細切れ道草・東高野街道(4) 信貴山口-恩智
2009年4月 5日 その3
【信貴山口】
より大きな地図で 東高野街道3 を表示
歴史民俗資料館から近鉄・服部川駅はすぐでした。その前にこんなところに電車が走っているとは知らなかった。近鉄・信貴線でした。そ
ういえば信貴山ケーブルカーもあった。このあたり,適度なイナカでよい住宅街になっています。新しい家もたくさん建っていて住むには環境はよさそうです。街ブラも結構楽しめます。
喫茶店探しをしているのだが,駅周辺で見つけたのは休みだった。
住宅街をすり抜けて信貴山口へきました。ここにも喫茶店ら
しきものはなし。コンビニ弁当か?そのコンビニもありません。ケーブル駅前に酒屋さんはあったが,パス。
山裾に道は続いているようだが,もとの街道に戻ることにしました。途中,権現さまの祠があって,そこは信貴山へ六丁との道標がありました。
由緒によると,信貴山は毘沙門天王が日本で最初に御出現になった霊地で、毘沙門天王の総本山です。聖徳太子は物部守屋討伐のため、この山に至り毘沙門天王に祈願され、その御加護で勝利されました。太子、そのお礼に天王の尊像を 安置し寺院を建立して、信ずべき貴ぶべき山・信貴山と名づけられました。アンチ物部のお寺ですね。生駒は物部系やアンチ物部系が入り組んで,ややこしいですな。
このあたり行き当りばったり,西へ,南へ動いています。中学校のあたりで府道へ戻りました。やっと見つけた和食屋さんも休みだった。
【花の河内音頭】
車道歩きも飽きはじめた頃,街道を横切っていく人があります
。何か?そこは恩智神社への参道でもあるのでついて行ってみました。「あれ?横道にはいるな」,と思いつつ行くと,盆踊り,いや,まだお盆ではないので花
見踊りで,河内音頭をやっていました。さすがに河内の中心地・八尾。何かにことつけてでも踊らないと・・・という感じですね。
踊りの輪が常時2~3コあります。見ていると,盆踊り等は, 通常,年配の人が多いのですが,しかし,ここは違う。年配者も多いがヤンママも多い。子供も,輪の中でじっとはしていないですが,踊ろうとはしています。この環境で育てばこうなるんでしょう。
春,花,輪とくれば,歌垣を思い浮かべます。歌垣は,特
定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗ですが,その伝統とは違うようです。そ
れより,盆踊りとは違うこの時期に,輪になって踊るというにのは,もっとストレートに春を寿ぐ,花祭りやその年の収
穫を
期待する祈のほうが強いのでしょう。折口信夫「盆踊りの話」によると,
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盆
踊りは,平安朝になって発達してきた「鎮花祭」から起っている。「花が散るころには悪疫が流行するから、花鎮めの祭りをする」というのは平安以後の考え
で、もとは、花を散らせまいとする、花の散ることを忘れさせるための踊りであった。これが平安朝になると、疫病退散のための踊りになった。・・・・
悪霊を退ける必要があったのだ。この悪霊退散のための踊りが、念仏踊りである。春の終わり、夏に先だって流行する疫病を予防するための踊りであったが、その元は、稲虫を払う踊りである。
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ということなのですが,それは由来であって,実際踊っている人はそんなことは考えもせず,この花見の時期になると体がうずうずしてくるんではないでしょうか。そして,夏になるのを待ちかねたように踊り始める・・・
河内音頭は知っているようで知らないので調べてみました。
柏原市公式サイト:http://www.city.kashiwara.osaka.jp/jichisuishin/kodori/kawachi-tanjo.htm
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河内音頭の原型となったものに「江州音頭」(念仏踊りから歌祭文にくどき文句をつけ音頭にしたもの)と北河内の「交野節」(義太夫節に江州音頭の節を加味した音頭)があり、明治から大正時代にかけてこの交野節に浪曲の「関西節」京山幸枝の節を加え、昭和初期に大阪・平野の初音家太三郎の「平野節」ができて、現在の河内音頭の母胎が出来上がった。(しかしまだ河内音頭とは言わない)
