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2013年9月12日 (木)

茨木街道をあるく 道草編 (5)番田~唐崎過所浜

 今回は番田から唐崎過所浜経由、唐崎に向かいます。まだ道草が続きます。

9月3日は唐崎・街道筋にて集中豪雨に逢い、降雨コールドとしました。
9月6日に再開、番田から郡まで歩きましたが、茨木の春日通りでスマホの電池切れ。以後当てずっぽうで歩きはしましたが迷走です。大まかには街道ルートは行けていましたが・・・
9月9日リベンジ:茨木から箕面・奥の道祖本街道終点まで歩きました。最後のほうでスマホ電池切れを起こしましたが、地図は印刷してあったので。3回分まとめて整理します。

  スマホは歩数計オン、GPSオンで、Googlemapでルートを確認しながら歩きますが、負荷も電池も食うやろな、と思いつつ、これがマイスタイルなので。だいたい5時間で強制シャットダウンとなります。本格的にウォークをやると10時間くらいはかかるので、あまりカスタマイズはしていませんが、何もしなくても10時間くらいはがんばってほしいのだが。スマホの機能と電池性能がアンバランス、スマホがチャラいソフト満載のPCみたいになっていて、そのアプリが電気や金を食うものばかり、というのが原因と思われます。スマホもまだまだやね。今度はアプリを徹底的に切って、スカスカにして歩いてみたいと思います。

 

■番田にて

番田バス停から入っていきます。竹の内小学校5年で持っている田んぼ。元気に育っていますが、事あるごとに見てほしいね。田植えと稲刈りだけだったりして・・・

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番田の村

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番田神社はエントランスのリニューアル中。この地のはやりかどうか知りませんが、鉄骨を組んで提灯スタンドの建設中でした。塗装仕上げなのでもうすぐ完成か。由緒看板も新設されたようです。

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淀川堤防から番田を望む。前と同じアングル!

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芥川河口から鷺打橋

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堤防から淀川河川敷を望む
ほんの少し前まで(昭和55年頃)、ここに牧場があったようです。
http://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/activity/comit/plan/kouen/files/15_sankou1-3.pdf

平安時代には、この付近から摂津市鳥飼の付近までに近都牧(きんとまき)が設けられ、諸国から京に納めるべく集めた牛馬を一時的に飼育されていました。後に、これを上・中・下の三つに分けたことから「三箇牧」の地名が生まれたとされています。三島江のあたりに、三箇牧の地名が学校名として残っています。

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■唐崎過所浜

 唐崎過書浜はこのあたり。前に見える道が、旧芥川堤防らしい。

 古代に唐船が停泊した、あるいは大陸からの渡来人がこの地に住んだことから「唐崎」という地名がついたと云われています。江戸時代には三島江浜とともに淀川の主要な河港でした。

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旧堤防を少し行ったところに案内板があります。

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当時の淀川は、京・大坂を結ぶ交通の要路として幕府から通航を許可された過書船が旅人や物資をのせて行き来していました。唐崎浜は北摂の酒米や煙草、酒、 寒天などを積み出す一方、肥料や天草、木材などを荷揚げし、「富田の外港」と呼ばれ、浜には荷受問屋の蔵が建ち並び時には百石積みの帆前船が発着するなど 大いに栄えたそうです。

ふりかえると淀川堤防。今歩いている道は「高槻街道支線」で高槻城下まで行くようです。途中の芝生から、道祖本街道も始まります。

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旧堤防道から下りてみました。港の村らしくお地蔵さんかなにかの祠があります。

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土取りされて低くなったとはいえ、旧堤防はかなりの高さがあります。

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