細切れ道草・東高野街道(5) 道明寺-古市
2009年4月 12日 その2
【古市古墳ロード】
タイトルは勝手につけた名前ですから・・・。
藤井寺市から羽曳野市にかけては,古市古墳群といわれる古墳の宝庫です。古市古墳群は,先の市ノ山古墳も含めて,前方後円墳31基,円墳30基,方墳48基,墳形不明14基,計123基から構成されています。これらは4世紀後半から6世紀中葉に形成されたことが知られています。
古市古墳群については多くの人が書いていますので省略するとして,藤井寺市のサイトの「ライブラリー古市古墳群」に詳しくて易しい解説がありますので参照ください。なかなか本格的な解説であると,私は思います。まだ読み切れていませんが,勉強になります。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,0,97.html
より大きな地図で 東高野街道4 を表示
方角が違うなとは思いつつ,すでに東高野街道は無視して道明寺(お寺の)を過ぎて,リュックのおじさんの歩いてくる方向に向かっています。

170号線(これが今の東高野街道)を越えると,古墳らしきものが見えてきました。しかし地図がないのでなんだか分からない。続
いて3基あり,合わせて三ツ塚古墳と言われています。2つ目には遠くに石柱が見え,「仲津山陵倍塚」,3つ目は「史跡 助太山古墳」「文化財○○委員会
(保護か?)管理団体 道明寺町」とデジカメの写真を拡大して読めました。え,管理が違うの?仲津山陵倍塚なら宮内庁管理のは
ずで,3つ目は道明寺町管理ですか?
3番目の古墳を過ぎた団地の中に案内板がありました。普 通の 人は地図を見ながら逆から歩いてくるんで問題ないんでしょう。しかしこちらは分からない。
三ツ塚古墳は東から順に,八島塚古墳,中山塚古墳,助
太山古墳ということでした。八島塚古墳と中山塚古墳は墳丘が一辺50メートルの同形同大の方墳です。これに対して,助太山古墳は一辺36メートルでひとま
わり小さい。助太山古墳は種類が違うので管理が違うのか?しかし,これらの三つの古墳は,濠を共有すること,方形の墳丘の南辺を一直線に揃えていることな
どから,相互に関連をもってほぼ同時期に造られたと言われています。しかし,管理違いがよく分からない。
八島塚古墳と中山塚古墳の間の濠の部分から,大小二つの木製の修羅が発見されました。その復元は道明寺天満宮で見たとおりです。現在はその場所にマンションが建っています。
ここでたまたま人通りが途切れて道が分からなくなりました。すぐ北側は仲津山古墳のハズですが,人家が密集してそばにいけない,ということで,団地の公園 を突っ切って,高速道をくぐることにしました。この公園は古墳を模しているようで,丸い丘が真中にあります。ここでしばしタバコ休憩。
後で調べると,すぐ北には古室山古墳があって,そこは古墳の頂上へ上れるんだそうです。さらに,高速高架下には赤面山古墳という方墳があるそうな。前もって調べとかんかい!地図は要りますな。
古室山古墳は全長150メートルの前方後円墳で,古市古墳群では2番目に古い(5世紀初頭の築造)のだそうです。
高速をくぐると,南側にはこんもりとした森が迫ってきますが,これは位置からして応神天皇陵に違いありません。と思いながら行くと,前方にまた古墳が。これは大鳥塚古墳でした。平べったい低い丘でおよそ古墳らしくありませんでしたが,植栽がほどよくまばらで,樹々もちょうど芽吹いていて気持のよい所でした。
【森の応神天皇】
大鳥塚古墳の前(南)には宮内庁書陵部の事務所があって
,ここが応神天皇陵の正面になるらしいです。事務所横には,誉田丸山古墳(円墳)というのもありますが,その森が応神天皇陵と一体となっているのでよくわかりませんでした。地図を拡大してみると等高線の○が見えます。