そ
して、河内音頭と言えば「えーえん、さぁあては一座の皆さまぁーへー、ちょいと出ましたわたくしはー・・・」の歌い出しで始まる音頭で知られたのは、戦後
に「平野節」初音家一門の稽古場に出入りしていた鉄砲光三郎が昭和35年に「民謡鉄砲節河内音頭」という名でレコードを出したのがきっかけで「鉄砲節」=
「河内音頭」と日本中に認知させてからである。
釋善来さん「話のスケッチブック」:http://www.k4.dion.ne.jp/~bird-y_n/C4_12.htm#18
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新しいんです。戦後というより,高度成長期に発展,全国に?認知されたという訳です。この時期に河内ローカルの盆踊り音頭から,「大阪の盆踊りは河内音頭
やでぇー」といえる,日本の中の河内音頭となったのは,高度成長期で人の流れの範囲が大幅に拡大したためだと思うのですが,どうでしょう。河内の人間も,
そして大阪の人間も全国に広がっていって,夏になると故郷が恋しくな る,そこで「大阪には河内音頭があるでぇー」,大阪の人間でない人は「うちにも@@音頭があるんよー」となる。久しぶりに帰省して踊り狂うことでふるさとを確認する,そのことで自分をも確認する,こんな具合かなと思っています。
河内音頭で特筆すべきはリズムセクションだと思います。和太鼓, ベースギター,ギター(とうぜんエレキ),三味線,シンセサイザーも入っているようでした。PAはエレクトロボイス。なんとまあ,ごっちゃ混ぜ,で も違和感はあまり感じないです。fusionというかチャンプルーというか,五目飯にトンカツソースをかける様な 具合ですが,この何ともいえないごたまぜのアジがうきうき感覚を生んでいく。おもしろいと思います。音楽的な解析ができないんですが,できる人,やってほしいですね。
白ズボン/白シャツの粋なおっちゃん,粋が江戸言葉なら,粋(すい)な(これは河内言葉)おっちゃんが登場しました。扇子の扱いといい,カクンと落とす腰つきといい,ひらりと回る動きといい,カッコイイ。顔を写す訳にいかないので後ろ姿にしましたが,河内音頭ならではスタアの登場でした。イイねえ。
【街道あれこれ】
さて,長居をしてしまい恩智神社にはいけませんでした。
あそこはずっと山のほうにあるので諦めた次第です。
恩智神社の大鳥居の後(内側)には,道の真中(元々脇だと思う)に石がありまして,お地蔵さんなのか何なのか?分かりませんが,何か字か絵が書いてあるようでした。きれいにお花が供えてあります 。桜も満開。
街道自体は普通の田舎の街道なんですが,所々に祠やお堂が あります。シュミイ地蔵とはいわれも分からないようですが,ここもきれいに整備してありました。まだまだしっかりとムラの共同体意識が残っているようです。
「車と電柱の事故」というのには笑いましたが,午前3時55分は誰も見ていないでしょう。お花が供えてあるのは人身事故 だったのか?それなら車と電柱の事故ではないと思うのだが・・・
道端の物置小屋もシブイです。この直線の街道を真っ直ぐ南下。途中コンビニで食料を仕入れましたが,ようやく,平野 というところで食堂に入りました。中華料理。もう2時です。
(つづく)
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コメント
北摂の人さん、コメントありがとうございます。
「事故を笑た」のでなく看板の表現をワロタので、ご理解ください。
ボクは純粋の河内人でなく元来は京都のイナカ人ですが、河内音頭や天神祭りのお囃子を聞くと、心ウキウキですね。これがオオサカ文化というものでしょう。
またよろしくお願いします。
投稿: | 2015年4月 4日 (土) 18時51分
事故を笑うたら可哀想・・・
でも言いたい事わかります。村里から河内音頭が流れてきたら、何もせんでも体がうきうき・・・そういう世界なんですね。エレキのリズムに乗せてヤンママも踊る、そのうち子供も居ても立っても・・・これが河内なんですねぇ
投稿: 北摂の人 | 2015年4月 2日 (木) 16時57分