りというか,まったくおあつらえ向きの位置におあつらえ向きの小島があるものです。

Inamiateyama_2

【印南港】
 だいぶんお腹も空いてきたので,とにかく印南の町へ急ぎます。刺し身でもたべさせる食堂かなにかないかと探していますが,閉っています。かなりうろうろして探していますが,コ ンビニもなし。農協のようなところがありましたが,うーん,ちょっと違うような?

Inamigyokou_2

 バス停を確認。御坊行きのバスにはかなり時間があるので,とにかく食事をしながら考えることにします。

Inami_2

 町の中にはいっていくと,数軒のすし屋がありました。適当なところに入ってどっかり座って寿司を注文しました。午後 2時すぎなので,誰も客はいません。電車・バスの時間なんぞを聞きながらのんびりしました。お寿司は若干高めながら,ネタは新しいのでおいしくいただきました。おかみさんの話によると,なんでも神戸から引っ越してきて,やっと商売も軌道に乗ってきたそうです。こんな田舎(失礼)で人も少ないところで商売がうまくいくんだろうか?と思いましたが,仕事を終えた漁師さんたちのたまり場になっているんでしょうか?
 バスや電車の時間もまだだし,時間もまだ早いので,もう一ふんばり,切目まで行ってみることにしました。王子もまだ1つしか見ていないので・・・・

(つづく)

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