応神陵の古墳は誉田山古墳といいます。とにかく大きい。特に何があるという訳でなく樹々が生い茂っているだけで,単なる森と思ってしまいますが,建造当初 はど肝を抜いたに違いありません。なにしろ平野の中,あちこちに心合寺山古墳で見たような石垣づくりの大きな建造物が見えるんだから,これは目を引いたに 違いない。威風堂々たる大王の姿を民に,あるいは外国からの使節にみせるというねらいも分かるような気がします。まさしくピラミッド。
今は静かな森です。生えるに任せてという訳ではないにしろ,樹木が生い茂っていて誰も入れない,入らない。静かにお墓を守ると同時に森をひたすら守っている,というのも価値があるような気がします。特に間際まで住 宅が迫っている現状では,ひたすら森を守るというのは,逆に迫力も感じます。
応神陵の周囲には周回の道ができていて,その森を見ながら歩 く訳です。あまり近くても樹々だけ見 るということになるの で,少し離れて見たほうがよいかも知れません。
【誉田八幡宮】
まもなく誉田八幡宮の南門(というのか?)です。入口には2棟ならんで山車の保管庫がありました。たしか9月15日が祭礼の日だったと思いますが,ここの山車もすばらしいものがあります。以前,竹内街道を歩いたときに,た
またま祭礼の日だったので見ることができました。河内らしく勇壮なものでした。
さて,誉田八幡宮ですが,みなさん大鳥居から入らず,この門から入ってきますね。駅からの最短コースがここにつながっているようで。
当日は良い日らしく,結婚式が行われていました。着物の赤 がひときわ映えています。遠くからあまりはっきり顔が分からないようにして写真を撮らせていただきました。みていると国際結婚らしく新郎は外国の人でした。まわりの友人?親戚?の人が英語をしゃべっていたので,アメリカかイギリスか?はたまた?幸いお天気も快晴で,日本でもっともさわやかな季節に神前で式を挙げるというのもすばらしいと思います。こいうい風景はあちこちでみます。以前上賀茂神社に行ったときも国際結婚のカップルをみました。
【東高野街道補充行】
今日は街道をあまり意識せずに歩いたので,少しトレースをしておきます。京方面に戻りつつどんな道なのか。カラーブロックが敷きつめてあ
り,気持の良い街道歩きが楽しめます。
が,所々に掘り返した跡が・・・水道か下水かガスかの工事と思いますが,なんとかならんもんですかね?以前少し歩いたときは全面ブロックでしたが,その後老朽化もあるようで,一部カラー舗装になっている場所もあり
ました。
少し行くと東高野街道の道標が。「右 道明寺 玉手 なら 京 左 八尾 久宝じ」とありました。さらに行くと国道170号にあたり,その先で高速をくぐるようでした。これが間違えて入れなかった道か,と納得して引き返しました。
このあたりから見る誉田山古墳もなかなかよいものです。引き返す途中,倍塚があるのに気がつきました。「応神天皇 恵我藻伏岡陵倍塚 宮内庁」ほう,正式名は恵我藻伏岡陵なのか。
街道沿いには所々道標もあり,灯篭もたっていました。以 前,この道を山車が通って付いて回ったのです。街道らしく,「 と曲るあて曲げ? 枡形?のような場所もありましたが,昔からのものなのかどうか?
午前中の最後に白鳥神社にも行ってみました。古市は,日本武尊が東征の帰り道,伊勢の能煩野で亡くなり,白鳥になって大和の琴弾原から河内の旧市邑(ふるいちむら)に飛
来した(日本書紀)というヤマトタケルの
白鳥伝説の町で,羽曳野(市)という地名は,この伝説をもとに,「さらに白鳥は舞い上がり,埴生の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」とある白鳥神社の縁起にちなんで命名されたそうです。
http://www.city.habikino.osaka.jp/info/001/index.html
(つづく)
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